メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

困難な時代を乗り切るために 

2011年12月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 やっと今年最後となる活弁口演が終わった。この活弁は岡山のデジタルミュージアムが企画した
「大正時代のおかやま」と称する企画展の中で行われた。

 何でも今年が大正から数えて100年目に当たるそうで、平成も23年ともなると大正時代も
遠くなりにけりと言うところだろうか。父も母も大正生まれだったが、もう亡くなってしまった。

 岡山で生まれた映画界の巨人と言えば「尾上松之助」である。目玉のまっちゃんと親しまれ一世を
風靡した大スターである。この松ちゃんの「豪傑児雷也」を活弁で上映したのが4年前、奇しくも
このデジタルミュージアム内の同じ会場であった。岡山映画祭2007年、今から4年前のことで
あった。

 以来、私達夫婦は「夫婦(みょうと)活弁士 むっちゃん かっちゃん」と称してボランティアで
活弁を行ってきた。過ぎ去ってみれば早いものでもう4年にもなるのだ。振り返ってみれば今年だけで
14カ所もの会場で活弁を行ってきた。

 ひたすら活弁という「古くて新しい語りの文化」を多くの人に知って欲しい楽しんで欲しいと思い、
始めたものだ。岡山映画祭との出会いがなければ、松田さんという方との縁がなければ、更に言えば
佐々木亜希子弁士を地元児島に招き「児島活弁シネマライブ」というものを始めていなければ今日は
なかった。そう思うと感慨無量なものがある。

 この度は松田栄一さんの弟さんからお招きを頂き昼食を共にした。前回のお礼と、今回の出演を
祝しての招待だったと思っている。紙面を借り心からお礼を述べさせて頂きたい。

 残念ながら活弁というものの知名度が今もって少ないだけに会場の入りは今ひとつであった。
しかし、会場に来ていただいた方々からは一様に良かった、こんなものだとは思わなかった来て
良かったと感動の感想を聞かせていただいた。

 4年前の棒読みのような未熟な活弁からやっとそれらしく語ることが出来るようになったことは
未熟なりにも歳月の積み重ねによるものだろうか。いよいよ来年は満を持して長編ものに挑戦しようと
思っている。



 さて、大阪市長選、県知事選は橋下氏が率いる維新の会が圧勝した。既成政党が推薦する候補は
いずれもが落選した。これは何を意味するものなのだろうか。良く良く考えてみなければならない
大きな問題である。

 自民から民主へと多くの人々の期待を後押しに政権は交代した。にも関わらず現実の政治に目新しい
ものはない。それどころか政治の置かれている状況はますます悪化の一途を辿っている。

 それは根底に根ざしているものが全く改善されていないからではないだろうか。言葉は悪いが頭を
据えかねただけで根底にある行政面が全く改善されていないことに起因している。依然として役人
天国なのだ。

 そして既得権だけが幅を利かすような世の中なのだ。組織の中で働く者のものの考え方や行動が
変わらなければ政権がいくら変わっても大きな変化は望めない。人間で言えば高齢化した脳のような
もので、若者のような柔軟な脳を失っている。

 それは行政だけでなく、社会全体にも言えることだ。人は社会保障だけを当てにして自らの努力を
忘れている。健康保険は既に破綻している。年金保険も破綻している。なのに健康保険は国民皆保険
であるが故に健康に対する気遣いや努力を怠った者にも一様に恩恵を受けることが出来るようになって
いる。

 私達は戦後の何もない時代から自らの力で生きてきた。生きるべき道を手探りながら生きてきた。
そのたくましさを忘れ、何かあればすぐに他を頼みにしている。国の財政は底をつき最早、再生の
力を失っている。

 実は、東日本大震災はそうした政治や社会の在り様に対する警告なのではなかったのか。のべつ
まくなしにエネルギーを垂れ流しのように使い、挙げ句の果てに再生不可能なまでに温暖化は進んで
しまった。こうした全てのことを問い直すべき時ではないのだろうか。

 不平や不満は政治だけで解決できる限界を超えている。だからといって政治に無関心で良いと言って
いるのではない。政治には目を向けつつも全てのことに対し我がこととして考え対処していくべき時代
ではないだろうか。

 もっともっと個々がしっかりしなければ今以上に困難な時代を乗り切ることはとても不可能ではない
だろうか。そんな困難な時代がもう目の前に来ているような気がしてならない昨今である。



 福島第一原発1号機はメルトダウンが進行しチャイナシンドローム直前だったことが明らかになった。
実は早くから分かっていたことではないだろうかと思うのである。チャイナシンドロームとはアメリカ
のスリーマイル島での原発事故の際に使われた言葉である。

 核燃料棒の溶解によって圧力容器や格納容器を溶かし岩盤にまで達するような事故のことを称して
そう呼んでいる。恐ろしい事故が直前にまで及んでいたことになる。岩盤に達すると更には地下水に
触れ壊滅的な巣蒸気爆発を起こす危険性が考えられた。

 原発事故のその後についてはまだまだ明らかになっていないことが山ほどあるに違いない。いったい
この困難をどのようにして克服していくのだろうか。注目していきたい。それにしてもエネルギー
として取り出すことの出来るウラン235は数%しか含まれていないと言う核燃料棒でさえ、このように
危険なものである。それでは核爆弾は・・・。考えてもみたくない恐ろしいことである。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