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太田知子の いきいき!健康長寿

武蔵国分寺跡を歩いて古代ロマンに浸る 

2014年12月20日 外部ブログ記事
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2014年最後の健康ウォーク「お鷹の道や真姿の池湧水群を歩き、古代ロマンに浸る」を20日に開催した。
この日は朝からどんよりと曇り、震えるほどの寒さ。
しかも、天気予報によると、昼ごろから雨が降り出すという。
「果たして何人、来てくれるだろうか」と心配しながら集合場所の国分寺駅へ向かった。
集合時間の9時半が近づくと、次々と馴染みの顔が現れる。
結局、25人が参加してくれた。
 
まず、早稲田実業学校の校門そばに建つ「日本の宇宙開発発祥の地記念碑」と「王貞治氏第1号国民栄誉賞記念碑」を見た後、国分寺市恋ヶ窪にある姿見の池へ。

恋ヶ窪はかつて鎌倉街道の宿場として栄えた場所で、遊女たちがこの池に姿を映していたことから「姿見の池」と呼ばれるようになったそうだ。
 
池のほとりに青く美しい背色をした鳥がいた。
カワセミだ。
ビルや人家が近いこの場所でカワセミが見られるとは驚きだ。
 
姿見の池には哀しい伝説が残っている。
源氏方の武将、畠山重忠は鎌倉へ行く途中、この恋ヶ窪宿で夙妻太夫(あさづまだゆう)という美しい遊女に出会い、二人は恋に落ちた。
しかし重忠が頼朝の命を受け、平家追討のため西国に出征している時、夙妻太夫に思いを寄せる男が「重忠は討ち死にした」とうそを告げる。
嘆き悲しんだ夙妻太夫は、この姿見の池に身を投げて死んでしまった。
それを哀れんだ村人が夙妻太夫を手厚く葬り、墓に松を植えたという。
そのゆかりの「一葉(ひとは)松」が池の近くの東福寺境内にあった。
 
その後、西国分寺駅を経て武蔵国分尼寺跡へ。
手前にある「伝鎌倉街道」付近は小高い丘になっていて、武蔵野の面影が残っていた。
 
武蔵国分尼寺跡を見学した後、武蔵国分寺跡や七重塔跡へ。
とにかく広い。

諸国の国分寺跡と比べると、武蔵国分寺跡はかなり規模が大きいという。
1300年も昔、ここは武蔵国の文化の中心だったのだ。
 
武蔵国分寺跡には、遠いいにしえの世をほうふつとさせるものがいろいろある。
国分寺薬師堂や万葉植物園を経て、いよいよ「お鷹の道」へ。
この辺りは江戸時代、尾張徳川家の御鷹場だったことから、「お鷹の道」と呼ばれるようになったらしい。
清らかな湧水が流れていて、雰囲気のいい散歩道になっている。
 
とうとう雨が降り出してきた。
しっとり濡れながら歩くお鷹の道は、なかなかロマンチックだ。
 
次回の健康ウォークは来年1月4日(日)。
東久留米の七福神をめぐり、健康長寿と開運を祈願する。
 

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