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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

濃霧 

2012年04月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 

 
濃霧とは、濃くたちこめた霧のこと。気象観測では見通しのきく範囲が200m以下をいう。
妻と二人で久しぶりの愛車で軽井沢へ出かけた。有料道路を通るのも1ヶ月半ぶりのことだ。
この有料道路は 嬬恋村 の住民で群馬ナンバーの車であれば無料で通れるが、代車のポロでは通れなかったのだ。やっぱりビートルがいいね、という妻の笑顔は明るい。しかし、あいにくの雨模様に濃い霧が進行を妨げる。ヘッドライトを灯して走る対向車が前方からにゅ〜と現れるのも無気味だが、先を行く車が近づかないと分からないと言うのも困った現象である。
 
帰宅すると、誇りある日本人のための志誌「ジャパニスト」No13が届いていた。この雑誌には、原伸介のエッセイが掲載される。この雑誌は妻もお気に入りでいつも先に読むのだが、今回は真っ先に私がそのページをめくった。第9回になる原伸介のエッセイは、「雪月花 追悼 愛する二番弟子さま」のタイトルで、あの大竹智浩君との出会いが綴られている。それを読んで、私の心の霧は晴れた。あれから何ヶ月が経過しただろう。ブログのコメントで大竹君がこの世を去ったという連絡が来たのだが、私はそれをにわかに信じることができず、誰かのいたずらであって欲しいと思っていたが、再びあった連絡で真実とわかり驚いたのだった。
 
こちらで移住生活を始めたばかりの頃、私たちは軽井沢高原教会ではじめて大竹智浩君に会い、その後、北軽井沢の麦小舎で偶然再会し、「ジャパニスト」を知ることになった。2010年6月22日、彼からの初めてのメールが届いた。
 
わざわざご連絡ありがとうございます。
身に(本に)あまる言葉で恐縮しています。

これまでに無い視点の本を作り、何らかの役割を果たせればと思っております。

喜んで下さり大変嬉しく思います。
本日、お手元に無い号(1,3,4号)をお送りしますので、どうぞお収め下さい。

それにしても、本当に不思議なご縁だなと勝手に思っております。
私は学生時代に高原教会を訪れ、その存在に一目惚れして星野へ入社いたしました。
そして○○様は教会へ足繁く通って下さり、私としてはそれが大変嬉しかったです。

そして先日の思わぬ再会と、このように改めてご縁を頂けたこと、またしても心が通
じたような感覚に、非常に勝手ながら感動しております。
ご縁に感謝です。本当にありがとうございます。


話は変わりますが、以前は広島にいらっしゃたのですね。
実は「Japanist」の読者も志民会議への参加者も、広島の方が多いのです。
これは何なのでしょうか? もはや理屈ではないのでしょう。
歴史的にもこの国が大きく変わるときは、西から風が吹いてくると言いますが、
やはりそのような「地の力」を感じてしまいます。
もしこれから日本が大きく変わるとしたら、その熱源は広島だと思っていました。
まったくもって、ただ驚くばかりです。


さらに話を変えて恐縮ですが、「七輪の前の神さまごと」(巻頭エッセイ)を書いて
いる原伸介は本当に面白い男です。
22歳の時に「炭焼きでメシを食う」といって山に入って炭焼き修行をし、独立した途
端に想像を絶する試練と困窮に襲われ、でも何とかそれをくぐり抜けて本当に炭焼き
でメシを食うようになってしまった変態です。
本業は炭焼きなのですが、数年前からオフシーズンを利用して執筆活動と講演をする
ようになり「職人の素晴らしさ」「日本の奥深さ」「夢を叶える力」「恋愛の方程式」
などを大変ユルく発信しています。
この時期は全国を講演して回っていると思いますから、近くに来るときには情報をお
伝えします。
機会があれば是非一度行ってみて下さい。


長々と書いてしまい申し訳ありませんでした。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
私は10年近く信州にいましたから、今でも友人がそちらに偏っているのでよく遊びに
行きます。
厚かましく恐縮ですが、またご連絡させて下さい。
本当にありがとうございました。


大竹智浩
 
28歳というあまりのも若すぎる年齢から、私には彼の死が病気であったとは考えられなかった。
昨年、私の家を訪ねてくれて明るい笑顔で話していた彼がもうこの世にいない。今度来るときには、原伸介か僕の彼女を連れてきます、と言って再会を誓っていたのに。このたびのエッセイには、「突然の病で彼は旅立った」とある。私の頭の中は、事故とか自殺という嫌な文字がグルグルと回っていたが、エッセイを読んでほっとした。「突然の病」がもう何であろうと、それ以上深く知る必要はない。
 
帰路、六里ヶ原で嘘のように晴れた霧。エッセイを読んだ私の心の霧も晴れた。
 
ここに来て、多くの出会いがあったが、忘れられない出会いの一つは、あっけなく終了した。
しかし、「ジャパニスト」という素晴らしい志誌を知ることとなり、私も妻も、これから先、膨大な情報と多くの感激を獲得するに違いない。
 
 

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