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パトラッシュが駆ける!

抹茶が苦い 

2015年11月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私には、過ぎたる友があった。
その名を、私は勝手に「重鎮」とした。
日本の古美術業界の、一方の雄であったからだ。
その人脈は広かった。
例えば政界なら、細川護煕元首相などと、昵懇の間柄であった。

重鎮は、常々語っていた。
「感性を磨け」
私が創作にたずわっていることを、知った上で言っていた。

感性を磨くには、美味を食し、美しい音楽を聞き、
優れた美術品を見るべしと言った。
ついでに、美人を抱けとも言った。
逐一ごもっともではあるけれど、一介の庶民には、出来かねることもある。
いや私には、容易に出来ないこと、ばかりであった。

重鎮は、各地の“隠れ名品”を、よく知っていて、
しばしばそれらを取り寄せた。
ギフト用である。
中元歳暮とは関係なく、随時、付き合いのある方々に配っていた。

出世する人は違う。
交際上手だ。
それは、贈り上手でもある。
物をもらって、喜ばない者はいない。
ましてやそれが、人知れぬ銘菓、珍味の類であったら、
感激もひとしおだろう。

その名物や銘菓が、私のところへも回って来た。
私の場合は、碁仇、つまり道楽上の、ライバルであったに過ぎない。
だから頂いたのは、彼のビジネスの“余恵“ということになる。

重鎮は不思議なことに、自宅に私を招かなかった。
専ら、私の店にやって来て、碁を打った。
自宅が豪邸であり、それをひけらかしたくなかった。
ということが、あるかもしれない。

「碁なら、一晩中でもいい」
というくらいであり、私が音を上げ、もう止めましょうよと言うまで、
自分からは、碁石を離さなかった。

つまりギフトは、私への“しょば代”のつもりであったろう。
そうでもなければ、高価な菓子や食品を、私に寄越すわけがない。

その銘菓や名物を、妻に渡す時、私も少々、鼻が高かった。
どうだい、いい友達を持っているだろう、この俺は。
茶くらい、気持よく出してくれよなと、その菓子折に言わせたものだ。
妻も実際、私のあまたの碁友の中で、重鎮にだけは、一目置いていた。

その重鎮も、四年前に病を得、闘病を続けたものの、今年の春に死んだ。
私はライバルを失い、当然のように「余恵」にあずかることも、なくなった。

 * * *

友人のSさんが、お菓子を送って下さった。
包装を解いて現れたのが「栗きんとん」
岐阜県中津川産の銘菓であって、過去何度も、重鎮からこれを、
もらったことがある。

季節限定なのである。
新栗が出回った時季しか、作られないと聞いている。
ほのかな甘さであり、保存料など用いてないこともあり、
ほんの数日しか、日持ちがしない。
食べては美味だが、流通や保存には、適さない菓子なのだ。

栗の果肉を、すり潰し、それを丸く固め、茶巾に絞っただけ。
辺境の黄土を思わせる、その色といい、素朴そのものだ。
噛めば、かすかな甘みが口中に広がり、豊饒なその香りが、鼻腔に抜けて行く。
見かけに反し、味は典雅をきわめている。

せっかくの銘菓だ。
妻に抹茶を立ててもらい、ゆっくりと味わった。
この茶がしかし、のちに、波紋を呼ぶことになる。

食べながら、久しぶりに、重鎮を思い出した。
そして、中津川の町もだ。
私は五年前、中山道を徒歩で旅した。
木曽の難路を抜け、平野に入ったその町で、その蒼古たる店の前を通っている。
店には、客が立て込んでおり、とても一個下さいと頼める雰囲気ではなかった。
さりとて、歩きの旅人は、荷を増やしたくない。
みやげを買う訳には、行かなかった。
 
 * * *

私は、長いこと、あるSNSに加わっている。
「ギャラリー」なる部門があり、そこには誰でも、写真を投稿出来る。
銘菓をもらった嬉しさに、つい、これを自慢したくなった。
ここが私の小人たるところで、「男は黙って」なんてことが、出来ない。

銘菓を抹茶に並べ、写真に撮り、投稿した。
その翌日のことである、メールが届いたのは。
同じSNSのメンバーからであった。

そこには、茶碗と菓子の配置が逆であり、菓子皿における、
懐紙の不使用、楊枝の位置など、茶道にかんがみて、
不適切であろうことが、幾つか書かれていた。
私は野人であり、この辺の心得が、まったくない。
大いに恥を掻くことになった。

私は、一夜考えた末、その写真を削除することに決めた。
同じSNSに加わる友人は、理由を挙げ、削除する必要はないと言った。
しかし、それでは私の気持が済まない。
これを美学とは言うまい。
単なる意地であろう。
世の形式主義を嘲笑いつつ、おのれの意地を貫く。
そんな依怙地な人間には、なりたくなかったのだが。

