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覗けば漆黒の底(38) 

2014年05月16日 外部ブログ記事
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覗けば漆黒の底(38)

 その期間の大半はこの街に居なかったとしても、益川加奈枝が自死するまでの九年間、曲がりなりにも多治谷はこの街で結婚生活を送っている。
 狡猾で残忍、さらには好色で、あくなき権力への執着心・・・それが多治谷という男の正体だ。
 この前田警部補による多治谷評からすれば、多治谷がこの街で結婚生活を営んだのには、一体何の目的があったのだろうか。
 前田警部補の多治田評のすべてが的を射ているとしたら、命も取られかねない弱肉強食のあの世界から、一歩も二歩も離れた、いや、まるっきり真反対の世間に、自分なりの別世界を創って心の安らぎを求めただけ、だとは到底思えないではないか。
 兄弟姉妹の中で唯一、多治谷との婚姻関係に離反していた、弁護士である益川加奈枝の姉の行動が、多治谷の正体を知ってのことだったとしたら、益川加奈枝の名義で家を建てたからという理由だけで、果たして、妹夫婦に離反する気持ちの矛先を収めるだろうか。
 そういえば、その未だ独身である姉の益川登希子は、確かY工業の顧問弁護士であったと芳村は記憶している。
 Y工業には、四年前の株式上場にあたってインサイダー取引があったと噂され、三年前には、実際に経営陣や経理部長であった恭子の夫が事情聴取されたのではないか、という噂から一段格上げされた現実的な情報が流れたこともある。
 そのことに関わって多額な利益を得たのが多治谷だったとしても、Y工業の株式上場の五年も前から、Y工業の顧問弁護士の妹である益川加奈枝と婚姻を成し、その機会を虎視眈々と狙っていたなどとは、とてもではないが思えないし、この街の地場産業にあって、確かに胸を張って誇れる精密機器会社ではあったが、十二年前に今のY工業の成功と隆盛を想像できたかといえば、経済畑出身の芳村であっても、それは無理だ。
 人知れぬ地道なコツコツとした努力と、時流に乗れた上々の運気とが相俟っての今のY工業だろう。
 とかく人間というものは、他人の成功を素直に喜べず、妬みと嫉みと勝手な想像で、好き勝手なことを言うものである。
 それにしも、多治谷が益川加奈枝と結婚した目的は、一体、何だったのだろう。
 Y工業といえば、恭子の夫である。
 芳村の抱いている疑念は、Y工業の経理部長である恭子の夫が芳村たちと同年齢であることから、もし、その夫が芳村と同じ大学の出身であり、多治谷と面識があったのであれば、多治谷のターゲットになったのは、恭子の夫ではないだろうか、ということだ。
 経済学部の同窓に、この街出身の的田という男がいたことを、おぼろげにではあるが、芳村の記憶に残っている。
 このことを確かめなければならない、
 ここのところ、学生時代の多治谷についての記憶をたどるのだが、空手部に所属していた猛者であったという記憶もあるが、外見は優等生然としていて、学業にも殊のほか勤しみ、文武両道に秀でた好印象の男としてしか、芳村の記憶からは出てこず、むしろ、同郷の前田の方が、ちょっとしたワルであったような印象もあるが、これも三十年近くも前のことで、いずれとも深く関わる交際のなかった芳村には、いま一つおぼろげなのである。
 小関裕翔が引き起こした青木舞彩との無理心中事件だが、二人に電話をして二人を遭遇させ、事件の引き金を引いたのが恭子だとして、それを多治谷が指示したのだろうか。
 現場に恭子がいたとして、それを隠すために多治谷が入れ替わったと前田警部補は言うが、何のためにだ。
 本当に三年間にわたって、多治谷は小関裕二の息子・裕翔と青木悟の娘・舞彩を付け狙い、高校を卒業した青木舞彩と関係を持つに至ったのだろうか。
 その以前の問題として、恭子と深い仲になった多治谷の目的は何なのだろうか。
 「はんぱもん」へのタクシーの車中であっても、これだけのことが頭を駆け巡る。
 これらのことの真実を探るなんてことは、それこそ半端なことじゃあないと「はんぱもん」の看板を見た芳村は思った。

「本当にお久しぶりですねぇ。ところで、こんな時間に芳村さん、一体、何事ですか?磯田の親父さんなら二階ですが」
 溝部という磯田の子分も、しっかりと俺を覚えてくれていて、閉店後に訪れたにも関わらず、ちゃんとこうして招き入れてくれた、と満面の笑みを浮かべながら、芳村は言った。
「こんな時間にすまないなあ」

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