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こだわりの「ゆば御膳」事件 

2013年08月01日 外部ブログ記事
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日光には、東武日光駅とJR日光駅がある。この度の旅行で妻は、私に日光駅を見せたかったらしい。古い由緒ある建築物だから一度は見ておいたほうがいいという。しかし、やっとの思いでたどり着いた駅は、東武日光駅だったのだ。
仕方なく私はもう少し先へ車を走らせた。その時「あった!これ!この駅!」という妻の叫び声に指差すほうを見て納得し、すぐ隣の無人駐車場へと進入した。
 
お土産店で聞いた「駅の近く」という言葉が耳に強く残っていたので、そのあたりをうろうろしながらいつの間にかまた東武日光駅までやってきた。そして「ゆば料理」を求めてしばらく歩いたが折からの強い日差しに汗がにじむ。通りすがりの店に入り尋ねると、20分くらい歩くとゆば料理の店があると教えてくれた。その時、車まで戻ることは考えられず、教えられたまま前進した。やっとの思いでたどり着いた店は小さいながらも美味しいゆば料理が食べられそうな雰囲気にほっとして暖簾をくぐる。
 
店に入ると、いらっしゃいませの言葉はなく、ランチタイムをかなり過ぎていたので「すみません、もうゆば御膳しかできませんが・・」という女将らしき人は気の毒そうな表情をしながら弱い声でいう。私たちは逆にほっとしてそれを二つ注文したが、運ばれてきた善の説明をする女将の表情は先ほどとは打って変わり、生き生きとして京都のゆばと日光のゆばとの違いを語り始めた。腹の虫もすでに限界を超えていたので、もう開き直って説明を聞いたのだが、この「ゆば御膳」、空腹だったということを割り引いても素晴らしい絶品であった。これが食べたかったという妻も大満足で汗をかいて歩いたかいがあったとニコニコ顔で話す。
 
駐車場までおそらく30分はかかると考え、女将に頼み妻をそこに待たせて私は店を出た。
東武日光駅近くまで戻ったとき、小銭も千円札もないことに気づき、お土産店で買い物をして駐車場へ向かった。そして、無人駐車場の遮断器を見るなり「が〜ん・・・と一撃をくらった」・・といっても誰かに殴られたのではなく、駐車場のチケットを妻に預けていたことを思い出したのだった。1912年(大正元年)にこの駅舎が完成したころであれば、こんな無人の遮断器が付いた駐車場ではなかったはず。誰か人がいれば話をして、きっと何とかなったであろうと、近代的な駐車場の遮断器をこのときほど恨めしく思ったことはなかった。そして再び徒歩の人となり、歩け歩け歩け。妻を待たせている店が見え始めたころポケットの電話が鳴った。携帯電話を持たない妻が店で電話を借りてかけてきたのだった。妻は、てっきり私がどこかで倒れたのではないかと思ったらしい、駐車場のチケットのことはすっかり忘れていたのだった。気の毒に思った女将の配慮で、店のアルバイトの女性の車で送ってもらい、再び歩くという最悪な結果は免れたが、まったくもって、とんまな夫婦がいたもんだ、という予感通りのハプニングで、ネオ・ルネサンス様式の木造洋風建築である駅舎の見学も、日光東照宮も取りやめて、古い杉並木の続く日光街道を急ぐことになった。
妻にチケットを預けた私が悪いのか、駐車場へ向かう私にチケットを渡さなかった妻が悪かったのか。いろいろな思いが走馬灯のようにぐるぐると回る。しかし私たちはお互いに相手を責めることはなかった。これが45年間一緒に暮らした成果かもしれない。そして私は一つの原因を突き止めた。それは私の着ていたシャツの胸ポケットがないということである。ファッションというのは、時代とともに変化している。私の着るものはほとんど妻が選び妻の言われるまま着用しているが、いつの日かシャツをズボンの中に入れるのではなく、ベルトを隠して外に出して着るようになっている。いつか孫娘が言っていたが、シャツをズボンの中に入れて着ることを「イレパン」といってダサい着方だと言っていたのを思い出す。そして初めから外に出して着る目的で作られたシャツが多く作られるようになっている。おまけに、今ではいつの間にか胸ポケットがないシャツが当たり前になった。ポケットには何も入れないで、気の利いたバッグを持ち歩くのが現代風なスマートなファッションというのだ。
 
人は生きている限りさまざまなトラブルに巻き込まれるものだ。それは命にかかわるような重大なものから、後に考えると取るに足らないことだったのに、ちょっとした小さな発言が原因となり重大な不幸な結果になったりすることもある。
 
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は「がまんしなくていい」という著書のなかで「僕自身、99パーセントは、自分のために生きているけれど、1パーセントを人のために生きていますね。日々いろいろなことをおもしろがり、小さな感動を重ねていることで元気でいられるのかなと思っています」と語っている。
 
何事もそれを楽しいものに変えていく技術は、これから先人生の終末期を生きる上で最も強い武器になるに違いない。こだわりの「ゆば御膳」事件は、この度の旅行をより一層楽しいものにしてくれた。愛車ニュービートルは日光街道を快適に進み、東北自動車宇都宮インターへと進んでいく。
 
 
 
 
 
 
 

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