メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ポメママの預かり日記

[転載]みんな人を待っていた   「犬と猫と人間と2/動物たちの大震災」 

2013年07月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

大阪日日新聞より
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sundayint/130707/20130707042.html
 
 
 
 
 
 
 

2013年7月7日

見たら見捨てられない
「まだ生きる闘いは続いている」と話す宍戸大裕監督(右)と飯田基晴プロデューサー=大阪・十三の第七藝術劇場 「犬と猫と人間と2−」の一場面
 「犬と猫と人間と」(2009年)などで知られる飯田基晴監督が、今度はプロデューサーで弟子の宍戸大裕が監督した新作ドキュメンタリー映画「「犬と猫と人間と2/動物たちの大震災」(東風配給)が13日から、大阪・十三の第七藝術劇場で公開される。被災した動物は「みんな人(助け)を待っていた」という2人に撮影裏話を聞いた。
■震災8日目から
 −2人が一緒に映画を作ることになったのは?
 宍戸 僕は宮城県の名取出身で、東日本大震災のときは東京の福祉施設で働いていたが、「地元の人が生き抜く姿を撮らねば」と思って学生時代に映画製作を教えてもらった飯田さん相談し、震災から8日目で仕事を休職して宮城に帰って撮影を始めた。実家は海から離れていたので助かったが、最初被災者にカメラを向け何を聞いていいか分からなかった。
 飯田 宍戸君から相談を受けてすぐ、石巻市の動物愛護団体・アニマルクラブ石巻の代表、阿部智子さんを訪ねるように言った。彼女と震災後連絡が取れなくなっていて、そこの動物たちも心配だったから。
 −以後、宍戸さんは動物にカメラを向けるようになる。
 宍戸 アニマルクラブの手伝いをしながら、被災地の動物にカメラを向けるようになった。子どものころから動物好きで高校生の時は獣医になろうと思ったこともあった。そこで動物を飼っていて死んだり、行方不明になったりした被災者に会って話を聞いた。「学校に避難したが犬は講堂に入れないといわれて校舎の玄関につないでいて津波にのまれてしまった」と嘆く人もいた。
 飯田 2011年3月から2012年7月ごろまでに撮影した映像で、宍戸君が最初約70分の作品にまとめたものを見て、僕が撮った「犬と猫と人間と」のパート2として発表したらどうかと話したら彼も賛成してくれた。そこから本格的に僕も編集に参加し完成版を目指した。
■ペットと家畜
 −福島第一原発近くに入ってからつらいシーンが多くなる。
 宍戸 前半はぺットをなくした飼い主の話で、中盤は原発事故で被ばくしたペットや家畜の映像が多い。一体、被災地に何匹、何頭のペット、家畜がいたのだろうか。ペットに関して行政は数を把握してないが、2万匹はいたと思われる。犬の犠牲数は3490匹といわれるが、それはごく一部だと思う。
 飯田 2012年8月から11月くらいで追加取材、撮影をしてもらって映像を足して編集し、完成版ができたのが2013年1月だった。犬猫をなくした飼い主がその写真を提供し、それを絵にした作品の絵画展があったが、その映像が一つの鎮魂のシーンになっている。後半は原発近くの人間が入れない警戒区域で宍戸君が見た牛の死体と、生き残った牛たちの哀しい姿が出てくる。この映像が生々しい。
 宍戸 動物の救出活動にボランティアで参加していた岡田久子さんに案内されて見た光景は筆舌では尽くせない。被災地に取り残されたのは犬猫らペットだけではない。水も餌もない中で暑さに耐えている牛を見て涙が出そうになった。動物たちはみんなずっと「人を待っていた。人の助けを待っていたんだ…」と。怒りのようなものがこみ上げてきた。
 −家畜の場合、最後はほとんど殺処分?
 飯田 ほとんどがそうだが、吉沢正己さんの希望の牧場では被ばくした牛350頭余りが生きている。そこに同居してやまゆりファームで活動する岡田さんは「どうせ牛は食肉として殺されるのだから、餓死したり、殺処分になっても騒ぐことはない」というのはおかしいと反論。「弱って死んでいく牛を見たらそうは言えないだろう」と。
■最後は人間次第
 宍戸 僕も被災地でそれを「見た」。それでも「全国からの義援金やカンパがなくなれば牧場の牛たちの運命も終わる。そうならないように祈るだけ」と岡田さんは訴えている。終わらない原発事故の下で生き抜く動物。人間に飼育される動物たちは自然災害や人災に直面した時、それは「最後は人間次第」ということ。希望につなげたいと思う。
 いいだ・もとはる 1973年生まれ。神奈川県出身。ドキュメンタリー「あしがらさん」「犬と猫と人間と」「逃げ遅れる人々/東日本大震災と障害者」などを監督。今作は構成・編集・プロデュースを担当。
 ししど・だいすけ 1982年生まれ。宮城県出身。学生時代に飯田基晴らの映像サークル「風の集い」に参加。ドキュメンタリー「高尾山二十四年目の記憶」で初監督。今作で劇場映画デビュー。
 
 
 
 
★まだまだ
みんな待っています・・・
飢えや暑さと闘いながら・・・
 転載元: あきらめない、被災地のもう一つの命達!!

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