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パトラッシュが駆ける!

歩きの効用 

2015年11月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私は、歩くことが好きだ。
何かにつけて歩く。
都心へ出るのに、わざわざ隣の荻窪駅まで、一駅分を歩き、
そこから地下鉄に乗る。
パソコン関係の買い物をするため、これは逆方向に一駅分歩き、
吉祥寺のヨドバシに行く。
こんなことをのべつやっている。

歩くことは、身体に良いとされている。
では、歩き過ぎた場合はどうか。
軟骨を摩耗させ、関節痛などを引き起こさないだろうか。
私はこれを心配している。

健康のためと称し、サプリメントを常用する友人が居た。
凝り性の彼は、様々な種類のそれを入手しては、片端から飲んだ。
やがて彼は、痛風を発症し、足が痛いと言って泣いた。
例え身体に良いことでも、度が過ぎれば、たちまち害になる。
その例を、私は目の当たりにしている。

歩き過ぎて、歩けなくなる。
これを恐れている。
私から足を取ったら、ただの粗大ごみだ。
歩けない人生なんて、私には何の意味もない。

しかし、今のところは大丈夫だ。
私の足は、酷使に耐えつつ、健全に動いている。

歩きの効用は、身体のためばかりではない。
頭脳活動の一助にもなっている。
デスクに向かい、長時間座していると、頭が鈍麻して来る。
こりゃいけないと、外に出る。
歩いていると、思いがけないアイデアが、にわかに閃くことがある。
行き詰まっていた文が、適切な表現を得て、すらすら進み出したりする。
私は、足でもって、文を書いている感がある。

 * * *

二駅離れたところに、我が家の檀家寺があり、
そこの墓に、父母が眠っている。
毎年元旦と、春秋の彼岸に、墓参りをする。
祥月命日にも行く。

母は癌により、六十三歳で死んだ。
四人の子を育て上げ、これからという時であった。

母の人生の盛りは、戦中戦後の混乱期に、重なっていた。
食べ盛りの四人の子を抱え、母は必死だったに違いない。
僅かな畑を耕し、鶏を飼い、時には買い出しに行くなど、
子供達を飢えさせないために、あらゆる努力をしたと思われる。
常に粗末な着物姿であった。
化粧した顔など、ついぞ見なかった。
朝から晩まで、働きに働いていた。

その母に対し、私達は一体、何をしてやれただろうか。
一度、温泉に誘ったことがあった。
妻の勤務先の厚生施設が、箱根にある。
そこなら安く泊まれるから、どうかと誘った。

「お前たちの世話には、ならないよ。行きたきゃ、自分で行くから」
母は負けず嫌いであった。
素直でないところがあった。
そう言っておきながら、自分で行く気も、ないのであった。
この辺、私に似ている。
私もまた、懇願してまで、誘うようなことをしなかった。

 * * *

私は時たま、檀家寺まで歩いて行く。
一時間かかる。
その一時間と言うもの、母を思い出している。

「お蔭様で、元気にやってるよ」
私の娘が、二児の母となっていることを伝える。
私の娘は、即ち母にとっては、初の女孫であり、
その顔を見せてあげられたことが、私の唯一の、
親孝行と言えるかもしれない。

娘の二人の男児、それは母にとって、ひ孫と言うことになる。
その二人が、生意気盛りになり、手を焼いていることなどを伝える。
私自身のことも感謝する。
頑健な身体に産んでもらったおかげで、病気一つしない。
現にこうして、歩いて墓まで行こうとしている。

母は末期の癌であったのだろう、診断を下されてから、一年経たずに死んだ。
当時は、患者本人に、そのことを知らせなかった。
長男である私が、医者に呼び出され、告知を受けた。
それを本人に悟られてはならない。
私達は示し合せ、癌であることを、ひた隠しに隠した。
しかし、患者はただでさえ、神経が鋭敏になっている。
母はその病名を、とうに悟っていたに違いない。

毎年、十一月の初めには、年賀状が売り出される。
「今年は必要ない」
母が言った。
「何を言ってるのよ、お母さん」
付きりで看病していた、妹が叫んだ。
私達は、断固として年賀状を買った。

