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どうでも雑記
「山桜が咲くまで…2」
2024年05月04日
テーマ:テーマ無し
しばらくすると、悪いながらも身体の状態が安定したので、これが最後のチャンスだと思いきって、妻が元気な頃に行きたいと言っていた北海道に、家族四人で行くことにした。
まだ暖かさの残る初秋だが、長距離なので少し不安はあったが、Drにも相談して決断する。
行くにあたっては二人の娘がいるので心強く頼りになった。
妻の体力も考えて、比較的暖かい道東方面を4泊5日、1台のタクシーを貸し切で周る。
自分にとってもそうだが、妻と2人の娘にとってもお母さんと最後の忘れられない思い出づくりの旅とした。
このとき2度目のスキンヘッドは五分刈り程度に伸びていた。今度は100%地毛のウイッグが欲しいと言って作ったが、意識が飛んでしばらく辛い入院生活だったのでウイッグどころではなかった。
それを恥じらわずに好きだった毛糸の帽子をかぶる。
妻のために楽しい思い出をたくさんつくる、道東の家族旅行にした。
終末期の患者が北海道に家族旅行をしたことについて担当Drも大変喜び、この事を医学部での発表事項とした。
それから2ヶ月後、妻の様態が急変したために再入院、Drから今度は本当の末期であることを告げられた。
当時は現在のような末期癌患者の受け入れ施設はなかった。マニアル的な終末期の病院介護はあったが、既に妻の介護をどこまでできるか、大変だが家族ですることを暗黙の内に意思決定をしていた。
最初は看護婦(当時)さんが家に来て、酸素の使い方や予想される様態の変化への対応など、細かな説明を受けて、子供と協力し合いながら、寒い冬を自宅で寝たきりの妻の介護を愛情こめて行った。
春になると家の周りには、山桜がたくさん咲いて、山桜の里山とも呼ばれていた。
山桜が咲く暖かい春まで頑張れば、きっと身体も良くなると枕もとでやせ細った妻を励ます、もう少しだ頑張ろう。
そして三寒四温の春めいた日和には、前の山を眺めては山桜の開花を探す。山桜は黄緑色の若葉が先に出て、後から白い花が咲く。
山里にある我が家への進入路から、家の周りをぐるりと囲むように真っ白な山桜が咲く。毎年眺めてきた山桜だが、こんなに待ち遠しく思えたことはなかった。3月末になり暖かい日が続くと、一気に山桜が開花した。
寝ている妻に山桜が咲いたよ、と教える。部屋のガラス戸を開けると、里山から若葉の香りがする風が部屋に満ちる。
山桜が見えるかな、と妻の身体を少し起こす。見ようとして左右の眼を閉じたり開いたりするが見えない。
それでも、分かるよ…と言った。長年里山の山桜を見てきた妻の脳裏には、その光景が焼き付いていたに違いない。
それから数日して、山桜の開花を見とどけたかのように、7年間という長くて辛い闘病生活を経て3月29日に妻は47歳という若さで旅立ってしまった。
丁度、今年で30年を迎えることになる。以前は桜の里と言われるほど山桜の多い里山でしたが、その後一部分が分譲開発によって、山桜の木は減ってしまったが、今年も山桜の花が奇麗に咲いた。小さな山桜の花枝を仏壇とお墓に生ける。
寝たきりでもいい、会話もできず目も見えなくてもいい、生きていて欲しいと願う気持ちで、出来る治療を積極的に受けさせたが、家族の思いとは裏腹に辛くて苦しい時間を長くしたに過ぎなかったのではないか。
癌治療の進化のために苦しんだだけではなかったのかと、命日がくる度に妻への自責の念に駆られる思いがする。だから命日は妻が苦しみから解放されて、旅立った日だと思ってしまう。
一方、7年という妻の闘病生活を経済的にも肉体的、精神的にも支え合ってきた家族、辛い日々を何度も涙をこらえ、そして涙しながら乗り越えてきたから、ああ〜これで終わった、と解放された気持も確かだった。
あとは残された家族が妻の志をもって生きてゆくことだった。
毎年、妻の命日に墓参りをするが、子供たちの生活もあるので、今年は3月30日(日)に孫たちと一緒に墓参りと食事会をした。妻が生きていたら…と、思う一日でした。
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莉梨さんへ、
莉梨さん、ありがとうございます。
せめて子供たちが自立するまでの成長を見とどけてほしかったです。
生あるものは必ず死があります、それが定めと分かっていても、こんなに辛く苦しいものはありません。
でも今は30年という歳月が妻から仏として向かい合える気持ちになれました。
2024/05/07 23:00:20
楪さんへ、
楪さん、ありいがとうございます。
妻は長い闘病生活でした、大変でしたが心残りが無いようにと、家族でできたことは幸せでした。
楪さんの場合は事故でしたから、我々では計り知れないほどの苦しみと、悲しい思いをされて辛かったことと推察いたします。
いろいろな別れを思うとき、日頃の夫婦愛、家族愛での生活がいかに大切かを考えさせられます。
結果として残されたものが幸せに暮らすことが、志に報えることだと思います。
これから気候変動の多い梅雨を迎えますがお身体ご自愛ください。
2024/05/05 13:53:41
後悔がない遺族はいないでしょう
壮絶な闘病と、見守り支えるご家族のお気持ちなど、ひしひしと伝わって来ました。
誰しも、愛する家族には一日でも長く生きてほしいと思うでしょう。
ご本人も、一日でも長く共にいたいでしょう。
闘病の苦しさと、家族への思いは相反する事もあるでしょうが、ご本人も、ご家族の皆さんも納得し選ばれた道がベストだったのではと思います。
事故でパートナーを亡くした時でも、出がけに一声かけなければ、結果は違っていたのでは?と、随分後悔し苦しみました。
最後に、山桜を感じられ、見送る事ができて良かったですね。
逝ってしまった季節が訪れる度に、色んな思いが去来します。
ご冥福を陰ながらお祈り致します。
2024/05/05 12:08:42