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パトラッシュが駆ける!

まさかの坂 

2015年07月10日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「こんなところで、まさか・・・」
インタビューに答える住民の、その眉が曇っている。
こんな平和な町で、何ゆえに凶悪な事件が・・・という意味だ。
こんな田舎で・・・という場合もある。
そこには先入観があって、人の多い都会でこそ、
事件は起きるはずだと、彼は思っている。

潜伏していた、犯人が捕まった時もそうだ。
「こんなところに・・・」
驚きの声が上がる。
オウムの逃亡犯が、潜んでいた地でもそうだ。
彼が何ゆえに、その地を選んだのか・・・
住民は一様に、首をひねる。

これ即ち、日本が平和だということだ。
凶悪犯罪が少ないということだ。
全国何処へ行っても、そこは常に平穏な
「こんなところ」なのである。
ごくたまに、例外があるかもしれない。
例えば、東京新宿の歌舞伎町や、大阪のあいりん地区などだ。
そこで殺人事件が起きたとして、世の多くの人は、さほどに驚くまい。

しかし、それでも住人は、こう言うだろう。
「ここじゃ、小競り合いはちょくちょくある。
しかし、そんな酷い事件は、滅多にないねえ」
程度の差こそあれ、我が国はおおむね、「こんなところ」なのである。

 * * *

新幹線の中で、自らガソリンをかぶり、焼身した男がいた。
事実関係が次々に、テレビで報じられている。
先ず、男の名が明らかになった。
次のニュースでは、その名の下に「容疑者」の三文字が付いた。
やがて「東京杉並に住む、七十一歳の男」となった。

杉並の住人である私にも、先入観と言うものがある。
東京でもここは、閑静な住宅街が多い。
文化区杉並と、自賛はしないが、他から言われることはある。
物騒な事件は、先ず起こらないだろうとの、妙な思い込みがある。

しかし、よく考えてみれば、杉並区は、人口五十万を超える大都市だ。
種々雑多な人々が暮らしている。
人口比で言えば、東京全体の、二十分の一くらいを占めている。
それと同じ確率で、事件が起きても不思議ではない。
驚くことではないのである。

翌日のことだ。
事件を伝えるテレビの画面に「西荻北四丁目」と、
さらに詳しく、テロップが出た。
歩いて十分ほどのところである。
そこに警察が、家宅捜査に入ったという。
荷物を運び出す、その模様がテレビに映っている。

何かおかしい。
よく似ている。
私は、テレビを見ながら、記憶の中にある、古い木造アパートを、思い出そうとしていた。

 * * *

私は長く金物店を経営していた。
当然のように、錠や鍵を扱っていた。
ちなみに、これはよく誤解されるのだが、
錠とはドア本体に付ける、戸締りの器具、
鍵は、それを開けるための、小さな金属片である。
従って「鍵が開きません」というのは誤りで
「錠が開きません」というのが正しい。

何ゆえに錠が開かないか。
それは鍵を紛失したからだ。
家族が居ない、大家が遠い。
となると、予備鍵の入手方法もない。
部屋の主は、文字通り、泡を食うようにして、
業者の元へと、駆け込んで来る。
私も、その業者の一人だった。
他人の不幸につけ込むようで、気が引けるけれど、
これも一つの業務である。
私は、ピッキングの道具を持って、駆け付けることになる。

ロック錠という簡易な錠があった。
室内側のドアノブに、小さなボタンがあり、これを押すと施錠が出来る。
外出時には、鍵を用いずに、このボタンを押し、ドアを閉めればそれでいい。
安価なこともあり、昔のアパートでは、これが多く用いられていた。

安い代わりに、欠陥もある。
鍵を持たないことに気付かず、施錠してしまうことがある。
あっと気付いた時には、もう部屋に入れない。
これを「閉じ込め」という。
自分が閉じこもったのではなく、鍵を閉じ込めてしまったのだ。

厄介なことに、これがしばしば起きる。
性格が関係するのかもしれない。
一度失敗すると、これに懲り、次は気をつけるようになるものだが、
世の中には、いろいろな人がいる。
懲りないどころか、同一人物が繰り返すのである。

そういう人は、慣れているから、もう泡を食うこともない。
「またお願いに来ました」
落ち着いて、開錠の依頼に現れる。
その度に、数千円のお金がかかる。
それでも彼は、懲りないのである。

女性にもいた。
「毎度のことだから、少しまからない?」と言った。
あのねえ、大根をまとめ買いするのとは、訳が違うんですからと、断わった。
値切るより前に、やることがあるでしょう。
外出の度に、錠を指差し「鍵OK」とでも、唱えなさいなと、教えてやった。

 * * *

大きな欅の聳える公園があり、これを通称し「どんぐり山公園」という。
その脇が、坂になっていて、下ると善福寺川に出る。

この川が四丁目と五丁目の境だ。
ひょいと見回すと、人の群れが見えた。
車も何台か、止まっている。

家宅捜索の余燼は、まだくすぶっているようだ。
テレビクルーが、まだ撮影をやっている。
「容疑者は、三十年ほど前に、ここに移り住んだようです」
女性レポーターが歩きながら話すのを、カメラが追っている。

