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パトラッシュが駆ける!

トラック野郎と私 

2014年12月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

旧友のYは、個人で大型トラックを所有し、ある会社の、
配送を請け負っていた。
これを「持ち込み」というらしい。
会社の傘下に入らぬ「一匹狼」たるを、誇りにしていたようだ。

映画「トラック野郎」が上映されるや、欠かさずに見ていた。
おのれの腕一本で生きる、トラック運転手の姿に、自身を重ね、
共感したのであろう。
シリーズの、全作を見たと言っていた。
「文太、いいよなあ」
男が男に惚れるとは、こんなことであろう、主演の菅原文太に、
ぞっこんであった。

Yが絶賛したにもかかわらず、私がその映画を見ることはなかった。
トラックに、興味はない。
菅原文太に対する印象も、よくはなかった。
やくざ映画の主演者に対し、それは役の上のこととは承知しつつも、
爽やかなイメージなど、抱けるわけがない。

その点は、高倉健も同じだ。
彼だって、晩年はともかく、若い頃は、任侠だの、番外地だのと、
アウトローの人々ばかりを演じていた。
私は、映画を嫌いではなかったが、その種の映画は、
見たいと思わなかった。

高倉健は、だから、彼の中年から晩年にかけての、何作かを見たに過ぎない。
「幸せの黄色いハンカチ」「鉄道員」などだ。
暴力も任侠も出て来ないから、安心して見ていられた。

菅原文太に至っては、とうとうその映画を、見ることがなかった。
ただの一本もである。
Yとは、古くからの友達ではありながら、そこが違っていた。

それでも何か、互いに認めるものが、あったのであろう、
付き合いは続いていた。
それが途絶えることになったのは、些細な齟齬が原因であった。
それこそ「言った」「言わない」くらいのことである。

考えてみれば、Yとの交友が、それまで続いたこと自体、
不思議であった。
商人と運転手、職業の違いは、さしたることではない。
Yは賑やかであり、一緒に飲んでいる時は、楽しかった。

話が、政治、経済、文化に及ぶと、途端に両者の違いが露わになった。
話が噛み合わない。
そう言えば、映画も文化の一つだ。
まるで好みが、合わない。
歌でもそうだ。
彼は演歌が好き、私はそれを嫌いであった。

ちなみにその後、私は、演歌の良さも、少しはわかるようになった。
歳のせいだろうと思っている。
映画もまた、愚にも付かぬ喜劇が好きになった。
例えば「寅さん」であり「釣り馬鹿」であった。

その寅さんが、映画の中で、インテリを頻りに、嘲笑っていた。
「世の中は、そんな甘っちょろいものでは、ござませんよ」
高らかに笑っていた。
Yもまた、そんなような、ものかもしれない。

私がインテリだと言うつもりはない。
しかし、Yにしてみれば、文太も健さんも好かない私を、
インテリぶった、鼻持ちならない奴と、見ていたかもしれない。

 * * *

菅原文太は、私の家から、そう遠くないところに住んでいた。
町内ではないが、隣町のようなところだ。
その息子は、私の出身校でもある、地元中学校に通っていた。
その同級生は、町内の、そこかしこに住んでいる。

「悪いのとつるんで、遊び回ってるらしいよ」
芳しくない噂も、流れて来た。
必ずしも、不良、あるいは、非行というわけではないであろう。
しかし、スターの息子ともなれば、同じ悪ふざけをやっても、
余計に目立つ。
我儘一杯に育てられ・・・
なんていう憶測が、噂を助長することになる。

さらに、オヤジの方も、新聞沙汰になった。
芸能の方ではなく、私事においてである。
彼の家の隣に、幼稚園があり、それとの間で、
民事上の争いが起きた。
土地の境界を巡って、あるいは、日照権の問題であったかもしれない。
市井人なら、ニュースにならないことも、スターとなれば、
メディアが放っておかない。

その結末は、どうなったのか・・・
誰も覚えていないところを見ると、民事裁判特有の、
調停にでも回され、両者が譲歩し合う、曖昧な決着がなされたのでは、あるまいか。
明確な判決が出れば、そして敗訴ともなれば、
それこそ芸能メディアが、これを報じないわけがない。

実際のところはわからない。
しかし、訴えたのが、今をときめくスター、訴えられた方が、
幼児を預かり、社会に貢献する幼稚園となると、世の人々は、
つい図式的に物ごとを見てしまう。
有名人が、その威勢を嵩に、弱いものを苛めているのではないかと。

私も、その一人だ。
強者のごり押しというものを、想像してしまった。
そしてなおさら、文太を嫌いになった。

 * * *

おや、そんなことを言うのかい・・・
彼を見直すことになったのは、ここ数年のことである。
「原発反対」
これを言い出したのが、菅原文太とは、正直、晴天の霹靂であった。
ほんまかいな・・・
何かの間違い、あるいは、一時の気まぐれではないかと、疑ったりもした。

しかし彼は「特定秘密保護法案」にも反対していると聞いた。
「戦争はいかん。絶対にやっちゃいかん」
と言っているところを見ると、集団的自衛権の問題でも、
その思想とするところは明らかだ。
私とは、考えが近い。
と言うより、そっくりではないか。
そこまでおっしゃるなら、毎週金曜日の、国会前デモに、
来てもらえないだろうか。
そんなことまで、考えるようになった。

人を見直す。
これが私には、ちょくちょくある。
先入観でもって、人を決め付けてしまうところがあるからだ。
そして、思い込んでしまうと、もうそのイメージを変えられない。
そういう固陋なところが、私にあるからだ。

