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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜

1−3 元気なうちに遊べ 

2010年12月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

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<b>団塊の世代の夢は何?</b><br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9a/60/shigemi_akamatsu/folder/732559/img_732559_33726495_0?1292139129" alt="イメージ 1" class="popup_img_370_286 clearFix alignLeft"> 私は1944年の生まれですから団塊の世代の「はしり」になるでしょうか。日本の高度成長の波にもまれて良い面でも悪い面でも多くのことを体験してきました。私たちは貧しい時代に生まれて耐え忍ぶ事を体で会得し、受験戦争で灰色の青春を過ごし、時間外勤務手当ては支給されず、家庭を顧みず、しゃにむに働いて来たからこそ今の日本があると言っても言い過ぎではありません。<br />
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 しかし、前にも触れたように、虎の子の退職金は増税で目減りし、命の綱の年金も減額と言うダブルパンチを見舞われた上、高齢者への福祉も後退するという非情な事態となりました。私たちの苦しい半生の見返りは決して満足できるものではありません。さらに、定年で自由な身となり我家でくつろぎたいと思っても、濡れ落ち葉ならまだしも粗大ゴミ扱いにされ、定年離婚の三行半を突きつけられる場合も多いと聞きます。経済の拡大の流れと共に仕事の量や困難さが増え、定年まではと辛抱し続けて心身ともにボロボロになった私たちは、割りの合わない悲惨な運命の世代なのでしょうか。<br />
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 そして今、この団塊の世代が大挙して定年を迎え第3の人生を歩み始めています。自らの手で築き上げた経済大国に相応しい豊で生きがいのある余生は送れるのでしょうか。温め続けてきた夢を持つ人はそれを実現できるのでしょうか。本当に気がかりです。<br />
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 人ごとながら、この世代の人々は誰もがうらやむような夢を持ち、その実現に向かって確実に歩んでいるのか疑問に思うことがあります。世間を見回してみると、大方の人は定年を向かえ、「辛かったけれどこれで役目は終わった。これからは特にしたいこともないし、家でゆっくりくつろいでいればいいかな」と所在無く過ごしている人が多いように思います。<br />
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<b>あなたは一生働いて死んで行きますか</b><br />
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 2006年の12月、私は会社の後輩が手がけている事業に関連して、名古屋で開かれた講演会で移住の体験談をお話する機会がありました。定年を迎え、これからの生き方の参考になる情報を提供しようという趣旨の講演会で、広い会場に2〜300人もの方が聴きに来てくれました。私たちのような長期にわたる移住だけでなく、沖縄で開発されているホリデー・アパートメントに好きなだけ滞在する方法などが映像を交えて紹介されたのです。<br />
 この講演会で私はオーストラリア滞在の一般的な情報に加えて、これだけは伝えたいと思ったことが1つありました。それは、「元気なうちに遊ぶ」ことです。様々な価値感の人がいますから押し付ける気持ちはありませんが、私自身はそう思うのです。<br />
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 私の言う遊びとは、旅行でも園芸でも音楽でも、あるいはボランティア活動でも何でも良いのですが自分のしたいことや楽しみのことです。現役の頃は忙しくて実現出来なかった夢もきっとあるでしょう。十分に働いて来た人が残りの人生を気楽に楽しく、輝いて過ごすのは当然かつ望ましいことです。遊ぶ、楽しむということは決して後ろめたい行為でも罪悪でもなく、自立した人間らしい生き方をするためにはとても大切なことだと思います。<br />
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 間抜けな年金政策・運営のおかげで完全支給が5年も遅くなり、雇用の延長が進められている中、「もっと働くことができて嬉しい」、「元気なうちは働いていたい」と言う人の声をよく聞きます。また、「仕事が趣味で、生きがいです」という人も多くいます。<br />
