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人生いろは坂
出会いその不思議2
2014年01月27日
テーマ:テーマ無し
T氏との出会いから玉島での活弁は始まった。T氏との初対面は玉島の長尾で行った環境に関する講演の場
であった。私はピースーボートの旅から帰って以来、環境に関し大いなる関心を寄せていた。こと地球温暖化は
非常に大きな問題だと思っていた。
それは地球の反対側の南半球でも様々な問題が日常的になりつつあることを知ったからだ。早速、帰国して
からは、そうした集会や講演会などに出かけるようになり、その延長線上に岡山県が募集していた地球温暖化
防止活動推進員としての活動があった。
当初は、もっぱら環境学習センターが主催する環境イベントでのお手伝いや学習会、そして次第に私自身の
経験や思いを伝えたくなって各地での講演活動を始めるようになった。その一つが玉島の長尾での講演だったと
言うわけである。この場に来ていたのがT氏であった。同世代だという気安さもあって名刺を交換し、その際、
活弁士をしていることを話した。T氏は活弁士ということにいたく関心を示し、後にセントイン倉敷での活弁に
繋がることになる。
いつかは玉島の地でも活弁をしたいという思いは意外なほど早く実現することになった。それが出会いその不思議1
で紹介した玉島観光ガイド協会のNさんからの引き合いだった。その時の活弁を見ていたのが映像や音響などのお世話を
してくれた同ホテルのフロント係の若い人であった。彼の口添えがなければ佐々木亜希子弁士の活弁はなかったに
違いない。
そして、先のT氏の所属している団体が新規に活弁の取り組みをしてくれることになった。その団体には、この
ホテルのオーナーであるT氏も入っていた。このT氏のやろうと言う一声がなければ実現しなかったかも知れない。
全ての始まりは人と人の繋がりからであった。
こうして児島活弁シネマライブの延長線上にセントイン倉敷での活弁口演が実現した。当初の私の目論見としては
私たち夫婦の活弁で、活弁なるものの知名度を上げ本格的に取り組むことが集客力につながると考えていたのだが、
ついに実現することなく、いきなり佐々木亜希子弁士のライブとなってしまったのは残念なことであった。
活弁に関する知名度が皆無に近い状態ではあったが200名ほどの人が詰めかけてくれた。佐々木亜希子弁士の
名調子と野原直子氏の名演奏によって会場は感動の渦が巻き起こった。映画は入江たか子、岡田時彦主演の「滝の白糸」
であった。笑い、ため息、すすり泣きが会場のあちこちから聞かれた。
ある老夫婦は活弁が終わっても興奮さめやらぬと言った様子で演奏を終えたばかりの電子楽器を不思議そうに
眺めていた。どこからあのような音が出たのか不思議だったに違いない。
この会場へ出向く際に玉島のエレベータの中で何とも懐かしい人に出会った。その人はNさんと言い、私たちが
デジタルミュージアムで初口演だった時に司会をしてくれた人であった。実に数年ぶりの再会であった。それにしても
活弁が玉島初進出の時に乗り合わせた同じエレベータで出会うとは・・・・。
早速、今日の口演の話をしたらぜひとも会場へ出向きたいとのことであった。他に予定などは入っていなかった
のだろうか。ご夫婦で駆けつけてくれた。それにしても偶然とは思えないような不思議な出来事だった。
そして、不思議な出来事の極めつけは金光教合楽教会の先生夫妻との再会劇であった。私たちがその前の年の秋に
合楽教会で「子宝騒動」を口演させて貰って以来のことであった。お互いの姿形も出会う場所も異なっていたので
普通なら危うく見過ごしてしまうところであった。
その日、児島市民交流センターは「せんいのまち児島フェスタ」の日で大混雑していた。私も他の会場を見てセンターへ
帰ったばかりの時であった。何気なくセンターの受付前に行ったとき、何処かで会ったことのある人のようであったが、
まさかこんなところで出会うなどとは考えてもいなかったので、似たような人がいるものだなあと不思議に思っていた。
相手の先生も同じように思っていたらしい。そして、どちらからともなく気付いた。何故こんなところに・・・・。
お互いにそう考えていたに違いない。
いつも先生と行動をともにしておられる奥さんはどこに? 聞けば昨晩、泊まったのが倉敷のホテルだったこと。
そのホテルに置いてあったチラシに児島フェスタのことが書いてあり、子供さんたちのジーンズを買うために、
わざわざ初めての土地である児島へ立ち寄ったとのことであった。
この日ばかりは運命の不思議さと言おうか人の縁の深さと言おうか、鳥肌が立つような気がした。現に私は不思議さに
鳥肌が立っていた。大混雑を極めていたセンターの受付という限られた場所で、なおかつ駐車場が見つからないので
受付に相談に来た、そのほんのわずかな時間の出来事であった。
こんな経験も初めのうちは偶然の出来事だと軽く考えていた。しかし、偶然が度重なるようになると、それは偶然では
なくなってくる。今も同じように偶然とは思えないようなことが続いている。そして、その時は一生懸命で、そんなことなど
考えたこともなかった過去の出来事を振り返ってみると、過去の出来事の全てが偶然ではなく必然だったことに思い至る
ようになってきた。人生のレールは初めから準備されていたことなのだと・・・。
追記:昨日の夕方に発行された山陽新聞の夕刊に私たち夫婦の夫婦活弁士としての活動が記事となって掲載されました。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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