なまじ抹茶なんか、立てたからいけない。
そう思って、返信に「番茶にしとけば、よかったのですが」と書いた。
そうしたら、またもや返信が来た。
「いえ、煎茶であっても、作法は同じです」
にべもない。
さらに酒席における、杯や箸の置き方などにも、言及がなされていた。

私は、人生を、おおらかに生きたい。
礼法作法からは、出来るだけ、離れていたい。
茶飲み、酒のみにまで、規矩準縄を持ち出されたら、私には生きて行く余地がない。
例え蛮人と蔑まられようと、我が道を突き進むよりない。
「ご教示を頂き、ありがたいのですが、気が滅入っております」と伝えた。
正直に伝えた。

 * * *

重鎮が生きていて、この顛末を見たら、何と言うだろう。
彼は、茶道もよくした。
遠州流の家元とも、懇意であり、その茶会に、しばしば招かれていた。
重鎮はきっと、私の無知を笑うであろう。
そして、その後のやりとりを見て、もっと笑うであろう。

様式美、形式美もまた、美に相違はない。
例え皿の配置でも、そこに美というものがある。
「あるらしい」としか、私には言えないのだが。
美意識を捨てたところに、磨ける感性なんてない。
ありゃしないさと、彼はきっと、澄んだ秋空のように、高く笑いながら言うであろう。

菓子は美味であった。
抹茶もうまかった。
しかし私の胸には、少しにがいものが残っている。



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感謝

喜美さん

有難うございます 一人ですから
段々これも覚えないと ただ此れも口実 あなた達の飲みっぷり又見たいし楽しくおしゃべりしたいのが七割です
又お暇見つけてお出かけください

2015/11/28 11:55:06

私もよくない

パトラッシュさん

強力粉さん、
ヴィクトリア女王の真似は、なかなか出来ません。

メールを下さった方も、悪意はなかったのです。
見るに見かねて・・・というところでしょう。
それを軽く受け流しておけばよいものを、私がまた、過敏に受け止めてしまいました。
私も少々、反省をしております。

2015/11/27 20:56:29

包丁

パトラッシュさん

喜美さん、
行きたいと思いながら、時間がままならずにいます。
横須賀は、近いようでやはり遠いのです。
暮れにかかって、切れない包丁は、気になりますね。
もしよろしかったら、まとめて宅配便で送って下さい。
研いでお返ししますから。
もっともその間、料理に困りますね。
代替の包丁があると、よろしいのですが・・・

2015/11/27 20:52:02

ヴィクトリア女王の

さん

「フィンガーボール」の精神はかけらもないような愚輩です。

2015/11/27 20:02:15

お会いしたいです

喜美さん

私皆さんとお会い出来る事楽しみに
娘に言ってみましたけれど
その日は用事があって駄目 一人で出ては もっと駄目と年押されましたし
足の痛みもなくなりましたけれど初めての外出にしては遠すぎるとやめました あの寒さと雨では行かない方がよかったです パトさんは我が家に来てくれないと困ります 包丁研いでくださるのでしょう 一人でやってますます悪くなりそうです 其れに美味しいお土産待って居ます

2015/11/27 15:59:39

ネタ

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
このSNSで起きたことなので、こちらにUPしました。
菓子つながり、そして茶道つながりで、重鎮に登場してもらいました。
今頃笑っているでしょう。
仕様のない奴め、人を出しに使いやがってと。

おっしゃる通り、コメント欄にしたら、”炎上”する可能性もありました。
それはそれで、また、話のネタには、なったでしょうけれど・・・

2015/11/27 15:31:57

喜美さんファンは多いのです

パトラッシュさん

喜美さん、
ご謙遜が過ぎますよ。
喜美さんが、なんでもできることを私たちはよく知っています。
そしてその最たる美点は、人望の篤さです。
一昨日の、Reiさんの展覧会でも、もしやお会い出来ないかなと、ひそかに期待しつつ、行ったのです。
遠路ですからね、その無理な相談でした。
またお会いできる日を、楽しみにしております。

2015/11/27 15:25:14

いいご友人をお持ちです

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
私もかつて、抹茶を供されながら、同じような話を聞いた覚えがあります。
「好きなように、飲んで下さい」と。
(今更教えても、間に合わないと思ったのかどうか)
その辺から、茶道を甘く見るところがありました。

次回から、自戒しようっと。
と言っても、今更どうしようもないのですがね。
この野人では。

せめて私達の酒席だけは、無礼講で行きましょう。

2015/11/27 15:04:23

解消しました

パトラッシュさん

彩々さん、
そうなのです。
さすがに、私の単細胞ぶりを、よくご存知で・・・
私は単純に、美味いものを頂いて、自慢したくなっただけなのです。
彩々さんにまで、胸やけを起こさせてしまい、申し訳ありません。
私はもう、すっかり解消しております。
彩々さんも、どうぞ、白州でもお飲みになり、すっきりなさって下さい。