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 仕事でも困難な状況を乗り越え、工夫を凝らしてひとつの事を達成する喜び、楽しさはもちろんあります。そして、いつも仕事は辛いものとは限りません。おまけに、収入もあります。働き続けて誰にも迷惑をかけないし、自分も楽しいでしょうから、それで結構なことです。私にはそれは間違っているとか、止めるべきだと言う権利は毛頭ありません。頑張っていただくのが良いでしょう。<br />
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 様々な理由があって働き続けることを望む人がいること、労働自体に社会的な価値があることは知っていますが、いかにも寂しい気がします。「働き続けて、気が付いたら棺の中だった」なんて、ブラック・ユーモアにしたって悲し過ぎます。<br />
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 働かなくてはいけない時に「飲む・打つ・買う」で遊びまくった人はどうでもいいのですが、仕事一筋の半生を送り定年を迎える人、引退する人には「これからは元気なうちに遊び、楽しんで下さい」と勧めたい気持ちがいっぱいです。元気でなくなったらお終い。何も楽しむことは出来ません。<br />
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 講演会ではこのような趣旨のお話をしましたが、目を輝かせ頷いて聞いていただいた方が多かったようで、講演の終了後も熱心に私に質問をする人が続きました。このような講演会に来ていただいた方は、目標を模索しながらでも問題なく、はつらつと有意義な人生の最終章を過ごせるだろうと思いました。<br />
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<b>若くリタイアして人生を楽しむ</b><br />
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 私自身は、定年後の生き方として長年温めてきた夢の海外移住という手段・方法を選びました。これまで様々な困難や苦労はありましたが新しい世界が広がり、異なる価値観の人々や文化の中に身を置いて祖国日本を外から見ることが出来て本当に良かったと思っています。また、日本人としての自分自身のものの考え方もおぼろげながら分かってきたような気がします。<br />
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 ある日、ふらっと一人でゴルフに出かけた時、私の前にやはり一人でプレーしているまだ40歳台の若い男性がいました。途中、彼は私がティー・グランドに来るのを待っていて「一緒にプレーしよう」と声を掛けてきました。プレーをしながら陽気な彼が問わず語りで言うには、彼はコースの近くのビーチに住んでいて良くそのコースでプレーすること、彼の兄弟がゴールド・コーストでレストランを開いていて繁盛していること、そして彼自身はもうリタイアして奥さんの「お抱え運転手とコック」をしていることなどを話してくれたのです。私は「まだ若いのにもうリタイアしてしまったの」と聞くと、彼は自慢げに「そうさ、もう生活には困らないからね。こうしてゴルフも楽しめるし」と言うのです。<br />
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 「へーっ、中にはこんな人もいるのだ」と思いましたが、友だちに聞いてみると日本とは事情が違うようです。全てではないにしても、こちらでは若くしてリタイア出来るのはそれだけの能力と甲斐性があるからで羨ましいと見られるのだそうです。そして、会社の仕事仲間との間では「いかにして早く若いうちにリタイアするか」がいつも話題になるほどだと言います。日本だったら働き盛りの人が家でブラブラしていたら、何か病気なのか雇ってくれるところもない無能力者か、そうでなければ怠け者なのかと思われるでしょうね。<br />
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 私は、60歳前後のある年齢までは働いて家庭を築き、社会に貢献し、長年培って得た知識や技量を後に続く人たちに伝えてから退くべきで、リタイアするのが若ければ若いほど良いとは思いません。しかし、帰宅が毎日深夜で家庭を顧みる時間も無く、他に趣味を持つ余裕も奪われ、働くことしか考えない人間になってしまうのに比べれば、若くしてリタイアすることも、それが可能なら、どれほど素晴らしいことでしょうか。<br />
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<b>海外旅行で1週間は短過ぎる</b><br />
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 こちらの人に「今度、日本から友だちが遊びに来てくれるので楽しみです」と言うと、ほとんどの場合何日ほど滞在するのか聞きます。私たちが胸を張って「1週間です」と答えると、私たちの友だちですからもうリタイアして時間はたっぷりあるはずと思うのでしょうか。彼らは顔をしかめて「それは短過ぎる。なぜもっと長く居ないのか」と聞き返すのが通例です。 <br />
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 そんな時、私は「日本ではホリデーに数時間かけて出かけて、据え膳で美味しい料理を食べて、温泉につかって、泊まって次の日また数時間かけて帰って来るのが贅沢な楽しみなのです」と説明して、1週間の旅行は日本人にとってはとても長く、海外旅行は一生の間でも何度も有ることではない事を説くのですが、あまり理解してもらえないようです。<br />
