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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

ルオムの森 

2012年04月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 

 
「ルオム」は、フィンランド語で「自然に従う生き方」を意味する言葉。北軽井沢スウィートグラスを運営する会社は企業ミッションに「自然に従う生き方」を表現し、時代の求める価値を創造する、ということを掲げている。「自然の中で心豊かに暮らしたい」という妻の希望で移住生活をはじめて4度目の冬を越したが、「自然に従う生き方」という言葉は、私たちの心に心地よく響く。
 
北軽井沢はフィンランドの気候によく似ているといわれているが、北軽井沢スウィートグラスを運営する会社は、ルオムの森にある浅間高原最古の洋館と樹齢100年を超える大木が茂る空間にもう一つの物語とも言える企てを展開している。
 
ルオムの森は、天明3年(1783年)の浅間山大噴火の火砕流から生き延びた「おしぎっぱの森」の一角を占める。この浅間山麓に残された貴重な森は「ルオムの森」と命名され、キャンプ場とは異なった事業展開がなされているが、この度、それがリニューアルされてオープンすることになり、先日、レストランの新メニューの試食会を兼ねた会合で、私は、熱弁を振るう経営者の話に耳を傾ける30名を超える人々の中の一人だった。
 
会場となったルオムの森にある浅間高原最古の洋館は、約100年前に建てられたもので、アメリカヤ様式と呼ばれる和洋折衷の建築様式の貴重な文化遺産である。私はすぐに、こちらへ来て見学に行った軽井沢にある雨宮邸を思い出した。浅間山麓に残る王領地の森からルオムの森を経て大桑まではその昔、雄大な森が広がっていた。日本経済の歴史と北軽井沢の開拓史との関係や、この建物の床が約8センチ傾いていることなどを聞きながら、久しぶりに聞く心温まる話しに私は、いつの間にかすっかり心を奪われていた。
 
この建物は、大正9年田中銀之助によって建てられた別荘である。銀之助の祖父である田中平八は、幕末から明治時代に活躍した実業家で、1865年(慶応元年)に横浜で「糸屋平八商店」を開業し、生糸・為替・洋銀・米相場で巨利を得た。通称「糸屋の平八」「天下の糸平」と呼ばれた。父は三代目田中平八を名乗り、糸平不動産、田中鉱山を興したが、田中銀之助は、エドワード・B・クラークと共にイギリスから慶応義塾大学にラグビーを伝えたことで知られている。そして「日本ラグビーの父」と呼ばれ初代日本ラグビー協会名誉会長となった。
 
ルオムの森に佇む100年の歴史が刻まれた最古の洋館は、関係者の努力によって元通りに復元され、その中で運営されるレストランは、厨糸平(クリヤ イトヘイ)と名前を改め再出発することになった。厨(クリヤ)は食べ物を調理する場所であり、糸平はゆかりのある天下の糸平から命名されたものである。明日12日、レストラン「厨糸平」はオープンするが、ここでは、その他にバーベキュー「あさまグリル」、オーガニック食品や雑貨を扱う「ストウリ」、薪ストーブを取り扱う「あさまストーブ」、2階にはブックカフェ「百年文庫」やアイアン作家安斉重夫のギャラリー、体験教室などがある。また屋外には、樹齢100年を超える大木の中で展開されていた「フォレスト アドベンチャー」も「スウィートグラス アドベンチャー」と名前を変えて再出発する。
 
ルオムスタイルについて、確かな確証を得ていながら、それを文字に表すという困難な作業に困惑していたが、当日配られたプリントにそれは明確に記されていた。
 
ルオムスタイルとは、
地球環境を守り、次世代の子どもたちに繋ぐ「持続スタイル」
木や森の100年のスケールに「倣うスタイル」
いつも大木のように強く、おおらかな「愛情スタイル」
自然と共にある「健康スタイル」
自然の恵みに感謝する「食スタイル」
作り手の想いが込められたモノや道具を大切にする「素朴スタイル」
自然との付き合い、遊ぶことで自然のリスクを知り、自立を「学ぶスタイル」
自然の躍動を五感で取り込む「デザインスタイル」
他人を思いやる美しい心を大切にする「純粋スタイル」
 
明日はリニューアルオープンするレストラン「厨糸平」で妻とランチを楽しむことにしているが、
ルオムの森とスウィートグラスは、二つのトップシーズンを作り出す「2こぶラクダ作戦」の
大きな「二つのこぶ」に違いない。地域のリーディングカンパニーを目指して突き進む「2こぶラクダ作戦」に目が離せない。
 
 

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