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ポメママの預かり日記
<<華厳懺悔>>
2013年08月12日
テーマ:テーマ無し
<<華厳懺悔>>
http://blogs.yahoo.co.jp/wolftemplejp/38544241.html#38544241
**阿耨多羅三藐三菩提**
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
**阿耨多羅三藐三菩提**
<<あのくたらさんみゃくさんぼだい>>
がしゃくしょぞうしょあくごう
かいゆむしとんじんち
じゅうしんごいししょしょう
いっさいがこんかいさんげ
<<あのくたらさんみゃくさんぼだい>>
*********************************
わずか二十八字の経文である。
≪華厳経の中の二十八字の抜粋である≫
だがこの二十八字は重大至極な意義を秘めている。
そしてこの二十八字は不可思議な力を秘めている。
これは根本問題を自戒する二十八字なのである。
人間は誰しも知らず知らずに、
大宇宙の真義に背理している。
それは根本的な「無知」によるものだ。
無知は「貪瞋癡」というものを生む。
それは強欲や傲慢や嫉妬や憎悪のことだ。
強欲や傲慢や嫉妬や憎悪の意識によって、
我我は果てしない太古から背理を続けてきた。
今ここに、無知無明による背理を懺悔する。
今ここに、我はただ一心に懺悔する。
まず「貪瞋癡:とんじんち」というものが、
いかに「猛毒」であるかを知らねばならない。
すなわち強欲や傲慢や嫉妬や憎悪が、
いかに猛毒であるかということだ。
ちょっとやそっとの猛毒では無い。
それは、とてつもない猛毒なのである。
我が身を侵害し、社会を侵害し、世界を侵害するのだ。
世界は人類の貪瞋癡スモッグに覆い尽くされ、
いたるところで残酷な争いが繰り広げられているのだ。
だがその貪瞋癡の脅威を、人人は甘く見ている。
それは目には見えないし、数値でも測れないから、
だから人人はその脅威を全く甘く見ている。
それぞれが好き放題に貪瞋癡しているのである。
それぞれが貪瞋癡を野放しにしているのである。
これがどういう事態を生んでいくか??
それは人人の想像を絶する事態を生んでいくのである。
だから仏教は、はるか大昔から警告を説いてきた。
仏教ははるか大昔から、未来を見抜いていたのだ。
だがほとんどの人人は、聞く耳を持たない有様であった。
たとえば人人は、原発問題には鋭く反応する。
放射能という物質に大きな危険を感じているからだ。
だが人人は、物質では無い「貪瞋癡」には実に無関心である。
それが放射能にも劣らぬほど危険なものであることを、
それを人人は知らないのである。
だがそれが猛毒であることを説いても、
人人は「宗教臭い話は御免だよ!」と迷惑顔である。
聞く耳を持たないのだから、どうにもならないだろう。
■南無華厳 道山道院■
≪ 2012:10:22 ≫
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