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パトラッシュが駆ける!

先生を教える 

2014年04月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

N氏が笑わなくなった。
良いことだ。
囲碁において、感情をあらわにすることは、
美しくないとされている。

今までは、勝つと高笑いをしていた。
相手が投了するや「あはは」と大口を開け、
さらに楽しそうに「ひひひ」と余韻を響かせた。
私は最初、何だろうこの人はと思った。
勝てばうれしい。
その気持がストレートに出る。
つまりは、子供のような人なのだと推測した。

しかし、率直な感情表現を、相手の目の前でやるのは、
いかがなものか。
やられた方は、悔しい。
よーし、それなら・・・
リベンジを考える。

私だってそうだ。
次は、その鼻を、へし折ってやると、闘志を湧かせた。
碁において、上位者の力を、見くびってはいけない。
本気でかかれば、下位者をやっつけるくらい、雑作もない。
と言うことは、普段は100%の力を、出していないことでもある。

もちろん、そんなことは、おくびにも出さない。
闘志を内に秘めて戦い、今流行の「倍返し」をやった。
もちろん、そこで、喜んだりはしない。
仮にも私は、先生だ。
非礼に報いるに、非礼をもってしてはいけない。

 * * *

私の囲碁サロンの客に、三人の先生が居る。
医者に歯医者、そして、税理士である。
私も先生だが、それは自称であって、彼ら三人は、
広く社会に認知された先生だ。

この三先生に、共通点がある。
人の言うことを聞かない。
ふんふん・・・
教えても、うわの空で聞いている。
あからさまに、反論する先生さえ居る。
「いいんだ、そんな些細な石は」
「でも、これを捨てるのは、一局の運命に関わることです」
「いいんだ」
「だったら、最初から、取られる石を、増やさなければいいのに」

自説に固執する。
それなら、教わりに来る意味が、ないではないか。
それでも不思議に、彼らはやって来る。
そこがわからない。

三人とも、普段先生と呼ばれている。
人に教えることはあっても、教わることなど、ないのであろう。
その癖が、碁を打つ際にも、出てしまうのであろう。
先生を指導するとは、何と難しいことであろうか。

 * * *

可愛い子には、旅をさせろという。
私のサロンでしか、碁を打ったことのなかったN氏が、
隣町の碁会所に行ったようだ。
何回か通ううちに、そこで、手ひどい扱いを受けたらしい。
いや、ひどくない。
世間で、ごく当たり前の、対人関係に直面しただけだ。

「僕は毎日、患者さんと接しているでしょ、
だから相手の気持がわかるんだ」
「ほう」
「僕とは、対局したくないような、そんな素振りを見せるんだ」
元々が、ふてぶてしい印象のあるN氏である。
他の客から、対局を忌避されたとしても、それは仕方あるまい。

「それで、勝つと笑うんだ」
「ほう」
これも、想像に難くない。
お返しであろう。
N氏はそこでも、例の笑いをやったのであろう。
因果応報というやつだ。
やられたことを、やり返されたに過ぎない。

私は、N氏の愚痴るところを、黙って聞いている。
それは、ひどいですね・・・とは言わない。

それは本来、私が厳しく、教えねばならないことであった。
しかしN氏は、客である。
このサロンに対し、月々、かなりのおカネを払ってくれている。
そこに多少なりともの、遠慮があった。
だから、隣町の碁会所の皆さんの、
N氏に対する冷たい仕打ちには、むしろ感謝しなければならない。

 * * *

テレビに見る、プロ棋士の対局態度は潔い。
終局に際しては、特にだ。
勝者は端然と座し、寡黙だ。
敗者がむしろ饒舌であり、もちろん苦笑だが、
その顔に笑みさえ浮かべている。
その場面を一瞥しただけでは、どちらが勝ったのか、
分からないくらいだ。
もちろん、相手を慮ってのことである。
これ、相撲や柔道、剣道などにも共通する、日本人の美風であろう。

私もこれを、見習いたいと思っている。
だから投了する時は、大きな声で「負けました」と言い、
深く頭を下げる。
N氏に対する時は、ことさらにであった。
見習ってほしかったからだ。

勝ったN氏が、笑わなくなっただけでも、
少しは進歩と見るべきだろう。
いや、そうとも言えない。
まだわからない。
敗局に際し、きれいに投了が出来るか・・・
その頭を、下げられるか・・・
これは、笑いを止めるより、もっと難しいことだ。

私がやるのは、碁を教えることだ。
棋力の向上、それだけを図れば、いいはずであった。
ところがその途中で、人格の壁に突き当たる。
それで困っている。
その壁の除去、あるいは矯正なんてことが、
この私に出来るはずもない。
特に「先生方」だ。
皆さん、プライドが高くていらっしゃる。
素直で謙虚な先生というものを、私は見たことがない。
それで困っている。



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そうです

パトラッシュさん

トパーズさん、
その通り、「可愛い子には、他人の飯を食わせる」のも、一つ方法かもしれません。
あまり可愛くない子ですが(笑)

2014/04/28 08:41:54

謙虚になるために

トパーズさん

先生方は、もっと隣町の碁会所へ行って、
叩かれてくると、宜しいかと・・・・

2014/04/19 08:11:11

人間性

パトラッシュさん

風香さん、
「上から目線」まさに、その通りです。
その分野だけならまだしも、世間に出た時にも、
その癖が表れてしまうのですね。
残念ながら、心から「先生」と言える人が、私のサロンには居なくて、それで困っております。

2014/04/09 07:31:54

類は類

パトラッシュさん

SYOKAZEさんの周辺には、良い先生がおられるようですね。
それはつまり、SOYOKAZEさんの人徳によるものかもしれません。
私の周辺では、あまり見かけません。
私が変わり者だから、変わり者しか、寄って来ないのかも・・・

2014/04/09 07:25:13

先生って

さん

上から目線の仕事の人が一番タチが悪いとおもう。
数の中にはたま〜に良い人もいますが、たま〜にだから目立ちます。

聞いたことあるのですが「先生、先生と言われるバカでなし」って、自分に言い聞かせる言葉かしら?
私の経験では教師と医師が東西の横綱です。

突き詰めれば人間性にあたりますね。

2014/04/08 17:00:32

一般的にそうですね

さん

でも、中には先生でも謙虚で常に反省し、努力を重ねる方、人格者がいらっしゃる事だけはわかって欲しいです。

私の尊敬する数名の先生方と去年、結婚式を挙げた私の息子より若い友人です。

先生、警察官、坊さん、この団体が店ではワーストスリーです。
だから、さもありなんと思うのですが・・

実るほど首を下げる稲穂になって頂きたいですね。
ましてや囲碁の勝ち負けで笑ったりなど、品が無い事!
しかし、商売でもあるから無下にはできず、テクニックと共に大事な作法も指導したいがままならぬ・・
精々他所で叩きのめして貰いましょう(笑)

私は、困った方にお坊ちゃまも入れて欲しいです。
職場の人事異動で来た若い社員さん、全く仕事ができないのに、古参の仲居に礼を尽くして教えて貰えばいいのに、自分のやり方を貫き失敗の尻拭いは私達、嫌味の一つもチーフに言われたら後ろを向いて顔は真っ赤で怒りを抑えている。
プライドってなんなのかしら?と思うこの頃です。

2014/04/08 08:52:48

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