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人生いろは坂

春はそこまで 

2012年03月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 日々、温かさを感じる季節となってきた。枯れたと思ってあきらめていたハスカップが芽を出し
始めていた。寒冷地を好む植物だけに昨年の異常な暑さに枯れたと思い込んでいたのだ。枯れたと
思い込みあきらめかけていたものが生きていたとは、こんなにうれしいことはない。改めて植物の
生命力を感じた次第である。

 ここ瀬戸内海でもイカナゴが店先に出始めると春がそこまで来ていることを感じるようになる。
今は産卵から孵化した小さなイカナゴが店先に出ている。これらは三杯酢で食べても良いし、甘辛く
煮詰めて釘煮にしても良い。

 雨上がりの道を歩いていると「ふと」どこからか沈丁花の甘い香りが流れてくる。この香りを
感じるようになるといっそう春を実感する。「そう!!」季節は変わることなく動いている。

 そして、瞬く間に一年が過ぎ去ってしまい、今更ながら昨年の大震災は何だったのだろうかと
考えさせられてしまう。

 この世の存在や生ずることには全て意味がある。それは私の今までの人生を通じての実感である。
その時には悲しさや苦しさや、はてまた喜びで気付かなかったことも、振り返ってみれば「ああそう
だったんだ」と気付かされることが少なくない。

 そして、その時の苦しみや悲しみや喜びが、今に繋がっていたのだと言うことが次第に分かって
くる。そう考えてみると、被災をされた方々には誠に気の毒ながら、あの大震災は気付きのための
何か深い意味があったのではなかろうかと思えてくるのである。

 それも今でなければならなかった理由があったはずだと。30年早すぎても30年遅すぎても
ダメなことであった。今だったのだと、そう思えるのである。

 前回の総選挙で政権が変わり民主党になった。そして菅さんが首相だったときに大事件は起きた。
震災被害だけでなく原発の水素爆発という思いがけない大事件が更に追い打ちをかけるように事態を
深刻にした。

 しかし、偶然に偶然が重なって東京が被曝することだけはかろうじて避けられた。これらは単なる
偶発的な出来事で、本当に偶然に偶然が重なった結果なのだろうか。私には何かしら深い意味がある
ような気がしてならないのである。

 全停電でバックアップ電源が失われ原発を冷却する方法がなくなったと報道されたときから東京
を中心とする数千万もの人々の避難のことを考えた。原発を全て放棄するのか、人の移送手段は、
移動先は、それよりどのようにしてそのことを人々に伝えるのか。きっと大パニックになるに違い
ない。被爆より恐ろしいことになるのではないか。そんな想像を巡らし国としての機能を完全に
失った日本の姿を想像してしまった。

 そのようにならなかったのは偶然に偶然が重なった結果であったらしいが、政治的判断も適切で
あったと思っている。すべてが完璧だったとはとても言い難いが、官房長官の報道陣への説明や
菅さんが現地へ飛んで原発を放棄するなと指示したことなど、原発関係者には犠牲を強いることに
なったが、今になってみればあれはあれで良かったのではないかと思えるのである。

 過ぎ去ったことを検証すれば当事者ではないものには何とでも言える。また過ぎ去った過去を
検証することはたやすい。しかし、あの時、トップが誰であったとしても取り得た行動には限界が
あったに違いない。しょせん一人の人間の出来ることには限界がある。ましてや凡人であって見れば
尚更のことである。

 私達はこの混沌とした時代にあって大きな試練を受けつつも気付かなかった何かを教えられようと
している。被災者のある人が奇しくも回顧していたように、知らず知らずの内に様々な「しがらみ」
から抜け出せなくなっていた。その「しがらみ」を絶つには大きなきっかけが必要だったと。

 その「しがらみ」は人様々であったろうし、様々であるはずだ。「しがらみ」は被災者ではない
人にもあるに違いない。そうした種々雑多な人間界の思いや出来事に自然界は無言の解答を示した
のではないだろうか。

 この世の有り様や出来事の全てに意味がある。庭の草木は春を忘れる事なく芽吹き、そして花
を開く。また、今年も春がやってきた。

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