メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

人生いろは坂

終わりの見えない原発問題 

2013年09月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 私はかつて高校時代、原子力研究班というクラブ活動に入っていた。
顧問の先生はM先生と言う物理の先生だった。先生の指導の下に、当時としては
もっとも話題性のあったアメリカやソ連やフランスの大気圏内での核実験の
度に飛来してくる放射能について調査していた。

 手法は至ってシンプルであった。ワセリンを塗った紙を広げておき何時間か
経過したのち回収し蒸し焼きにして残った灰をシンチレーションカウンターに
かけて放射線量を測定するというものであった。

 詳しいことは覚えていないが核実験の報道後、必ず何日か後に核実験の塵は
飛来した。学校から少し離れた山頂で採取したこともあった。回収時に道に迷い
暗くなってやっと下山したこともあった。今となっては懐かしい思い出である。
こうした苦労も興味のほうが先に立ち、苦労を苦労とも思わなかった。元気の
いい青年時代のことであった。

 こうした調査を続けていたある日、先生から野菜の葉に直に感光紙を当てて
調べてみたらどうかという指導を受けた。さっそくキャベツだったか白菜だったか、
とにかく大きな葉物野菜を感光紙の上に置いて、しばらくした後に感光紙を
現像してみると、驚くことに点々としみのように白くなったところが写っていた。
すべては放射能によるものであった。放射能の強い電磁波によって感光紙が
感光したのだ。その数は並みの数ではなかった。大小の点々が無数と言って
いいほどあったのだ。

 あの当時、マスコミの報道はどうだったのだろうか。確かに被爆国として
声高に核実験反対を叫んでいた。しかし放射能による健康被害の報道は
されていたのであろうか。ほとんど記憶にない。記憶にあるとすれば葉物野菜は
できるだけよく洗って食べなさいと言うくらいのものではなかったろうか。

 むろん水道水も飲んだであろうし野菜も食べたであろう。あの当時、南半球も
北半球もすべてが放射能に汚染されていた。核実験は何度となく繰り返し行われた
ために減少してはまた増え、増えては減少していくことを繰り返していたはずである。

 そのうち、大気圏内の核実験はインドが加わりパキスタンが加わり中国が加わった。
地球上に撒き散らかされた核物質の量は並みの量ではない。中国からの塵は偏西風に
乗って一挙に中国本土や日本列島や朝鮮半島などを襲ったに違いない。

 かつてビキニ環礁付近で日本のマグロ漁船がアメリカの核実験による死の灰の
洗礼を受けた。このときは乗組員にすぐ影響が現れた。放射能被爆による体の
急性異常であった。船員さんたちにひどい放射線障害がでたのだ。
今ではほとんど忘れ去られてしまった感のある第五福竜丸事件である。
むろんビキニ環礁付近に住む南の島の住民たちにも大きな被害をもたらした。

 大きいとはいえ地球は一つである。その影響は一か所にとどまらない。
広く地球全体に害を及ぼす。放射能は手の付けられない厄介者である。
人間が素手で扱うことができないようなものをなぜ使ったのか。悪魔の誘惑に
負けたとしか言いようがない。

 私はチェルノブイリの原発事故があった時、そして福島の原発事故があった時、
言いようのない恐怖に襲われた。世界中にばらまかれたわずかな塵の中でさえ
感光紙を著しく感光させてしまうような放射能が見て取れた。

 水素爆発とは言え今は原発というまさに核爆弾と同じものようなものが、
異常反応を生じ今も続いているのだ。この手の付けられないようなものを
誰がどのようにして収束させようと言うのであろうか。

 そしてこの地球上には数えきれない核爆弾や核施設がある。今回の事故の
ようにいつなんどきこのようなことが生じるかもしれない。そうなればますます
放射能汚染は広まるばかりである。

 放射能による環境問題は他の環境問題と同じテーブルで語ることはできない。
しかし人間という欲望の塊がこのような危険極まりないものを作り出したことは
間違いない。欲望におぼれ豊かな生活を追求した結果が電力を必要とし原発を
許してきた。悪魔の誘惑におぼれたとしか言いようがない。

 そして今も福島もチェルノブイリも終わってはいない。また核兵器は未だ
温存されたままである。制御不可能なものをなぜ作ったのか、そしてなおも
作ろうとしているのか。その原爆や原発の恐ろしさを一番良く知っているものが、
他の国にそれを売ろうとしている。正気の沙汰とは思えない。

 知らないということは恐ろしい。原発といえども周辺機器は化学会社でいう
高圧設備に他ならない。熱源が核燃料というだけのことである。だからこそ
原子力保安院と言うところが化学会社の高圧設備と原発とを管理している。

 しかし現場のことは現場を経験したものしか分からないことがたくさんある。
冷却系の配管が壊れたら原発の冷却はできない。水で冷やすことが出来なければ
今回のような悲惨な事故となる。

 私自身も使用済みの核燃料棒が冷やし続けなければならないものだとは知らなかった。
そのようなものが他にこの世の中にあるだろうか。実に厄介なものだ。冷却系の
配管はいくら頑丈に作ったと言っても老朽化していく。地震にも弱い。
今回も地震がもっと強烈だったら津波ではなく地震で壊れていたかも知れない。

 その程度のものが原発にも使われているのだ。一方、冷却に使うポンプもポンプの
動力源である電動機も電気制御設備も水には弱い。水をかぶったら再び使うことは
出来ない。

 こんな自然災害に弱いものを使っているのが原発である。そしてなお怖いのは、
その恐ろしさを知らない人が経営トップや政治家にいるという事実である。

 所詮、原子力設備と言えども人間サイドの問題なのである。この人間が
考えを変えない限り原発問題は終わらない。私たちは電気という貴重なエネルギーを
いとも簡単に手に入れている。そのために水道の水と同じような次元で考えては
いないだろうか。便利さゆえにその便利さにおぼれ湯水のように使ってきた。

 一人一人がもっと省エネを心がけ電気の使用量を減らさなければならない。
それが地球温暖化を軽減し原発を一基でも止めることにつながらないだろうか。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