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平成の虚無僧一路の日記

消え行く「村野藤吾」の建築 

2012年02月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「村野藤吾」で検索すると 24,000件もヒットする。
「知る人ぞ知る」で、建築に関心の無い人は知らない
だろうが、“村野藤吾信奉者”が、まだまだ多くいる
ということに、うれしく思う。

ところが、その項目の中で、「谷村美術館閉館」や
「大阪なんば新歌舞伎座」「小倉市民会館」 
「千里南センタービル・千里市民センター」
「米子市公会堂」などが取り壊しになるという記事。
身を切られる思いだ。

私は子供の頃「法隆寺は世界最古の木造建築」と
聞かされ、また、室町・鎌倉の寺院建築も現存して
いることから、火災にさえ遭わなければ、木造建築
でも1000年持つ。ましてコンクリートなら未来永久に
存続するものと思っていた。

法隆寺が世界遺産登録を申請した時、「千年の間に
柱も瓦も何度も補強され 取り替えられているので、
千年前の建物とはいえない」とフランス人の選考委員
から異議申立てがあったそうだ。

そういえば、姫路城の芯柱だって取り替えられている。
伊勢神宮など 20年ごとに 全とっかえだ。

現「目黒区役所」となっている「旧千代田生命ビル」の
写真もネットで見れた。それを見て、私は愕然となった。
「村野藤吾」の建築にかける理念は すべて踏みにじられて
いるではないか。目を覆いたくなった。私が、このブログで
書いてきたことは、もう今の「目黒区役所」では感じ取れ
ない。これが「建築物」の末路なのか。ああ無常。

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