2015/11/27 14:57:30

にわかなことで・・・

パトラッシュさん

loveqさん、
同じく実際主義です。
実益主義と言ってもいい。
形式主義を、嘲笑うところがありました。
特に、華道や茶道、踊りなど、家元制度と結びついたところをです。
しかし、歳のせいでしょうか、この頃は、彼ら、形式を尊ぶ人々をも、全否定することはなくなりました。
彼らも彼らなりに、審美のための努力をしているのだと。
今回は、意表を突かれ、少々慌てた・・・というのが、実際のところです。

2015/11/27 14:52:37

人間研究

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
図らずも、現場に立ち会わさせてしまいました。ご容赦を。(笑)

身辺に起きた、すべてのことを、ネタにしてしまう癖が、この身にしみ付いております。
中には、文章化しがたいものもあるのですが、吾喰楽さんの料理と同じく、なんとか工夫し、一品料理に仕立てるようにしています。

不快を発端とするネタも、しばしばあるのですが、
それが読まれるに耐えるためには、相対化というものが必要だと、そればかりを意識しております。
喜怒哀楽を、ストレートにぶつけたら、たちまち一巻の終り。
いかに我執を引き下がらせるか、文の成否は、そこにかかっております。

その点、これが不思議なのですが、シシーマニアさんの文は、ごく自然に、相対化というものが、なされています。
それが天性のものなのか、あるいは、一芸に秀でた者の、余裕なのか・・・
私には、わかりません。
おそらく両方なのでしょう。
人間研究の対象として、シシーマニアさんほど、興味をそそられるネタは、滅多にないでしょう。(笑)

2015/11/27 14:40:08

重鎮さん

吾喰楽さん

こんにちは。

こちらにアップなさったのですね。
エッセイ集の12月号かと思っていました。

ある意味、他人の不幸ですが、どのように料理なさるか、楽しみにしていました。
重鎮さんを、絡めましたね。

結局、SOYOさんの友人の茶道家が、その道に通じた人の取るべき態度ではないでしょうか?
また、メールを下さった方は、気を使ってコメント欄に書かなかったのでしょう。
でも、彩々さんの云う通り、コメント欄に書いてくれれば、面白い展開になったかも知れませんね。

2015/11/27 13:36:50

シニア

喜美さん

この仲間には色々の人がいるはずです
芸術家 文学者 茶道 華道 短歌
きりないでしょうけれど 私は何も出来ない老人です 教えて頂いたら有難うは言っても実行は出来ません いくら気になってもすぐ忘れます これ私の特技かもしれない お陰様で
段々相手にされなくなりますけれど
其れでも皆さんと仲良くしたいです

2015/11/27 13:01:41

作法とは

さん

パトラッシュ師匠 こんにちは。

作法とは、礼儀とセットになっています。
そして、それは「相手に対する思いやりの心」を形にしたものだと、私は認識しております。

友人が茶の湯を学んでいます。
私も、時に招かれますが、特に学びに来た者以外には、「お好きに味わって下さい。作法より、美味しいと思って下さったら嬉しいのです」そう仰りました。

到来物の菓子を喜こび、奥方の抹茶で味わいを増す。
そりゃ、美味しかろう!
それでよいではありませんか。

この後、抹茶が甘露になることをお祈りしています。

2015/11/27 12:45:26

消えた画像

彩々さん

いつか書かれるかと思っていました。
美味しいお菓子をお抹茶でいただきたかった
だけだったのでしょうに。

少し心が重たくなる出来事だったのだと
気にはなっていました。

でも、今日のBlog読ませていただいて、
私まで胸やけを起こしていましたが、
すっきりした想いです。

それにしても、その方、茶道の作法なるものを
パトさんに直接、伝えたかったのでしょうが、
コメント欄に書いてくださればよろしかったのに…
そうしたら、もっと皆のためになりましたのに。

2015/11/27 11:51:28

ほっとけ

さん

形式主義は主観的なもの、主観が同じ人間の同好会。
知識を他人にも教えたい、そんな人でしょう。
私が無知なだけということも含めて、そう思います。
私は実際主義です。菓子やお茶は美味しければ良い。お皿にしてもそれぞれの感性、人間皆違います。
ちょっとした知り合いで信じられないくらい上品な方がいました。持って生まれた、という感じの方でしたが、その方が一番、形式に拘らない方でした。
重鎮様もきっとそんな本物の重鎮だと思います。

2015/11/27 11:35:59

作家魂と優しさ

シシーマニアさん

師匠の、人生の一コマを垣間見た思いがします。

と同時に、創造に携わる種族の方々は、どんな経験でも、その発端が、快であろうと不快であろうと、作品に投影するという、現場にも居合わせた思いです。

素晴らしい、作家魂なのですね。

そして、表現の根底にはいつも、師匠の優しさを感じます。

2015/11/27 11:23:27

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