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 確かに、こちらのお友だちがちょっと旅行に行って来るというと最低2週間、長いと1か月以上の人も珍しくありません。こうした旅行は夫婦で出かけ、家に介護の必要があるお年寄りがいない、キッチン付きのホリデー・アパートメントが充実しているなどの環境があるからこそ可能なのですが、日本でその条件が整ってもこれだけ長い旅をする熟年夫婦は稀でしょう。<br />
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 ある新聞か雑誌にビーチで日本人が手足を杭に縛りつけられている風刺漫画が掲載されました。これは日本人をいじめている訳ではなく、「こうでもしないと、日本人は長く滞在してくれないもんね」と短いホリデーの日本人を揶揄した内容だったのです。私は痛いところを突かれたようでもあり、残念でもあり、なるほどと納得したりで複雑な気持ちでした。<br />
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 こちらで私より年配の、もちろんリタイアした人たちを見ると、皆元気ではつらつとしていて好奇心旺盛なのに驚きます。私自身も夢を実現させ、新しい世界に踏み込んで楽しんではいますが、まだ自然体ではなく、やりたいこともいっぱい残っています。元気なうちにやり遂げなくてはいけません。<br />
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 私は自分の一生を締めくくる時、「有意義で楽しい人生だった。もう悔いはない、満足だ」と思ってあの世に旅立ちたいのです。<br />
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<tt>コラム</tt><br />
<b>バーベキューは男の出番</b><br />
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 オーストラリアの人たちはバーベキューが大のお気に入りで「バービー」と呼びます。各家庭のベランダには移動式のバーベキュー・コンロが必ずと言って良いほど置いてあるものです。また、ビーチ沿いの公園から山の中の小さな町の小さな広場まで、週末や気持ちの良い天気のウィークデイのお昼頃は家族連れやお年寄りのグループ、若いカップルなど誰かがバーベキューを楽しんでいます。<br />
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<img src="http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9a/60/shigemi_akamatsu/folder/732559/img_732559_33726495_1?1292139129" alt="イメージ 2" class="popup_img_370_277 clearFix alignLeft"> 私たちはバーベキューと言うと、自分たちで用意した脚の付いた金属製のコンロに炭火をおこし、その上の網に肉などを乗せて焼くことを想像しますが、こちらの公園などにはレンガのしっかりとしたバーベキュー・コンロが作られていて、屋根付きのテーブルとベンチも揃っています。火力は電気がほとんどで50損擁?曚匹療竿弔話羆?低くなって真ん中に穴が開いていて余分の油などが流れ落ちるようになっています。このコンロを使うには1〜2ドル必要なところも稀にありますがほとんどが無料、予約も必要ありません。<br />
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 日本と様子が違うのは、皆でコンロを囲んで焼きながら食べることはしないことです。コンロは他の人も使いますから自分たちのものが焼けたらテーブルに移し、コンロを明け渡さなくてはいけないのです。また、焼くものは肉かソーセージ、あるいはタレにつけた串焼きのいずれかと野菜は玉ネギ程度で、日本のように肉の他エビやイカ、ピーマンにトウモロコシ、焼きおにぎりなどと多彩ではありません。<br />
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 バーベキューになると張り切るのがお父さんたち。誕生日か父の日にプレゼントされたバーベキュー用のぴかぴかのフライ返しやトングを専用のキャリーバッグから取り出してコンロの前に陣取り、あざやかな手つきで焼くのです。この間、女性たちは何をしているかと言うとテーブルでワインなどを飲みながらチャットです。<br />
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 オーストラリアは入植者たちがブッシュマンと呼ばれて荒野を切り拓き、国土を築き上げて来た歴史があるだけにアウトドアの生活はお手のもの。これはどうしても男たちの領分でその名残、郷愁がお父さんたちを奮い立たせるのでしょう。<br />
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