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人生いろは坂

自然農もどき 

2013年11月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 先のブログで食の問題について書きました。食の基本にあるのは農業の問題です。
農業のあり様を抜きにして食の問題を考えることは出来ません。日本の農業は様々な
問題を抱えています。

 早くから言われてきたのは後継者不足の問題です。日本の産業は農業を基礎に
発展してきました。戦後の物不足の時代から始まって高度経済成長期を契機に
大きく産業構造は変化してきました。

 製鉄だとか化学等と言った重厚長大型産業と言われるものが発展し、田舎の
労働力はコンビナートなどへ吸収されていきました。そのため農業人口は激減
しました。長男、次男だけでなく働き盛りの男性は、みんなこうした産業に吸収
されていきました。そして集団就職などで都会と言われるところに人口が集中する
ようになりました。

 家族総出の農業から耕運機や田植え機、刈り取り機などと言う農機具が、減った
農業人口の代わりをするようになりました。人が関わる農業から機械がする農業へと
変わってきました。その結果、農家は機械代の支払いに追われるようになり、出稼ぎや
近くに工場などがある場合はそこで働くようになりました。いわゆる兼業農家です。

 田舎にはじいちゃんやばあちゃんや父ちゃんや母ちゃんが残され、三ちゃん農業と
言う形態が生まれました。父ちゃんや母ちゃんが元気な間は良かったのですが、
こうした世代が高齢化し農業が続けられなくなったときに問題は生じてきました。
多くの耕作地は放棄され、中には一村丸ごと住民が居なくなったようなところも
あります。急速な過疎化と高齢化が同時に進行し始めたのです。

 更に輸入自由化が拍車をかけました。農作物の自由化は競争力に欠ける日本の
農産物には非常に不利です。そして今はTPP問題です。重厚長大型産業や輸出産業の
あおりを食い、自動車や家電製品の輸出と交換条件のようにして日本の農業は
切り捨てられていきました。

 食糧の自給率はわずかに40パーセントと言う状況です。先進国と言われる
国の中で自給率が40パーセントという国は恐らく日本だけではないでしょうか。
農業は国の要だと言われながらこの状態です。そして輸入農作物には様々な問題が
あります。農薬汚染の問題、遺伝子組み換え農作物の問題、狂牛病やウイルス感染
の疑いのある肉食類の問題などです。

 こうした状況に歯止めをかけたいと、ささやかながら立ち上がった人々がいます。
農業はきついもの、汚いものと言う常識を覆すような動きです。その一つが自然農です。
きつい農作業を楽にしたい。お金のかからない農業を目指したい。そうした思いが
一つの形になって木村秋則さんなどを代表とする自然農の考えが広がり始めています。

 まずは耕さない。農薬や化学肥料は使わない。除草は最低限にしておく。そして種は
F1などと言うものは使わない。昔からその土地で栽培し改良されてきたものを使う。
こうすれば安上がりで楽して収穫が得られると言うわけです。

 言葉では簡単に言えますが、なかなか出来ないことです。それは私たちの頭が
従来型の農業を良いことだとイメージしているからです。その一例として雑草一本
生えていない農地が良い農家(篤農家)のものだと言う考えです。

 私自身も若いころは体力に任せて雑草一本生えていない整然とした畑を目指して
いました。果樹が害虫にやられないように前もってきつい農薬を使っていました。
専業農家でもないのに動力式の噴霧器まで使っていました。それでも収穫量には限界が
ありました。そもそも私の体力が続かなくなってきました。それどころか体を壊す
ようなことになってしまいました。農薬によるアレルギー症状や腰痛などです。

 体力が衰え腰痛などになる連れ、今までのような農作業を続けていては長く続かない
と考えるようになりました。専業農家でもないものが、そこまでする必要はないと
気付いたのです。

 それからは如何に楽をして農業を続けるかを考えるようになりました。それが私の
「自然農もどき」の始まりです。そして木村さんが気付いたと同じように自然に
あるものは手入れもせず、むろん農薬や肥料をやらなくても、また炎天下で水さえも
枯れてしまうこともなく繁茂している山の木々のことを考えるようになったのです。

 何か自然そのものに大きなヒントがある。そんなことを考えているときにNさんに
出会いました。まあ見て下さいと案内して貰ったのがNさんの水田でした。その水田は
耕さず、冬草は枯らせ田に水を入れて腐らせる。それが肥料に。春先の雑草に覆われた
水田の上では何羽ものツバメが飛び交っていました。周辺の水田では見られない光景
でした。

 そして二度目に訪問した時には一本ずつ植えた稲が見事な株になっていたのです。
周辺の水田の株の太さより何倍もの太い株でした。これが、稲そのものが持っている
力だとNさんは語ってくれました。そして水を張った田んぼにはメダカやタニシなど
田の生き物がたくさんいました。農薬や化学肥料を使わない自然農による水田の姿
でした。

 その水田の近くにNさんの畑がありました。この畑には草がたくさん生えていました。
除草は一切しないと言うことでした。その代りに種を蒔くときと、蒔いて芽が出始めた
頃だけは雑草に負けないように野菜が適当な大きさになるまでは刈ってやるのだとの
ことでした。その時もすでにピーマンやナスビがたくさん出来ていました。通常の畑と
何ら変わらない出来でした。

 その時の私は真似のできないことだと感じていました。まだまだ耕すことや除草は
私の意識の中に残っていたからです。余談になりますが農業はかなりその人のものの
考え方(思考や思想)が強く反映されます。近所の畑の野菜の出来が良いと必要のない
肥料を撒いたりします。

 野菜の管理についても大らかな人と小さなことまで気になる人とはまるで異なった
ものになります。ある意味、子育てに通じるものがあるかもしれません。今になって
考えると、何もそこまでする必要はなかったような事が少なくないのです。でも若い
頃には、それが許せませんでした。

 農業は大らかな気持ちで取り組む方が良いのかもしれません。ともかく今は除草は
最低限、畑は出来るだけ耕さない、小さいことは気にしない、そんなことを目指して
います。まだまだ完全な自然農にはほど遠い状況です。

 しかし果樹畑だけはかなり自然農に近づいてきました。収量は全く落ちていません。
それどころか土壌改良のためEMを使い始めて収量は確実に増えています。そして
隔年結果が緩和されつつあります。地力が上がってきたのではないかと思っています。

 私の「自然農もどき」は当分の間、試行錯誤の状況が続きそうです。そして更に
ものの考え方を変えていく必要があるようです。「自然農もどき」が完全な自然農に
なるまで。

 

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