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平和塔??日清戦争凱旋碑 

2014年05月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 
  平和塔???日清戦争凱旋碑
広島市南区皆実(みなみ)


明治二十九年(1896)軍・官・民の寄付により「
日清戦争凱旋碑」が竣工されました 
全高16メートルで、頂部に金属製のトビの像が飾られています。
側面に「平和塔」と刻まれています。


広島電鉄宇品線が通る宇品通り(国道187号)の
一本西側の道の「宇品御幸通り」沿いで、
「皆実町緑地」と呼ばれる小さな公園内にあり、
 皆実交番の南側にあります。

原爆投下時、約2.5キロメートル離れたところに
位置していましたが倒壊は免れました。       
昭和二十二年(1947)進駐軍からの糾弾を恐れ、日清戦争凱旋碑と書かれていた部分をセメントで
塗りつぶし平和塔に刻み変えられました。      

背面




背面の日付まで昭和二十二年八月六日に変えられています。(原爆投下の二年後)


              トビ(金鵄?)
  
   公園入口に当時の石標が残っています
    大手町通        東松原停車場通

明治廿九(29)年三月 

公園入口から御幸通り

 
千田廟(せんだびょう)
 

 


 

 



 

 
大正十一年(1922)「行かばわれ 筆の花散る ところまで」
と刻まれています。                
正岡子規が日清戦争の中、大日本新聞社従軍記者として
明治二十八年(1895)に軍用船で宇品から出発した時の句。



千田廟の前から宇品まで御幸通りが伸びています
御幸通りは、明治十八年(1885)明治天皇が広島に行幸した際、広島からの出発地点となった宇品港へ向かう通り道となったことから、御幸橋とともにその名がつきました
当時はこの通りが宇品のメインロードでした。

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