その人となりに、もっと早く気付くべきであった。
死なれてみて、改めて、己の軽忽に腹が立っている。
唯一の慰めは、文さんの生前において、ほんの僅かな時間ながら、
同じ思いを共有出来たことだ。
今はただ、安らかに眠って下さいと、こう言うよりない。
 
その写真の顔の、何と穏やかなことだろう。
やくざや任侠の匂いなど、今はもう微塵もない。
それどころか、むしろ仏様のような温和な目をしている。
「美しく歳を取る」
これ、男にもあるのだと知った。
それにしても、私は気付くのが遅すぎる。

Yは、かつて心酔した、文さんの訃報を、どんな思いで聞いたであろうか。
私はもしかすると、おのれの目に、要らぬフィルターをかけ、
Yをもまた、見誤っていたかもしれない。

あれからもう、随分と時が経つ。
Yだって、顔ががらっと変わっているかもしれない。
売り言葉に買い言葉であった。
些細なことで、縁を切ってしまったことが、今さらのように悔やまれる。



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おやおや

パトラッシュさん

たんぽぽさん、
原因はお金ですか。
それは困りましたね。
銀行員が、お金に不始末とは・・・
人は見かけによらないものですね。

文さんの映画、見ましたか・・・
私も、今となっては、多少の後悔があります。
顔が、あれほど変わった人も、珍しいでしょう。

2014/12/14 18:15:55

私はお金で

さん

高校時代からの友人と切れました。
お金はいけませんね。ましてや彼女銀行に、勤めていました。

菅原文太の映画は、最後の主演映画”わたしのグランパ”を観ました。刑務所から着流しで出てくるシーンはやっぱり・・・という感じでしたが、顔はとても穏やかでした。

2014/12/14 12:34:46

そのままで

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
人間は感情の生き物、誰にでもあるのですね。
袂を分かつということが。
仕方のないことだと思います。

大人になる?
そんな必要はありません。
SOYOKAZEさんは、今のままでいい。
妙に丸くなったら、らしさがなくなります。

2014/12/12 19:58:31

和風で

パトラッシュさん

喜美さんが、やくざ映画を見る光景は、想像できません。
演歌もです。
小唄、長唄の方が、似合っていると思います。
喜美さんの和服姿を、見てみたいものです。

2014/12/12 19:53:24

そういうことって・・

さん

些細なことで縁を切ってしまったこと、私にも何度かありました。

よくよく話せばわかり合えたかもしれないけれど、ある時、無性に「この人とは合わない」って思ってしまったのです。
でも、今思い返しても、やはり同じ結果に終わるような気がします。
友人は俳優さんと違って、極身近に居るから。

私も任侠映画の類は嫌いで、従って、高倉健さんは先日、ナビ友さんの映画紹介ブログで一度観ましたが、寡黙過ぎて、よくわからなかったです。

菅原文太さんは、何かのドラマで、人情味溢れる、酸いも甘いも知り尽くした、大人の包容力を感じる役柄を好演していて、好きになりました。

因みに、私も演歌は未だに嫌いです。
私の生き方とあまりにも違う女性像にイライラしてしまって(笑)

もう少し、大人になりたいです。

2014/12/12 16:57:19

同感でした

喜美さん

やくざの映画 主役が誰でも見たことありませんでした恐ろしくて 事件物は好きで良く見るのに

演歌もこぶしが歌えないし 素直に
歌えばいいのにとか 食べず嫌いですね

二人が亡くなって色々のこと知って
そうだあれは役で演技ではないかと
今更感じました 遅いです

人は接して見てから考えなければと思いました

2014/12/12 16:06:13

あのねえ

パトラッシュさん

彩々さん、
私はとっくに、彩々さんのことを、身近に感じていたのですよ。
それこそ、毎日でもお会いしたいくらいに・・・

でも、近寄って来て下さって、うれしいです。

文さんも、こんなことになるなら、もっと深く知っていればよかった。
Yのことと共に、悔やむこと頻りです。

2014/12/12 13:39:15

ギャップ

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
お読み頂きまして、ありがとうございます。

役者は何時までも役者、見られることを意識して、
完全な私人、野人には、なりきれなかったのかもしれませんね。

仁義なき・・・の頃と、晩年の姿が、あまりにも違い過ぎ、驚かされたものでした。

2014/12/12 13:33:44

シュン…

彩々さん

パトさんのBlogだと、勇んで読ませて
いただきました。

何だか、胸がきゅんとします。
あるある・です。
誰しも似たような関係性や想いを持ちながら
生きているのだなぁと、パトさんが一気に
身近に感じられました。。。

健さんも文太さんも、歳を重ねることが
大事な事なのだと、派手なことをせず
黙っていながら教えてくれる存在でした。
若い時には解らない事が、この年になって
本当に理解できる。
出会うべくして、出会う人というのは
そういうことなんでしょう。

歳をとるのも悪くないと、改めて思いました。

2014/12/12 11:13:14

美しく歳を取りたい

吾喰楽さん

晩年の文太さんは、本当に穏やかな顔をしていましたね。
私は、彼だけではなく、健さんの映画も観たことがありません。
理由は貴兄と同じです。
もっとも、私の場合は、映画自体をあんまり観ません。

晩年の文太さんの農作業姿をテレビで見て、違和感を覚えました。
その姿が、あまりにも決まりすぎていたのです。
何か、芝居がかっていました。

2014/12/12 11:01:23

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