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パトラッシュが駆ける！

2012年03月09日ナビトモブログ記事
テーマ：テーマ無し

「横じゃなくってね、私達は縦に並ぶの」
「えー、なんでー？」
「横だと、うるさいんだもん。話しかけて来るから」
「それでも夫婦？」
「夫婦よ。夫婦はね、適度に離れている方がいいの」

Ｓ子さんは、妻の高校の先輩だ。
近年リタイアした旦那と、ちょくちょく映画を見に行くそうだ。
大抵は、旦那の方から言い出し、彼女が応じる形になる。
席を選ぶ時に、わざわざ縦に二つ取るそうだ。
上映中に旦那が、横からあれこれ注釈を入れる。
これが、今の言葉で言えば「うざい」らしい。

「どっちが前？」
「旦那よ」
思った通りだ。
背後から、声をかけられた日には、彼女はもっと、うざいことになる。

「あのねえ・・・」
私もつい、口を出したくなった。
「私の前で、面白いことを仰ると、エッセイに書いちまいますよ」
「あーら、構わないわよ」
Ｓ子さん、悠然たるものだ。

歳を取ると、女の方がよりたくましくなる。
世間を見渡せば、だいたいそうだ。
家庭内の実権は、元々主婦が握っている。
加えて、家庭外のことでも、妻のリードする局面が多くなる。

Ｓ夫妻の映画もそうだ。
夫唱婦随のように見えて、実は妻の「まあ、付き合ってあげるわ」であろう。
そうでもしてやらないと、旦那が「引き篭もり」になってしまうからだ。

「旦那さん、友達居ないの？」
「居ないのよ。会社関係は、退職した途端に、はい、それまでだもんね」
「趣味は？」
「ないの」

囲碁でもやったらどうですか、何なら教えましょうかと、
喉まで出かかったが、やめておいた。
コトワザがある。
「馬を水辺に連れて行くことは出来るが、その馬に、水を飲ませることは出来ない」
Ｓ氏の場合、かなり注釈の好きな人と聞いている。
水辺に引っ張って行くさえ、容易ではないだろう。

「ごしゅじーん」
「はーい」
「今日はお話出来て、楽しかったわー」
「私もでーす」
「また来るわ。じゃーね」
その声たるや、頭のてっぺんから、出ているのではあるまいか。

　＊　＊　＊

「ウチの亭主はね」
今度は、Ｎ子さんだ。
妻の同級生である。

「私が旅行に行く時にね、天気予報に傘マークが出るでしょ。
そうすると、あははと笑うのよ」
「えー？」
「ざま見ろってわけ」
「置いて行かれるのが、淋しいのね」
「自分だって、旅行すればいいのに、行かないのよ。
行けないのね、誘ってくれる人が居ないんだから」

何処も同じ光景ではある。
リタイアした亭主は、押しなべて、社会から隔絶している。
なんとかしてやりたいが、水を飲む気がない、馬ばかりとなれば、
いくら世話焼きの私でも、どうにもならない。

「ああはなりたくないもんだ」
「あなただって、笑ったわよ。天気予報を見て」
「いえ、笑ってません」
「笑いました。この前、私が伊豆に行く時に。お気の毒にーって言って」

困ったものだ。
何でもよく見ている。
そして、覚えている。
女房の前では、うっかり大口も開けられない。

　＊　＊　＊　

「由紀さおりのコンサートがあるの」
「はあ」
「前から一度、聴いてみたいと思ってたの。ライブで」
「へえ」
「杉並公会堂でね、六千円なの」
「・・・・・」

六千円あれば、二度は飲みに行けるだろう。
それにライブなら、私はむしろ、中島みゆきや綾戸智絵の方がいい。
男なら、さだまさしだ。
そう言えば、寄席もしばらく行っていない。

「行く？」
「まあ・・・」
「じゃあ、申し込むからね」

気持よく、居眠りしている時に限って、こんな話が来る。
思考力が低下しているものだから、対案も出せずに、つい頷いてしまう。
そうしては後で、少し後悔をする。

いや、由紀さおりがいけないと言うのではない。
少し、情けないだけだ。
アメリカ辺りで、ふーっと人気が出たからと言って、日本人が急に持て囃すことがだ。

「取れました」
「そりゃ、取れるだろうよ」
「大変なのよ、もう。何遍電話したって、話し中なんだから」
「そんなに人気なのか」
「電話が繋がったら、今度は席がないのよ。やっと二つ取れたんだけど・・・」

私はＳ家、Ｎ家の、引き篭もり亭主とは、わけが違う。
女房孝行のつもりで、付き合ってやろうと思っている。

「縦に二つなの」
「え？」
「いい？」
「いいも悪いもあるめーよ」

何だかよくわからないが、私は腐っても、Ｓ子さんの旦那のようにはなりたくない。
せめて、妻の後ろの席に、ふんぞり返ってやろうと思っている。