報道陣の視線の先に、古い木造のアパートがあった。
間違いない。
私に、開錠を依頼した、常連さんのアパートだ。

「一階の真ん中、二号室らしいですよ」
近所の人間だろう、これを親切と言っていいかどうかわからないが、
容疑者の部屋を教えてくれた。

やれやれ、最悪の事態だけは免れた。
私の顧客ではなかった。
容疑者は一階、私の顧客は、二階に住んでいた。

右手のドアを開け、狭い急な階段を上ると、その部屋に突き当たる。
作業そのものは、簡単であって、ものの5分とかからない。
ツールを用いて、シリンダーにテンションをかけ、鍵穴の中に、ピックを突っ込む。
ウェハータンブラーを動かしながら、何度か往復させる。
それだけである。
ロック錠は、構造が簡単だから、そのうちコクンと、ノブが回る。

そのロック錠が、当然ながら、二号室にも付いている。
これが使われるのは、相当に古い建物だ。
今のマンションなどには、ずっと、防犯性能の高い新型錠が、使われている。

こんなボロアパートに、一人住んでいた、容疑者が哀れだ。
そして、私の顧客も哀れだ。
同じように、一人住まいであった。
そして、私に対し、払わなくてもいい開錠料を、何度も払っている。

容疑者と同一人物でなかったのが、せめてもの救いだ。
私は、先ほどの坂道を、今度は上って行った。
「まさか、こんなところに・・・」
この際は、これを言っても、差し支えないだろう。
こんな偶然、滅多にあるものではないのだから。



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おはようございます

パトラッシュさん

うきふねさん、
お読み頂きまして、ありがとうございます。
そりゃ、犬の方が大事です。
女房は、放っておいても、生きて行けますが、犬には自活能力がありませんので・・・

金物屋は減りました。
ホームセンターに席巻されたこともあります。
古い業態が、時流に合わなくなったのでしょうね。
金物屋ばかりでなく、「屋」の付く業種は、軒並み衰退を余儀なくされております。

次に本を出す際は(決まっているわけではありませんが)「閑居堂金物店」の名は、もう使えないかなあ…と、少々残念に思っております。

2015/07/11 07:40:05

おはようございます

うきふねさん

町に沢山あった金物屋さんを思い出します。
昨日、通りがかったのは金物屋さんの様だったのに
燃料店と書いてありました。

まるで「閑居堂」を読んでいるかのようでした。
今、歌舞伎のあたりを読ませて貰っています。
奥さまとのやり取りにシミジミしてしまいます。
でも、「犬と私とどっち・・」とのくだりには
吹き出してしまいました(^o^)

2015/07/11 06:49:54

本当に、今度の事件は・・・

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
「人に迷惑をかけない」という、この国に長くつたわる美風を台無しにする、残念な事件になりました。、
その悪質さは、オウムをも思わせるくらいです。

その犯人が、もしや元顧客では・・・と、一瞬疑いました。
顔はよく覚えていないのですが、歳が同じくらいだったからです。

こんな「まさか」は、もう御免蒙りたいです。

2015/07/10 20:59:05

人生

吾喰楽さん

こんばんは。

人生、上り坂あり、下り坂あり、まさかありです。
この言葉は、知っています。
でも、「まさかの坂」とは、素晴らしい表現ですね。

巻き添えになった女性は、本当にお気の毒です。
自殺を肯定するわけではありませんが、「死にたかったら、一人で死ね」って、云いたいです。

2015/07/10 18:54:09

気を付けましょう

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
そうでしたか・・・
そちらにも、「まさかの坂」がいくつもあったのですね。
山の近くですから、坂が多いのも、当然ですけれど。
宮崎死刑囚には、家族が居て、父親は、吊り橋から、秋川 に身を投げ、死んだとか。
妹だって、平穏な人生は、送れなかったでしょうね。
家族もまた、被害者です。

何処にでも、犯罪は起きる。
巻き込まれないように、最大限、気を付けねばなりませんね。

2015/07/10 15:13:29

まさかの坂は

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

まさかの坂は、私の町にもありました。
連続少女誘拐殺害の宮崎死刑囚(もう執行されましたね)の事件です。
あの時は、報道が凄かったし、現場検証もあって、騒然としました。
常にヘリが何台も、旋回していて、煩かったですね。

師匠と、みんなで上った、大銀杏がある広徳寺の近くに、彼の家があったのです。
しかも、土地の名士の息子でしたからね。

日本中殆どの地が平和だと思っていますが、犯罪の芽は、どんな場所でも育つようです。
資産家姉弟の殺害事件は、我が家から目と鼻の先(400m先)で起きましたし・・・

師匠のお得意さんでなかったのが、不幸中の幸いです。
貧しくても、豊かな家で育っても、犯罪を犯す人は出るのですね。

私の夫は資産家殺害の犯人と、同じ課に居たことがあり、被害者のお姉さんとは、仕事で何回もお会いしたそうで、前を通る時には、短い黙とうを捧げていました。

2015/07/10 12:34:21

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