メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

パトラッシュが駆ける!

最後の寿司は 

2015年09月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私は若い頃、大喰らいであった。
量より質を重視するようになったのは、中年以降のことであり、
それまでは満腹感こそが、最優先課題であった。

例えば寿司である。
寿司屋の握り、一人前と言うのが、物足らなかった。
回転寿司のなかった時代である。
相撲の関取が、握り寿司を百個食べたと聞いても、
さして驚かず、むしろ、その食べられる境涯が羨ましかった。

では、回転寿司が出現し、宿望を果たしたかといえば、
これがそうでもない。
既にして分別が備わり「腹も身の内」なんてことも弁えている。
私の中で、量より質への変換が、着実に進みつつあった。

当時の寿司屋で、思い出す光景がある。
カウンター席で、年配のご婦人が、板前に頼んでいた。
「わたし胃袋が小さいの。いろいろ食べたいので、
シャリを小さくして下さる?」
「へい」
板前も、心得たものだ。
「どうでしょう、こんなもんで」
シャリのほとんど見えない、マグロの握りを付け台に差し出した。
「まあ美味しいそう」
老婦人はそれを、箸でそっと持ち上げ、醤油に浸し、
ゆっくりと口に運んだ。

しかし、あの寿司で、腹を満たすのは容易でない。
若かった私には、理解しがたい光景であった。

別の寿司屋のオヤジから、こんな話を聞いた。
良い寿司とは、ネタとシャリの均整が取れていること。
つまり、咀嚼を経て、両者が口中から、同時に消え去るくらいが、
理想なのだと。
ネタは、大きければそれで、良しとするものでもない。
要は、シャリとのバランスだ。
それが崩れた寿司は、寿司として、いかがなものかということになる。

なるほどと思った。
その思いは、今に続いている。
もう大食に奔ることはない。
それどころか今は、美味い寿司を、腹八分に食べたいと思っている。
思いつつしかし、あの老婦人のようにはならない。
あれも便法とは思いつつ、寿司の原則からは、外れていると思っている。

 * * *

私は、食いしん坊のくせに、自助努力と言うものをしない。
名店発掘なんて作業を、自ら思い立ったことがない。
寿司でも蕎麦でもうなぎでも、もっぱら他人からの情報に依存し、
「美味い店がある」と聞くや「ほんまかいな」と、
確かめに行くくらいの怠け者だ。

Mという、隣町にある寿司屋を知ったのは、Y女史からであった。
女史は、今春、親友のN子を亡くしている。
二人は、中学以来の、長い付き合いであった。

「Mのカウンターでね、一緒にお寿司を食べたの。
それが亡くなる二か月前のことなの」
N子は肺がんであった。
それが発見された時には、もう手遅れで、
息子が医者であったにも拘らず、手の施しようがなかったとか。
「おいしい、おいしいって、Nちゃん何皿も食べたのよ」
それが二人の、別れの宴になったらしい。

女史もN子も、食通であった。
二人とも、美味追求には、労を惜しまなかったのであろう。
世に知られていない店を、よく知っていた。
そのN子が死んだ。
その最後に行った寿司店、Mに、行ってみたくなった。

彼女達、よく見つけたものだ。
Mは、繁華街のビルの地下にあった。
しかも小店である。
コの字型に、カウンター席が連なり、板前が中央に立っている。
客は、壁に掲げられた品書きの中から、好みのものを注文する。
二貫一皿であり、その皿が、値段により色分けされている。
回転寿司と同じこと、回っていないだけだ。

ネタはいい。
その割に、値段も高くはない。
しかし驚いたのが、そのシャリだ。
小さい。
回転寿司の、半分くらいしかない。

相対的に、ネタが大きく見える。
例えばマグロのトロ。
ピンクのロングスカートの裾に、かすかに白い足首が見える。
というような趣きがある。
あるいはアナゴ。
御殿女中の打掛のように、その裾を長く引きずって、
白足袋さえも見えない。

だから、寿司というより、刺身を食べている感じになる。
主食と言うより、副食の感がある。
これを肴に、冬なら燗酒でもやるのが、良いのかもしれない。

店内は年配客ばかりであり、若者が居なかった。
そうであろう。
ここの寿司で、腹を満たすには、かなりの出費を覚悟せねばならない。
若い頃の私であったら、この身に合わぬとして、
二度と行かないであろう。

しかしもう若くはない。
かつて見かけた老婦人のように、やがてこの店の寿司が、
好ましくならないとも限らない。
だから保留にしておこう。
名店の中には、入れられない。
精々「候補」ということになる。