その一週間後に、母は逝った。
葬儀が済むや、あわてて喪中欠礼の葉書を出し、
その年賀状は何も書かれないまま、後に廃棄することになった。

 * * *

「諦むに 足るほどの労 あれよかし」
当時、短歌を作ろうとしたが、出来なかった。
上句は出来たが、下句が容易に出て来ない。
挽歌悼歌というのは、意外に難しいと知った。

手術の際は、進んで献血をするなど、私達兄弟は、
出来る限りの努力をした。
しかし、そんなものは、母の通って来た人生に比べれば、
いかほどのことでもない。
もっと大きな苦労がしたかった。
それこそ、諦めるに足るほどの、苦労をである。

その思いは、今に通じている。
安楽な墓参りを、してはならない。
いっそ墓が、駅五つ分くらい、離れていてほしかった。
それを歩いて詣でるくらいで、ちょうど良い。

歩きながら、そんなことを考えている。
空が青い。
母の死んだ、あの日も青かった。
11月にしては、温かい日であったことを覚えている。



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なるほど

パトラッシュさん

我太郎さん、
恐れ入りました。
そんなに歩いてらしたんですか・・・
我太郎さんは、てっきり、車ですいすい、かと思っていました。
歩き過ぎにも、弊害があるのですね。
末梢血管ですか・・・
多少、思い当たらない節が、ないでもなく・・・
気を付けましょう。

不思議なものですね、
母への思いは、年と共に、深くなります。
今更、孝行のしようも、ないのですが・・・

2015/11/27 14:24:46

過ぎたるは

我太郎さん

歩くことの効用は知られたことでありますが、私の場合はカメラ他約7kgを背負ってで、調子に乗って毎日10kmくらい歩いていた時期がありました
腰に負担がかかり、右足の末梢血管に不具合が起き足首から先に痺れが出ました
歩きもただ歩けば良いと言うものでもなく、良いとされる歩き方をしないとかえって逆効果だと言うことですよね
今でも長く歩くと痺れで痛くなります

親への想いは、特に母親に対しては、いくら尽しても足りないものだと思います

2015/11/27 11:10:13

お気楽に

パトラッシュさん

強力粉さん、
毎度お読み頂きまして、ありがとうございます。
でも、謹読なんて、やめて下さいよー
さらさらと、軽く読み流す文、それを目指しておりますので、どうぞ、肩の力を抜いて、気楽にお読みください。

強力粉さんも、お書きになりませんか。
日常のことなど。
良き読者は、良き作者足り得る・・・というのが、
私の経験則であります。

2015/11/27 06:48:41

初コメント失礼します

さん

シニアナビ随一の素敵な文章、唯一の読む価値あるブログ、いつも謹読させていただいています。読めば毎回僕もだれかに手紙を書いてみたいような気持ちさせられます。これからも更新を楽しみにしています。

2015/11/26 18:02:20

変人です

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
挽歌悼歌は、言うに及ばず、実は相聞歌だって難しい。
花鳥風月の方が、まだ詠みやすいのですが、満足の行く作品は、なかなかできず、結局、歌は何でも難しいのです。

遍路旅で、歩きの旅人に、たくさんお会いしました。
確かに、個性の際立つ人が多かったです。
時流には、容易に流されないぞと、その顔が語っていました。
その、変人群れなす中では、私なんか、平々凡々たるものでして・・・

しかし、陋巷に戻れば、私もいっぱしの変人で通るようです。(笑)

真似すること自体を、恥と心得ております。
パクリをやるくらいなら、死んだ方がましだ・・・くらいに。

2015/11/23 19:22:27

「挽歌悼歌は難しい」心に沁みました

シシーマニアさん

歩くのが好きな人は、人の意見に流されない人が多い様に思います。
今、気が付きましたが・・。

人に頼らないし、好奇心も強い。
言ってみれば、個性的な人が多いのでしょうね。
師匠のユニークなことは、先日のギャラリーを拝見して、確信しましたし。

ものを作る人は、個性ということを四六時中考えているのでしょうから、真似はしない、という本能も当然働くのでしょう。

2015/11/23 15:31:53

本当は

パトラッシュさん

Reiさん、
走りたいのですが、足が、息が・・・で、
やむなく歩いているのですが、
でも、当人は、走っている気分で、書いているのです。
それも、疾走、爆走です。(笑)

東京駅から池袋まで、あれは失礼、自転車の時間でした。
徒歩だとその倍はかかるかな・・・
でも歩いて見る価値はありますよ。
山手線内は、迷ったって、必ずどこかの駅に出ますから・・・

2015/11/21 18:18:33

歩くのが好き

Reiさん

私も歩くのは大好きです。
どうしようもない方向音痴なのですが、自分で苦労して歩いた所は、不思議とわかります…当然ですね(((^_^;)

ところで、師匠のブログ名は「パトラッシュが駆ける!」ですが、走ることはないのですね!?

