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パトラッシュが駆ける!

“地”に働けば 

2012年07月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「越後湯沢に別荘を持ってました。そうです、
温泉付きマンションです。
買った当初はね、しょっちゅう行ってたんですよ珍しくって。
でもね、次第に飽きて来るんです。
とうとう誰も行かなくなりましてね。

それで、手放そうとしたんです。
そうしたら、もう売れませんの。
管理費だってばかにならないでしょ。
それで最後は、ただ同然で業者に引き取ってもらいました。

ええ、本当にただと同じです。
管理費の一年分くらいですから。
でもね、ほっとしました。
あれこれ、思い煩うことがなくなりましたから。
こうやって、ツアーに加わっている方が、いいですよ。
気楽だし、いろんなところへ、行けますでしょ」

昼食の時に、たまたま、同じテーブルに着いた、
ご婦人である。
聞きもしないのに、よく喋る。
しかし、この際、何でもいい。
向き合って食事をしながら、押し黙っているのは、
美しい光景でない。
共に旅するなら、それは楽しく、賑やかな方がいい。

 * * *

不動産にまつわる失敗談なら、珍しくも何ともない。
例え十年でも、利用しただけ、彼女なんか、いい方だ。
別荘地を購入したものの、雑草を茂らせたまま、
むなしく、手放した例が少なくない。

土地は上がり続ける・・・
かつて、こんな神話があった。
インフレに備え、不動産を持つべし・・・
利殖の評論家によって、こんなことが盛んに言われた。

私だって、随分と心が動いたものだ。
私の場合は、三浦半島の海辺だった。
そこにセカンドハウスを建て、休みの度に、釣りに出かける。
ついでに、マイボートも買ってしまおうか・・・
なんてことを、かなり本気で、考えた。

しかし、踏ん切りがつかなった。
いざとなると、意気地がないのである。
しかし人生、何が幸いするかわからない。
間もなく、バブルがはじけ、デフレの時代に入った。

海沿いの土地だって、その後は値下がりの一途だろう。
きっと、持て余していたことと思われる。
その気になりかかったのは、偏に、若気の至りであった。
年を重ね、今はもう、すっかり考えが、変わってしまっている。

 * * *

「私に、何を買えってえの?」
「へへへ、地べたです」
別荘地を売り込みに来た、営業マンのセリフを覚えている。
「地べた」と言うところに、話の全てが現れている。
家を建てる建てないなど、二の次なのだ。

こんな時、私は面倒くさくなり、言ってやったものだ。
「使わない地べたを、持つつもりはありませんから」
尚も食い下がるやつには、さらに追い打ちをかけた。
「土地ってえのは、本来、社会全体のもの。使わないものを、私有するなんて、
一つの罪悪ですよ」
彼らを追い返すには、このくらい言った方が早い。
小うるさい客だと思ったのだろう。
大概はこれで、すぐに帰った。

不動産ばかりでない。
私は、売り込みに来た話は、全てこれに、
乗らないようにしている。
本当に欲しいものは、こちらから出かけて行って買う。
あるいは、電話をかけるなどして、来てもらう。
車を買ったのも、家を建てたのも、全て下調べをし、
こちらから動いた。
本当に価値あるものなら、わざわざ足を運んで、
売り込みになど、来ないだろうと思っている。

 * * *

尖閣諸島を東京都が買う・・・
これを聞いて、びっくりした。
あの無人島が私有地であり、地主が居たとは知らなかった。
ネットで調べると、確かに日本政府から、
ある個人に払い下げられている。
明治時代のことである。
当時の金で、15000円。

戦前の一時期、鰹節の工場などがあり、
二百余人の定住者があったとか。
しかし、その後、無人島となり、
それからもう、七十余年が経つ。

現在この島々は、所有する個人から、国が借りているとか。
その賃料が、年間2450万円とか。
何ともはや、間尺に合わない話ではある。
中国や台湾が、領有権を主張しなかったら、
こんな話にはならなかったであろう。

 * * *

使途のない土地を持たない。
土地は本来、社会全体のものではないか。
この二つが、今の私の考えだ。

とうとう別荘とも、縁がないまま、ここに辿り着いた。
だから、持たざる者の僻みも、多少はそこに入っている。

私が仮に、尖閣諸島の所有者であったなら・・・
自らの足で踏めない、手で触れられない、
そんな現実感のないものを持っていても、仕方ない。

さっさと手放すだろう。
有効利用出来る者があれば、ただで差し上げたい。
国が求めるなら、なおさらのことだ。

 * * *

「よろしいですね、お二人で」
「何がですか?」
「お二人そろって、旅に出られて」
「旦那さんは?」
「十年ほど前に、死にました」
「それは、おさびしいことで」

向かいのご婦人は、私達が夫婦で参加していることを、
羨んでいる。
持たざる者から見ると、割れ鍋に綴じ蓋のような夫婦でも、
二人で居ることに、価値があるのだろう。
そんなものだ。
羨ましく見えるだけだ。

配偶者も別荘も、なければないで、別の生き方がある。
それだけのことだと思っている。



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そうですか・・・

パトラッシュさん

しあわせさがしさん、
拙文をお読み頂きまして、ありがとうございます。
土地を買わなかったのは、多分に結果論で、
それをいいことに、こんな文を書いております。
女房が居る・・・
それをいいことに、同じく書いております。
臍を噛む日が来ないことを、ただ願うばかりです。
(つまり、先に逝きたいものです)

2012/08/03 16:18:11

いやぁ、わかります。

さん

面白く拝読しました。
佐藤愛子がエッセイのなかで別荘や、マンションなどをやっぱり進められて買い、難儀した話を思い出しました。土地神話・・・過去の話しですね。

パトさんちは、ご夫婦一緒でよろしいですね。
持たざる者はやっぱり羨みます^^

2012/08/03 14:26:22

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