 * * *

N子さんとは、Y女史からの誘いを受け、何度か一緒に飲んだことがある。
女ながら、気風のよいところがあった。
酒に強く、注がれて拒むことがなかった。
「二人で飲み屋をやろうか」
かつて女史とN子さんは、気焔を上げていたこともあった。

酔うと決まって「夜桜お七」を歌った。
その歌声には、巧まざる情感がこもり、
間近に聞くこの演歌嫌いをさえ、その杯持つ手を、
止めさせずにおかなかった。
そう言えば、その艶を含んだ目も、なんとなく、
坂本冬美に似ていなくもない。

「たった三月のわずらいで・・・」
N子さんは逝ってしまった。
その最後となったであろう寿司を、私は彼女を偲び、食べに来ている。
そうか・・・
シャリが小さかったからこそ、N子さん、何皿も食べられたのであろう。
“シャリ小“の寿司にも功徳がある。
存在価値がある。
一概に否定してはいけない。

しかしながら、敢えて言おう。
私の人生において、寿司は格別の食べ物であった。
その最後となる寿司は、形よくあらねばならない。
だから、命尽きようとする私が、この店、Mに来ることはないだろう。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

要は均整の取れた姿

パトラッシュさん

プラチナさん、
姿かたちの良い寿司は、見るだけで食欲をそそります。
女性美もまた同じ。
見ているだけでも、飽きません。
(本当は食べてしまいたいけれど・・・)(笑)

2015/09/21 19:16:58

鮨にも色香が

プラチナさん

"ロングスカートにかすかに白い足首" "打掛の裾から白足袋さえ見えない" 何か言い得て妙ですね。

2015/09/21 18:53:23

何をおっしゃる

パトラッシュさん

彩々さん、
歳の順からしても、先に逝くのは私の方。
何かの時に、思い出して頂ければ幸いでございます。
家に上がり込んで、白州をがぶ飲みし、
ボトルを空けて行った奴がおったっけなあ・・・と。

わたくし、見ていないようで、女性をよーく観察しております
特に、神戸の女性には、興味があるのです。
ええ、もちろん、そのインテリジェンスに対してです。
ですから、私がじっと彩々さんを見つめていても、
どうぞお気になさらないで・・・
そこには、尊敬のまなざしが込められているのですから。

2015/09/20 07:11:49

偲ぶ

彩々さん

ご縁のあったN子もパトさんのBlogを
読まれて天国で喜んでおられますよ。

私もいつの日か、師匠に偲んでいただけるよう、日々精進しようと思いました。
(何に精進するのか、ですが!?)

それにしても…

>例えばマグロのトロ。
ピンクのロングスカートの裾に、かすかに白い足首が見える。
というような趣きがある。

にぎりをこのように例えて語られる
パトさんの感性に脱帽です。

私も何処を見られている事やら(笑)

2015/09/20 05:31:26

安上がりです

パトラッシュさん

うきふねさん、
痩せの大食いでありました。

私も、贅沢は敵でした。
今は多少の贅沢を、やろうと思えば、出来なくはないのですが、
残念ながら、欲がなくなりました。
蕎麦とか、秋刀魚の塩焼きとかが好きなもので、
お金は使いません。
たまに、寿司を食べるくらいです。
それも、アジとかサバ、イワシ、コハダなど、青魚ばかりを好んでおります。
妻に笑われております。
ロングスカートや打掛は、人のをみるだけで、ほとんど食べません。

2015/09/19 17:59:15

こんにちは

うきふねさん

お若い頃は大食漢であられたとか。
今のお写真からは想像も出来ませんね。
>例えばマグロのトロ。
ここからの比喩が面白くて何度も読みました。
シャリ極小のご婦人ほどではありませんが
最近は胃が小さくなって、あまり食べられないのでお気持ちは分かりました。
ただ、贅沢は敵だという生活をしてきたので、
打ちかけの様なアナゴとかロングスカートに
足首といった贅沢品は気が引けます。
「なんだかなあ」です^^;

2015/09/19 16:50:12

いえいえ

パトラッシュさん

喜美さん、
ネタがなよなよと、生き返るようなことは、ありません。
ただ、人より少しだけ、観察を深くしているだけです。
物書きの宿命です。
本当は、無心で食べるのが、一番おいしいのです。

2015/09/19 12:31:13

奥の手で

パトラッシュさん

シシーマニアさん、こんにちは。
実は今週は、三日三晩、国会前に通いました。
行く度に、雨に降られました。
今や霞が関の一帯は、雨林地帯なのかも(笑)

結果は悔しいですが、仕方ありません。
私としては、出来るだけのことをやったとの思いもあります。
(満足感とはほど遠いですが)