2015/11/21 14:37:26

そうなのです

パトラッシュさん

星の砂さん、
よく気付かれました。
歩いた時に見る光景は、電車や車からのそれとは、
明らかに違います。
それこそ、実景vs.虚景というくらいに。
私は、実景が好きなもので、それで歩き旅ばかりをやっております。
エスカレーターも原則利用しません。
量販店は、他にもあるのですが、どういうわけか、
ヨドバシに足が向いてしまいます。
(ポイントがたまっているせいもあり)(笑)

2015/11/21 14:13:15

お強いのですね

パトラッシュさん

喜美さん
お身体が強靭に出来ているのですね。
お母様が、小魚などを摂り、丈夫に生んで下さったのでしょう。
女学生の頃、お歩きになったことが、今にして効いているのかもしれません。
もう、無理することはありません。
自然に逆らわず、悠々自適して下さい。

2015/11/21 14:06:48

敬服の一語

パトラッシュさん

COSMOSさん、
20000歩以上ですか・・・
それは大したものです。
その結果として、東京名所を数々発掘しておられるのですね。
足の続く限り、頑張りましょう。
お互いに・・・

2015/11/21 14:01:52

近場

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
私も歩くのは、行きだけです。
帰りは、寿司でも食べ、一杯やって帰ります。

三人揃い踏みとなると、さぞ盛り上がるでしょうね。
墓が近いのは、何のかの言っても、良いことなのでしょう。

2015/11/21 13:58:57

出来る限り歩く

さん

私もヨドバシですね。
仕事の帰りはひと駅手前で降りて歩き、出来る限りは階段を。
前は何処へでも、近場でも車でしたが、ある時に気が付き歩くようにしていたら、毎日の風景が違ってる事に気が付き楽しみが増えました。

2015/11/21 13:02:15

歩くの嫌い

喜美さん

私は反対に歩かない 学生のころは 海軍工廠の後が女学校になり町はずれだったので40分は歩いた

結核になったので親は高い薬を買うため色々工面したし私のために卵や肉を探した 今考えられない 妹たちには羨ましがられたり 結婚してからはあの山の上
毎日のお使い 若いからか何とも思わず 歳と共に疲れ始めたけれど其のころは主人も仕事辞めたので車で買い物
それ以来歩かず 
歩かないと認知になるとか 心配したけれど そんなことはない 私のグループで一番歩いて行商していたし計算は早い何から何までやった彼女数年前から認知

此の間馬鹿なことして裏口で転び
痛い痛いと我慢の生活 少し良く成ったので病院に行ったら先生驚き 骨折れたいたのが自然に付いたんですって此の歳では早く来れば手術で其のまま歩けなくなる人もあるとか 私のように歩かなくても元気な体の持ち主もあること知ってね 

2015/11/21 10:52:36

私も歩きます

COSMOSさん

写真を撮りに行くときはもよりの駅まで行きあとは歩きです。多い時は2万歩以上あるきます。同じく歩きすぎが気になるときがありますが、でも大丈夫だから歩いています。歩けなくなったときが終わりだと思いながら。パソコン関連は私も吉祥寺のヨドバシです。同じですね。

2015/11/21 10:39:08

年賀葉書

吾喰楽さん

おはようございます。

母上の云うことを聞かず、年賀葉書を買った気持、よく解ります。
私が同じ立場でしたら、そのようにしたでしょう。
でも、私の両親は、何れも春に他界したので、その心配はありませんでしたが。

兄と墓参りに行くときは、生家から歩きます。
都心に向かって一駅です。
親を偲びながらではなく、帰りに何処かで飲むことを考えてのことですが。

2015/11/21 10:11:01

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