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浅間山荘事件以後・・・ 

2012年02月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  風邪薬飲んで、寝たり起きたり・・・すっかりグダグダしています。が、起き出して、瞬時見た午後3時前、NHKTVでは、「浅間山荘事件」のことが話題になっていました。衝撃! 記憶がぐわ〜、っと甦って、気分もシャキッとしました。        浅間山荘事件以後・・・  浅間山荘事件は、1872(昭和47)年2月19日に始まる、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件。赤軍派と警察の行き詰まる攻防         ・・・私は、テレビを凝視し続けていました。・・・当時、私は、高校教師になって3年目で20代後半の若者でした。教師になるまでの3年前までは、高卒後7年間勤めた警察官(巡査)時代から、学生運動と対峙する形・規制する立場で関わりを持ち、非番の日に通っていた夜間大学でも折角講義を受けに行ったのに、いわゆる過激派学生によって「学園封鎖」「や「授業ボイコット」などが、そのためのアジ演説などが、学内で行われていた、そういう時期に青春期を過ごしました 。警察官時代、道路の一杯横に大きく膨らんで行進する“フランスデモ”や交差点で渦巻き状になって走る“渦巻きデモ”が   河原町から四条通り、そして祇園石段下へと続き、若い交番所の巡査は「第二機動隊員」として、デモ行進に並進規制し、   私もその一員として緊迫した時を過ごしました。祇園さん(祇園神社)の階段や坂の上に陣取った学生たちから、祇園石段下に規制のため待機する私たち警察官に   「政府の犬!」「税金泥棒!」の罵りの声と共に、  大きい石や小さな石が投げられてきました。私はその時、「何をぬかしやがんね!」「 お前らこそ、親のすねかじりヤンケ!」「こっちは“税金”払うとるワイ!」と   ぶつくさ文句を口中で言っていました。読者の中には、石を投げつけた方も、おられるかも知れませんが・・・は、兎も角、ほぼ同世代の若者が、手段方法の善し悪し、合法・違法は別にして、日本の未来や現状について、     熱く語り、関わり、関わろうとしていた・・・!それが、なぜ、政治に無関心な若者が、こうも増えてきたのか? それは、やがて学校に持ち込まれた「ゆとりの時間」に象徴される“政治離れ”対策、受験競争の激化、就職事情の苛烈さ、そして、マスコミ挙げて進められた「エロ・グロ・ナンセンス文化」の氾濫・・・        (長くなりますので、次回以降に続けます。)【特に、お願い】警察官だった、いうだけで、【偏見】を持たれないようにお願いします。私には、警察学校の同期生が50名余、現在は40名余、いますが、青春期に「同じ釜の飯」を喰った仲間が、私の友人です。真面目に日本のために働き、激務のために早世した仲間もいるけど、多くは定年退職後も、人様に奉仕したくて活動している人も多いです。税金泥棒! 政府の犬! と、     教員になってからも、侮蔑的な言葉も浴びせかけられてきました。が、誰かが、人の嫌がる仕事をしなければ、国や社会ば成り立ちません。むしろ、経済的に“口減らし”みたいな形で、   全国から警察官試験に挑戦し、   警察学校で一年間起居を共にし、日本国憲法・警察官職務執行法・刑法・刑事訴訟法等を学び、武道鍛錬に青春をかけ、“誇り”を持って、仕事してきました。警察には、すぐ“権力濫用”の批判がされますが、    むしろ“人権”を真摯に見ている人が多い! テレビ番組で、刑事が容疑者を足蹴にしたり、悪し様に言う、なんてことは、  以後の裁判での供述の“証拠能力”を考えたら、     あんな愚かしいことは通りません。人間としての“共感能力”を高めてこそ、職務は遂行されていく、ということを、私は、7年間の警察官生活で学んで来ました。

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