そのことを書こうかとも思いました。
しかし、政治的な話は、むずかしいのです。
オブラートに包んで、やんわりユーモアにじませ・・・とは行かず、
つい直情径行なってしまいがちです。
読者の中にも、様々な意見の持ち主が居ますしね。

そこへ行くと「食」の話題はいいですね。
老若男女、これを嫌う人はいませんから。
書くネタに困ったら、「食」頼み、これは雑文書きにとっての奥の手であります。

2015/09/19 12:27:37

好き好きですから

パトラッシュさん

Reiさん、
ネタは正直ですね。
ちゃんと計算(計量)がなされている。(笑)

Reiさんが、バニラアイスを?・・・
寿司のお供は、八海山ではなかったのかしら?・・・
いえ、邪道とは言いません。
人それぞれですから。

でも、カロリー高そうでっせ・・・(笑)

2015/09/19 12:09:06

でかい寿司

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
前に山梨の方で、握りの馬鹿でかい寿司を、ご馳走になったことがあります。
寿司を嗜好品というより、「めし」と捉えていて、
それは労働力の源泉でもあるのでしょう。
出された一同、びっくりしましたが、完食したのは私だけでした。
懐かしい寿司ですが、その後出会ったことがありません。

2015/09/19 12:01:58

人それぞれで

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん

好きなように、好きなものを食べるのが、嗜好というもの。
「食」の分野において、邪道も何もありません。
Mはチェーン店で、もしかすると、立川辺りにも、支店があるかもしれません。
でも、SOYOさんにはきっと、お気に入りの寿司屋があるのでしょうね。

2015/09/19 11:56:11

凡人と作家

喜美さん

鮪とアナゴの表現 私は食べに入ったら ただ単にトロ鮪見たら此れ筋が入っているけれど美味しそう
アナゴは1匹付けか太い半身とどちらがおいしいかな 唯食い気のみ
師匠ともなると寿司種も嬉しいでしょうね なよなよ生き返るわ

昨日も行きましたか ご苦労様です
友達で鳥取の方もいけなくて残念がっていました

2015/09/19 11:00:52

単なる、深読みだったりして・・。

シシーマニアさん

この日に、穏やかなお寿司ネタのブログを書かれる師匠に脱帽しました。
私でも、日本人であることを忘れたいくらいですから、師匠のお気持ちや如何に、と毎日こちらへアクセスしていましたが・・。
さすがフェイントが素晴らしいですね。
題材選択が、既にユーモアですね。
きっと、師匠の人生も・・?

2015/09/19 10:39:14

回転寿司

Reiさん

最近、何軒かの回転寿司に行きました。
一皿100円の所は、ネタが薄い…(((^_^;)

昨日、それなりの!?回転寿司に行ったら、ネタも厚く、シャリも大きく見えました。

そこのあら汁は、具だくさんで美味しいのですが、お腹が一杯になるので食べないことにしています。

でも、最後にバニラアイスクリームを食べるのは、みんなから袋叩きになるくらいの邪道ですね(>_<)

2015/09/19 10:19:00

シャリ大

吾喰楽さん

現役時代、当地の行きつけの寿司屋のことです。
白い太腿に、ネタがしがみついていました。
東京で修業した大将なのに、不思議に思いました。
他に客がいない時、訊いてみました。
昔は、東京の寿司と同じシャリの大きさだったそうです。
ところが、「あの店の寿司は、シャリが小さくて、腹の足しにならない」と云われ、今の大きさになったそうです。
以来、私には、食べ慣れた大きさの寿司が出てくるようになりました。

握り寿司には、理想的なシャリとネタのバランスがありますよね。

2015/09/19 09:45:57

私は邪道?

さん

パトラッシュ師匠、おはようございます。

私も、しゃり小で頼んでいます。
胃が小さいので、何種類も食べられないからです。
「何故、鮨は二貫で来るのだろう?
一貫なら、色んなネタを食べられるのに」
いつも思うことです。

>例えばマグロのトロ。
ピンクのロングスカートの裾に、かすかに白い足首が見える。
というような趣きがある。
あるいはアナゴ。
御殿女中の打掛のように、その裾を長く引きずって、
白足袋さえも見えない。

この比喩、素晴らしいですね!
惚れ惚れしました。

N子さん、お亡くなりになったのは残念ですが、私が逝く時も、そのように速やかにと願っています。
これから、何時もの店で「しゃり小で」と頼む時には、お会いしたこともないN子さんを想うのでしょう?

2015/09/19 07:59:09

PR







上部へ