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人生いろは坂
あなたの祖先は誰
2014年03月02日
テーマ:テーマ無し
人の縁と言うものは実に不思議なものです。知らなかったけれどごく身近に、こんな繋がりで親戚関係にあったんだと言う
ことがありはしないでしょうか。現代に生きる私たちは身近にあって親戚だと言う人をあまり知らない。知らないと言うより
関心が薄いと言った方が適切だろうか。
昔は結婚となると誰それの家には、こんな親戚や人が居てと誠にうるさかった。また中には血統がどうだとかこうだとか
言うおじさんやおばさんまでいてなかなかに口うるさかった。
それと言うのも本人同士の結婚と言うより戦前のような家と家の結びつきを重んじていたからだ。しかし、恋愛結婚が
当たり前になり、そんなことを口にするような人は少なくなった。それでも密かに差別問題などは残っている。
私は随分前に家系図を作るべく母方の戸籍謄本を取り寄せたことがあった。ところが戸籍の取り扱いをしている役場の
窓口から丁重なお断りの手紙が来た。明治維新前の戸籍については発行できないというのだ。明治維新のとき被差別撤廃と
言う法が定められ、それによってそれ以前の戸籍は公開できなくなっているとのことであった。
従って、今は明治以降のものしか入手できない。それでも知らない情報がいっぱいあった。「ほう」自分の家系には
こんな人もいたのかと言うような情報である。私たちは身近なことなのに意外にも知らないことが多い。
名家には家系図があり、その家系図によって江戸時代までさかのぼることも出来た。また、菩提寺には過去帳があり
過去帳からも情報を得ることが出来た。しかし多くは口伝によって語り継がれてきた。私も父方の叔母から様々な情報を
得ていた。それでも圧倒的に情報量としては少なかった。
そんなことに深く関心を持つほどの年齢でなかったことにもよる。今ならもっと色んなことを聞いておけばよかったと
後悔している。家族間でこのような話をする機会がほとんどなくなった今では、伝わるべきものはほとんど何もない。
かつて彷徨う魂のことを書いた。拠り所を失った魂が様々な事件を起こし、生きる希望を失ったものは自殺に走る。
そして高齢化は私たちから否応なしに記憶を奪っていく。こんなわけで自分のルーツなど問題にならない時代になって
しまったようだ。
さて、自分のルーツはともかく自分が今日あるのは誰かの遺伝子を受け継いでいるからだ。相次ぐ天災や不幸に見舞われ
ながらも生き続けてきた遺伝子が脈々と体の中には受け継がれている。この世に生を受けるチャンスは遺伝子的に考えると
きわめて少ない。
そして明治から江戸時代、戦国時代から室町時代、更に鎌倉時代から平安時代と時代を遡ると、私たちの遺伝子は誰かの
血脈を通じて受け継がれてきた。その膨大な祖先の中にどんなドラマが隠されていたのだろう。そして今は対立している
相手こそはごく近い血脈のものかも知れないのだ。
そう考えてみると争い事や奪い合う心は実に愚かなことだと言うことに気付かされる。まして今は日本人としての遺伝子
血脈のことを語っているが、そう遠くない過去には大陸のどこかへつながっており、更には人類発祥の地とされるアフリカ大陸
へと繋がっているにのだ。
人類は80億にも達する膨大な数に増えたが、ゆえに自分と言う存在を見失っている。そして、すぐ隣の人間でさえ敵だと
して銃口を向けている。私たちの祖先だった人達がそれを見たら何というであろうか。そんなことのために私はあなたを
子孫として残したのではないと言うに違いない。
シリアにエジプトに、あるいはウクライナに戦火は及ぼうとしている。そして多くの人々が明日の希望もなく、その日
食べるものさえなく飢えている。そんなくだらない争い事をしているときであろうか。馬鹿なことを言ううなと言う人が
いるかもしれない。誰が海の上や陸上に国境を定めたのか。時の権力者が自分の欲望に赴くままに戦争を仕掛け、その結果
越えてはならない鉄条網を張り巡らせただけではないのだろうか。
私たちは、いい加減に目をさまし欲望や権力欲におぼれた人の支配下から抜け出さなければならない。私たちはもっと自由で
あるべきだ。もっと大きな視野でものを見るべき時代に突入しているのではないだろうか。戦争のない真に平和な時代は
誰かに委ねていたのでは実現しない。
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