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太田知子の いきいき!健康長寿

“いきいき健康長寿”を実践された宮原武義さん 

2014年01月11日 外部ブログ記事
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羽村市在住の画家、宮原武義さんが亡くなった。
大正14年生まれの88歳だった。
それを知ったのは3日前。宮原さんの息子さんという方から電話をもらった。
一人暮らしだった宮原さんは、自分にもしものことがあったら、この人たちに知らせてほしいと名簿を残していたという。
その中に私の名前があったらしい。
 
 
宮原さんとの出会いは10年ほど前。地域新聞社の編集長をしていた私のもとへ、品のある白髪の老人が数枚の絵を持って訪ねてきた。
「これらの絵を新聞に載せてほしい」という依頼だった。
その絵は、可愛い猫や犬が竪琴をひいていたり、バイオリンをひきながら踊っていたりといった、思わずクスッと笑ってしまう楽しい絵だった。
 
「この世の中は悲しい事件や暗いニュースが多い。だから私は絵画の中にユーモアを表現したい。そして、私の絵を見た人に元気になってもらいたい」と話していた宮原さん。その目が少年のようにキラキラ光っていたのを今も思い出す。
 
宮原さんは自らの作品を「漫風画」と名付けて、アートの世界で1つのジャンルとして確立することを目指していた。
漫画ではなく、漫画のようなユーモアのある絵という意味だろう。

そのために「ぜひ力になってほしい」と言われていたが、私には宮原さんが個展を開く時に観に行ったり、絵葉書を買ったりするくらいしかできなかった。
 
宮原さんは精力的に漫風画を描き、自ら売り込んであちこちの画廊でしょっちゅう個展を開いた。
漫風画を広めたいと、描き方を教える教室も開いていたようだ。
そのパワーには、いつも圧倒されていた。
 
高齢になると、若いころの思い出とか、後ろ向きの話が多くなるが、宮原さんからそういった話を聞いたことは一度もない。
自分の漫風画をいかに世の中に広めるか、いつも未来を見ていた。
「高齢になっても宮原さんのように前向きに生きたい」と、私はいつしか宮原さんを人生の師と仰ぐようになった。
 
コーヒーが好きで、午前中はいつもカフェで絵の構想を練っていた宮原さん。
息子さんの話では、大晦日に電話で話した時は元気だったという。
年が明け、新年3日に急に具合が悪くなり、知人が救急車を呼んで入院させた。
その翌日、亡くなったとか。死因は肺炎だそうだ。
最期まで介護されずに、いきいきと前向きに88歳まで生きた宮原さん。
まさに、「いきいき健康長寿」を実践された方だ。
 
葬儀には参列できなかったが、遺作展にはぜひ伺いたい。
そして、宮原さんの絵から元気をもらいたい。
 

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