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人生いろは坂

震災から一年 

2012年03月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 早いものである。震災から一年が過ぎた。昨日の午後は会議中だったが一区切り付いた時、
大地震の発生した時刻だったので会場の全員が起立して黙祷を捧げた。

 春とは言え北国はまだ寒い。雪が降っているところもあるようだ。あの日も押し寄せる大津波を
間近に見ながら震えている人々の周辺には激しく雪が舞っていた。

 広大な地域が被災しただけに状況は様々であったようだ。その時から悪夢のような日々が始まり
今もなお続いている。過ぎ去ったこの一年は何だったのだろう。夢か幻か、しかし全ては現実で
あった。

 改めて被災された方々へのお見舞いと、亡くなられた多くの犠牲者のみなさんのご冥福を心から
お祈りしたい。そして被災地の復興が一日も早いことを願っている。

 今、改めて地震発生後からの対応が検証されている。その中で様々に言われていることは一様に
頷けることばかりではあるが、その構えが全く欠けていた政府や電力の関係者に何を問いかければ
良いのだろう。ただただ時間が流れ右往左往するばかりだったのではないだろうか。

 トップに立つと言うことは、こうした思いがけない災害時の全てを背負うことになる。東京電力や
原子力行政を担う人の中に、このような自覚を持っていた人が何人いたであろうか。

 また検証に当たった人にも咄嗟の状況で幾人の人が適切な対応が出来るであろうか。私達全てが
一様に反省し懺悔すべきことではないだろうか。

 リスクの多いものには過剰なほどの資金を投入しても投入し過ぎということはない。それを経済
効果ばかりを優先し投資を惜しんできたのが現実の姿であった。資本主義という経済優先のものの
考え方が行き過ぎると、このような結果になる。あたら広大な土地を核による汚染によって放棄
せざるを得なかった。

 このような大きな犠牲を払いながらも唯一の救いは、何かしら変になっていく世の中の在り方に
疑問を感じ始めたことではないだろうか。今までの生き方や生活の在り方で良かったのだろうか。
私達の人間関係はこれまでのような在り方で良いのだろうかと気付き始めた人も増えてきたことで
ある。震災によって気付かされ反省すべきことは多かった。

この多大なる被害と犠牲を新たなる意識改革の礎としたい。

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