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人生いろは坂

桜の季節 

2012年04月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 過ぎゆく春は短い。それにも増して桜の季節は短い。今年はことのほか雨の日が多く、桜を楽しむ
間もなくはや散り始めている。周辺の山々もいつの間にか緑に色付いてきた。一気に春が来たようだ。

 勤務先の児島市民交流センターでは講座が次々にスタートし、一段落したと思う間もなく次の企画
を急がなければならなくなってきた。始まって間もない講座の数々ではあるが、みなさんに果たして
喜んで貰えているのだろうか。

 児島市民交流センターへ勤め初めて半年が過ぎようとしている。文字通り火の玉となって事業を
立ち上げ矢継ぎ早にレールへ乗せてきた。この間、好きな旅行も趣味も畑仕事も投げ打って阿修羅の
ごとく走り続けてきた。

 望んでいた仕事だったとは言え凄まじいばかりの日々であった。そして今もなお同じような日々を
過ごしている。この間、幾人の人と新しい出会いがあっただろうか。全ては自分自身が過去に望んだ
ことであり、時来れば必ず叶うという実感を強くしている。今は身をもってそのことを体験している。

 残すところ三年数ヶ月、この先に更にどのような出会いがあり、どのような日々があるのだろうか。

 北朝鮮がロケットの発射実験を行った。衛星を打ち上げるとのことであった。外人記者や専門家まで
招待しての実験であった。しかし、漠然たる私の予測通りロケットはあえなく空中分解してしまった。
北朝鮮自らも認める失敗であった。

 この国にあってロケット一機の費用は安くないはずである。一機の費用があれば多くの国民を救う
ことが出来たはずである。疲弊しきった国民の暮らしは、どのようになっているのだろうか。体制を
維持するためとは言いながら、この国の有り様に多大なる疑問を抱かざるを得ない。

 好い加減に国民はこの体制から解放されるべきであろう。戦前の日本を考えるとき決して他人事とは
思えない現実がこの国にはある。かつての日本も体制を批判すれば、たちどころに逮捕され監獄へ送り
込まれてきた。

 国家とは、いったい誰のためにあるのか。国家という体制がなくても生きていける時代があった。
それが今は国民が国家に縛られ正に主客は転倒している。国民のための国家でなければならない。

 お金は人々のためのものでなければならない。しかし多くはお金のために人々が縛られている。
シリアにせよ北朝鮮にせよ独裁を維持するために多くの民が犠牲になっている。この地球から一日も
早く全ての人民が解放され、誰もがお金に縛られず平等に心豊かに暮らせる時代が来ることを願って
いる。

 我が家の果樹畑は春爛漫である。冬場の寒さをものともせず花を咲かせてきたビワはもう小さな
実になり始めている。梅の花が咲き、アンズの花が咲き、スモモの花が咲き、桃の花が開いている。
そして今はナシやリンゴの花が蕾を膨らませている。キウイの芽も伸び始め、ミカンなどの柑橘類も
芽吹き始めている。一度に全てのものに春がきた。

 こんな我が家の畑を眺めていると自然の変わらぬ大きさを感じる。それに引き替え人間の世界の
何と窮屈で狭いことか。あまりにも目先のことしか見えない人が多すぎる。これもまた現実なのか。

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