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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧は幕府隠密に非ず 

2011年11月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



内田康夫の推理小説『喪われた道』が、一昨年TVドラマ化
された。冒頭、虚無僧の死体が青梅で発見され、「今時
虚無僧なんかいるの?」という疑問からスタートし、虚無僧
研究会会長の小菅大徹師はじめ会員も出演協力した。

虚無僧の解説で「虚無僧は幕府の隠密だったので、明治政府は
普化宗を廃止した」と、さかんに強調していた。
このドラマの影響か、私が虚無僧で立っていると「虚無僧は
幕府の隠密だったんですってね」と話しかけてくる人が多い。
テレビの影響は大きい。

残念ながら、その事実はない。吉川英治の『鳴門秘帖』から
そのように思われているようだが、あの目立つ恰好で、どう
やって他国に潜入できるというのだ。公儀隠密だとしたら
すぐ捕まってしまう。刀も隠し持てない。天蓋や袈裟など
逃げるにも邪魔でしかない。

越後新発田の村上藩では、藩主の堀丹後守が、虚無僧に理解を
示し、越後下田に明暗寺が建てられた。そこの虚無僧が図に
乗って、「大阪の陣で、家康公を助けた功により」とか、嘘
デタラメを寺の縁起に書き、岡っ引きのような「情報提供の
役を務める」と書き残しているのが唯一の記録だ。

幕末の京都明暗寺の看首は、禁門の変で長州人を匿った廉で
捕えられている。幕府の隠密どころか、討幕派だったのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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