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ニャンコ座リポート
ママのそばで (4/24)
2024年04月24日
テーマ:テーマ無し
暖かくなったからか、少し体が楽になったと思っているのですが、昨日はだんだん悪くなり、夜には階段をはって上がるほどに。甘くないものだわ。今日は、はっきりしない感じ。 裏庭でみそ汁の具調達す 2分でざるいっぱいの三つ葉 紫敷布 「ママのそばで」と言う歌があります。インドネシア民謡に日本語の歌詞を付けたもので、教科書には載っていなかった気がしますが、音楽の先生時代に子供たちに教えると、とても評判良かったです。 昨日、黒ロングを作ったことを受けて、ほめられて、実は私高校卒業後は洋服が作りたくて(デザイナーになりたいのではなく、仕立てたかった)、とりあえずは某私立短大の被服科に受かっていて、その後は「ドレメ」か「文化」に行こうと言う未来予想図がありました。 ところが、父ががんで死んでしまうと言う誤算があって、母は学費の安い国立大学への進学を強く望み、おまけに家庭科ではなく(私も家庭科の先生はちょっと違うと思った)、音楽の教員免許を取る道を勧めました。それは戦争中に、自分が学べなかった音楽を娘に託したことに他ならなかったのですが、結果おかげで今の私が存在します。 幾度も母の愛が重たすぎて息苦しい思いもしましたが、私は母のそばで、音楽も針仕事も授けてもらいました。父が元気で、被服科に通っていたら、近くの北大生とお近づきになれて…と考えて冗談を言ってみたこともありますが、これほど音楽をやれてはいないでしょうね。合唱団で歌う位はしていたと思いますが。 チャンスがあれば、洋裁は習いたいと思っていましたが、そのチャンスはありませんでした。だから、洋服つくりは全くの我流です。写真は「ユニゾンプレゼンツ 森山良子風 ニャンカイコーデ」です。スカートはミシンパッチで作った私の作品です。 父は何も授けてくれなかったのかと言うと、全然そうではありません。父は音楽はダメでしたが、「絵」と「書道」、原稿なしでガリ版&鉄筆で通信を書き、何でも器用に作ってしまう人でした。「絵」はともかく、私が好きでやっていることのすべては、この両親からもらっていたのだと、改めてあきれる私です。 弟は、父の絵の才能を受け継いでいるし、異常なほどの完璧さでプラモデルを作ります。本日のネリ心の短歌またひとつ地上の星が消えにけり 天に昇りて永遠にかがやけ蓮の花開く瞬間にてポンと鳴く 仏が座る運命知りてか 「トラツバ」は、親権の話題になり、やはり共同親権からスタートするべきではないかと思いました。
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