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日々徘徊〜♪

美・坊主 

2014年12月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

モデルは僧侶、視線くぎ付け 奈良で「美・坊主」ショー

 「美・坊主」とされる僧侶10人によるファッションショーが1日、

奈良市東寺林町のならまちセンター市民ホールであった。

会場には約300人が詰めかけ、立ち見も出る盛況だった。

http://youtu.be/bqkMiu2aAR4

今年11月のお話しです。

     ☆

尼さんかいなぁ〜と   思いきや 男性でした。

奈良の坊さんも変わりましたね。イケメン

坊主と言えば、昔は女性は ご法度 大抵女人禁制の山寺



しかし滋賀の延暦寺は 夜な夜な下界に降りて 


花街で遊んだとか

だから 罰が当たり焼き討ちに合うんだ・・。 さて、

昔 安珍と いう名のお坊さんが居ました。

イケメンかは どうか分りませんが 清姫さんがたいそう


惚れこまれたそうな

余りに有名なお話し・・


安珍・清姫伝説とは、

紀州道成寺にまつわる伝説のこと。 思いを寄せた僧の安珍に

裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、

道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている


作り話でもありますが。

その鐘は残っているとか・・・。妙満寺に



延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より


熊野に参詣に来た僧がいた。

この僧(安珍)は大変な美形であった。

紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路:熊野街道沿い)

真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、

女だてらに夜這いをかけて迫る。


安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、

帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、


参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。

騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、

道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。

安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、

更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする始末である。

ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、

火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。

渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。

よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。

しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。

因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。

安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

蛇道に転生した二人はその後、


道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。

住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、


天人の姿で住持の夢に現れた。

実はこの二人はそれぞれ


熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、

          ★★

と法華経の有り難さを讃えて終わる。

まぁ めでたしめでたし・?の最後で終わりますが 


よくよく考えて観ればこの清姫に 見初められたばかりに 

焼き殺されるんですね。

因果応報ってありますが 
一方的な話ではないかな

熊野権現と観世音菩薩の化身であったと えらく遠回しの昔話

テレビのないころ 大和の国は このように 掛け軸に絵を書き

話を広めていったのでしょうか・・   


娯楽 これしかなかったのか・・・。

話は更に続く・・・。

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、


四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、

鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、


女人禁制の鐘供養をしたところ、

一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。

白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、

その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが


一心に祈念したところ、

ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、

新しくできたこの鐘は音が良くない上、


付近に災害や疫病が続いたため、

山の中へと捨てられた。

さらに二百年ほど後の天正年間。

豊臣秀吉による根来攻め(紀州征伐)が行われた際、

秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、


合戦の合図にこの鐘の音を用い、

そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、

顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた。

「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、
石燕の時代には(せきえん 絵師の名前)
妙満寺に納められていることが述べられている。

         ★  

如何ですか この安珍清姫のお話し改めて 読まれ

作り話にしろ この時代に 夜這いするなんて

とても生娘とはおもえん 
凄く開けているとは思いませんか なので今も昔も

男女(の仲) 七才にして 席をおなじゅうせず。 と諺が・・・。

(鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも)



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