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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜
バデリムの150年
2012年02月06日
テーマ:テーマ無し
今年(2012年)は私たちの住んでいるサンシャイン・コーストのバデリム(Buderim)に
コミュニティができて150年の記念の年になりました。
このための式典などが特別盛大に開かれる訳ではないようで、
国の記念日など様々な行事ごとに、「B150(このBはBuderimのB)」を掲げて
祝うことにしています。
毎年1月26日のオーストラリア・デーは、毎年様々な団体が趣向を凝らして
パレードをするバデリム最大の行事ですが、先月はあいにくの雨で中止となってしまい、
B150を祝う最初の機会が流れてしまいました。
150年前の1862年に何があったかと言いますと、トム・ピートリーという人が
このバデリムにスギやブナの類など価値の高い森を見つけて、その切り出しのために
初めて入植しました。
木材の切り出しや金鉱の発見などでコミュニティが生まれ、町が形作られて行った例は
珍しくなく、それが普通だったのです。
日本の明治時代が1868年からで、その6年前に
このバデリムが産声を上げた訳ですから、まだまだ歴史は浅いと言えます。
なにせ、イギリス本土からの船団が上陸して、オーストラリア自体が
国の体裁を整え始めたのが江戸時代中ごろ、1788年のことですから、
地方はなおさらのことです。
上の4枚の写真は「The Buderim Book-Celebrating 150 years of community」から転載。
1914年から1920年にかけて。いずれもバデリムの中心地。
バデリムの名称はオーストラリア特有の花木バンクシアをアボリジニの言葉で
バデラム(Badderam)ということから付けられたとピートリーは記録しています。
最初にこのバデリムに入植した人たちはピートリーの他にフット、ディクソン、
リンゼーそれにバーネットらの家族で、この地域の主な川や公園、それに道路などに
その名前が残り、功績が称えられているのです。
ちなみに、私たちはそのバーネット・ストリートに居を構えています。
その後、木材の搬出のために鉄道が敷かれ、生姜のブランドでは世界的に知られた
バデリム・ジンジャーが工場を構えるなどして、バデリムは次第に大きなコミュニティに
成長しました。
現在、鉄道は廃止され、バデリム・ジンジャーは近くのヤンディーナに移転しています。
そして、近年では住居地区として環境が整い、リタイアメント・ヴィレッジや
しっかりした学校が集まって、人々の「移り住みたい憧れの場所」になって来たのです。
人口は1930年に600人、1960年に1200人だったのが現在は3万4000人に
膨れ上がっているのを見ても、その人気ぶりがうかがえます。
私たちはこうした歴史や背景をほとんど知らずこのバデリムに移住しました。
でも、歴史は浅くとも輝くような環境と豊かな暮らし、それにフレンドリーな友だちに
恵まれて幸せです。
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