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人生いろは坂

マッサン 

2015年03月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 春の空は明るい。しかし吹く風は冷たい。「春は名のみの風の寒さや・・・」そう、早春賦の歌詞にもあるように
今はその季節なのだ。しかし、木々の芽吹きには、待ちきれない風情が垣間見える。サクランボの蕾もブルーベリーの
蕾もはちきれんばかりに膨らんでいる。

 NHKの朝ドラも終盤に近付いてきた。我が家の朝食は「マッサン」の放映時に始まる。この度は一馬とエマの恋、
そして一馬の出征という場面であった。懸念された「赤紙」が一馬に来て以来、三日間、一馬の出征を巡るマッサンの
家族と一馬の家族の苦悩や悲しみを描くものであった。

 あの時代には、千人いれば千人の出征兵士の悲しみ、あるいは苦悩のドラマがあったはずだ。その数たるや千や万に
止まらない。何十万と言う若者が家族と別れ戦場へと向かった。何のための戦争だったのか。未だ歴史を明確に解明に
しないまま今日に至っている。

 この国の不幸は何事によらず、全てを有耶無耶に済ませてしまうことにある。それは福島第一原発の事故と安全対策を
怠った時の政府と企業の責任追及の甘さにも表れている。そして事故の解明も進まないままにメルトダウンは続き、今も
なお汚染水の垂れ流しは続いている。

 そして、そうした姿勢は学校における歴史の勉強にも明確に映し出されている。戦後間もない私達の時代も、そして
今日も明治維新以降の歴史については、ほとんど学んで来なかった。何故かしら関係のない鎌倉だとか、平安だとか
戦国時代から江戸時代、それも年表を学ぶかのような、さして問題にはならない年号と、その年に生じた印象的な事件
だけの丸暗記であった。単なる試験のための勉強であった。

 歴史と言うものは年号が必要なのではなく、その事件なり、出来事の検証が必要なのであって、その理由はそうした
過去の出来事から学ぶことがあるのではないかと言う見地から勉強するのである。しかるに年号と事件の表記だけを学んで
何の役に立つと言うのであろうか。今風に言えば「意味が分からん」のである。

 ましてや明治以降の富国強兵に走った時の政府、そして、その後押しをした国民、更には、その後の中国大陸への進出
支那事変や満州事変と呼ばれている中国との戦争、これらの検証なくして今日の日本を語ることは出来ないのではないだろうか。
そして、今また時の政府は大きく道を外れようとしている。こんな時代にあって、こうした過去の歴史は教訓に満ちている。

 戦争に良い悪いの区別はない。戦争はしてはいけない。それは多くの不幸な人を無尽蔵に作り続けるからだ。戦争を
回避するための道は幾つでもある。そして、今日の戦争の多くが理由などあるはずもなく、あるもの達が彼らの必要の
ために作り出している戦争だからだ。そんなものに簡単に乗せられてはいけない。

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