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パトラッシュが駆ける!
こんなことで委員会
2012年07月20日
テーマ:テーマ無し
A氏は長く、鉄工会社の営業畑で働いていた。
こんなものを作ってもらえないかと、客からの依頼がある。
あるいは、納期を早めてもらえないかとの要望もある。
金銭面での、折り合いのこともある。
それらには、出来るだけ、応える方向で努力をした。
何が出来るか、どこまでやれるかを、先ず考えた。
一見不可能に見えたことを、創意と工夫、そして社内の協力により、
成し遂げた時、その喜びは大きかった。
その彼も、所詮はサラリーマンだ。
惜しまれつつも、リタイアの時を迎えた。
余生は、社会のお役に立ちたい。
多くの退職者が考えるように、彼もまた、あるボランティアグループに加わった。
元々、能動的な男なのである。
それまでにも、囲碁の会を立ち上げ、幹事として、
多くの会員を束ねたりしている。
ボランティアでも活躍し、今頃はもしかしたら、
グループの長にでもなっているかと、私は想像していた。
「あそこね、ええ、辞めました」
久しぶりに会った、そのA氏が言った。
「一言で言えば、考え方の違いです。お役所上がりの人達が結構居てね。
彼らは、民間企業出身者と、根本的に考えが違うのです」
「ほう」
「彼らは先ず、やらないことを考える。旧例にとらわれ、
無難な道を選ぶ。私らとは、そもそも、発想が違うのですよ」
「なるほど」
その先は、聞かなくても分かる。
A氏の気風だ。
あほらしくなって、身を引いたに違いない。
「その分今は、○○会の方に、力を入れてますよ」
からからと笑った。
囲碁の会である。
私とA氏は、その囲碁を通じての、付き合いである。
「これさえあれば、楽しく生きて行けるからなー」
「そうだよなー」
二本の指で、碁石をつまむ真似をし、笑い合った。
* * *
大津市の中学生の自殺が波紋を広げている。
「自殺の練習」とは、何たることだろう。
私はもともと短気であり、怒り心頭に発しやすい性質(たち)だ。
加害生徒を、例え少年と言えども許し難く、これを阻止し得なかった教師にも怒りが湧く。
それ以上に情けないのが、市の教育委員会だ。
真相に迫ろうとはせず、ただただ、責任逃れに終始している。
世間との感覚のずれたるや、あきれるばかりだ。
やっぱりお役所だからか・・・
私は、その後ろ向きの姿を見るにつけ、A氏の言葉を思い出している。
そっくりではないか。
役所の土壌の中に、進取の気風が生まれにくいのは、
ある程度やむを得ないとしても、人間の心さえ失ってしまったら、
つまり、他人の痛みさえ、わかってやれなくなったら、もう終わりだ。
この人でなしめ・・・
私は、彼らの記者会見を見る度に、テレビに向かい、毒づいている。
* * *
私は、凡庸な人間だったから、かつて「委員」なるものに、なったことがない。
せいぜい「係」だ。
商店街の、庶務担当になったことがある。
それも、押し付けられてだ。
実態は雑用係、便利屋みたいなものであった。
それだけに、委員の肩書には、憧れがある。
○○委員・・・
エリートを思わせる響きを、そこに感じてしまうのは、
私に、抜き難いコンプレックスがあるからだろう。
一つだけ、そんな私にも、なれそうな委員がある。
「民生委員」
これは、志望する者が少ないから、私のような者でも、採用してくれるかも知れない。
筆記試験があると、少し心配だが、面接だけなら、
社会福祉への理想を滔々と語り、面接員を煙に巻く自信がある。
しかし私のことだ。
なったらなったで、翌日から、音を上げるだろう。
夜も厭わず、訪問活動する、その激務たるを、人づてに聞いている。
私は本来が、怠け者、遊び人なのである。
世間の人々は、「おお、あいつが」とあきれるだろう。
世も末だと、こう言う者も居るだろう。
妻も必死に止めるだろう。
背伸びなんぞ、しない方がいい。
私は、委員なんぞにならず、このまま平凡に、人生を終わろうと思っている。
* * *
と、ここまで書いて来て、思い出した。
私もかつて、一度だけ、委員をやったことがある。
それも、委員長である。
小学校を卒業して、二十五目の年に、クラス会をやることになった。
どうせなら、記念に残るような会にしたい。
私達のクラスには、卒業の時に発行した、記念文集がある。
あれを再刊してはどうかと、こういう話になった。
言い出したのは、この私である。
「いいね」
「やろうやろう」
たちまち決まってしまい、言い出しっぺの私が、当然のように責任者になった。
そこで考えたのが、編集委員制だ。
かつて、クラスの中で、影響力のあった男女八人に、
委員になってもらい、原稿集めなどに、協力してもらう。
私は陣頭指揮を取っていればいい。
そう考えていたのだが、どの委員も、積極的には動いてくれない。
人間なんて、いざとなると、そんなものだ。
結局、私が一人で、何から何まで、やらねばならないことになった。
言い出した手前、引っ込みがつかないと言うやつだ。
編集や割り付けに、幾晩も、徹夜に近いことをやった。
ここで頓挫したら、皆の物笑いになる。
必死に頑張り、何とか百五十ページほどの文集を完成させた。
若かったから、出来たのであろう。
先生は喜んでくれたし、級友達は今でも、一目置いてくれている。
苦労も買って出るものだと思った。
委員やるべし、やらぬべし・・・
何でもそうだ。
そして、引き受けたからには、とことん頑張ってもらわねば困る。
ねえ、大津市の教育委員さん達よ。
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