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春の水
2024年03月16日
テーマ:俳句鑑賞
割り算でといてみなさい春の水 三宅やよい
●三宅 やよい1955年神戸市生まれ。1997年「船団の会」入会、俳句を始める。2000年第1句集『玩具帳』上梓。現代俳句協会会員
雪解けの「春の水」は、さささらと小川になり、やがて大河のうねりのなかに入り、大海と出会う。このダイナミズムは割り算では解けないであろう。
ツルゲーネフの円熟期の作品に『春の水』がある。この恋多き青春時代を描いた「春の水」のような奔放な青年の情熱も、割り算では解けそうもない。
読み終わったあと、若かったこともあってか、その日一日気が重かったことを憶えている。
この句の作者は「春の水」のありようを詠っているが、はたして、この世に、割り算で解けるものなどはあるのだろうか。わが身を振り返ってみても、とうてい割り算では解けそうもない。
いや待てよ。割り算では解けないが、足し算、引き算では解けるかもしれない。「春の水」を足し算で解いてみようか。心ふくらむだろうか。
いや、そもそも「春の水」を計算しようとすることが、横柄なのかもしれない。
解けないといえば、ふとこんな話を思い出した。
かつて、知人の娘さんに聞いた。
あたしのおじいちゃん、おかしいのよ。毎日ハガキを書いて、毎日、駅向こうの郵便局まで出しに行くのよ
へえ、そんなに毎日、誰に出すの?
自分によ
自分に?
そうなの。自分で自分にハガキを出して、それが配達されると、また返事を書くの。それを毎日毎日くり返すことで、さびしいのと暇なのとをまぎらわしているのよ
かつてソビエトの時代、養老院でも「誰も私に話しかけてくれない」という遺書を残して死ぬという老人のニュースを読んだことがある。
誰か私に話しかけてください。誰か私に話しかけてください。
誰も話しかけてくれないのなら
自分で自分に話しかけることにする。
みんな、話し相手を求めているくせに、
自分からは決して話しかけないのである。
若いころことだが、東京の若者が集まるJR駅の地下道に、毎日のように立っている女性の詩人がいた。
肩から「私の詩集100円」という看板下げて黒ベレー、黒のワンピースと黒でまとめていた。彼女は、詩を売るスタンドのように、いつもただしいお姿勢で両手をきちんとおろし、マネキンのようにじっと制止したままである。
彼女に話しかけることはできなかったが、詩集を一冊買ったことがある。お店で買い物したとのようにき「ありがとうございました」といわれなかった。どころか、買ったぼくの顔も見なかったように思う。
彼女は、雑踏の群衆に話しかける詩人だった。
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