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パトラッシュが駆ける!

対局忌避はいかんぞや 

2016年02月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

「床屋のついでに、寄ってみた」
モクネン氏が、ぬっと顔をのぞかせ、言った。

私は、庄助氏と碁を打っているところだった。
ほとんど終りかけている。
ちょうどいい。
交代して、二人を対戦させよう。

「どうぞこちらへ」
局後の検討もそこそこに、モクネン氏を碁盤の前へと促した。
そうしたら、変なやつだ。
「いやぁ」と言い、その手を顔の前で、横に振った。
囲碁サロンに来て、碁をやらない。
では、何をしに来たのか。
まさか、散髪直後の頭を、見せに来たわけでもあるまいが。

庄助氏の方は、憮然としている。
俺じゃあ、不足なのか・・・とでも言いたげだ。
「じゃあこれで」
帰ってしまった。

モクネン氏が一人、サロンに残っている。
彼は元々、口数が少ない。
かつてのエンジニアであって、人付き合いなんてものを、
軽視しているところがある。
何でも、自分のペースで動く人だ。
本日も、その名の通り、黙然と座っている。
そうして、茶を啜っている。

数分が過ぎ、やっと口を開いた。
「一局お願い出来ますかねえ」
何のことはない、この私となら、碁をやりたいと見える。

「さっきの人と、打てばいいのに」
「あの人、強そうだ。とても敵わない」
「そんなことはありません。あなたの方が白です。二つくらい、
置かせるようです」
「そんなはずはない。さっきの碁を見てると、僕より大分強い」
「あのねえ」

その判断を行うのは、私なのだ。
囲碁サロンの席主は、客それぞれの、棋力というものを知っている。
知っていて、適正なハンディを設ける。
勝負が拮抗するように、置石の数を決める。
それが仕事なのだから。

モクネン氏との一局を終わった。
またもや沈黙の時間が流れる。
またもや、二人して、茶を啜っている。
数分が過ぎ、またもやモクネン氏が口を開いた。
「もう一局、お願い出来ますか」
彼は、物事を急がない人だ。
元々が、そう言う性格なのだ。

「いいですよ」
私は囲碁サロンの主だ。
客から、要望があれば、よほどのことがない限り、対局に応じるつもりだ。
但し、正直に言えば、のべつ碁ばかりでも、少々うんざりもする。
疲れても来る。
こんな時、別の客が来てくれればよいのだが、そう上手くいかない。
待っている時に限り、客は来ないとしたものだ。

 * * *

このところ、小学生の生徒が増えている。
幼稚園児も居る。
囲碁を始めて、まだ間もない者ばかりだ。
彼らには、ただ技術を教えるだけでも、いけない。

囲碁はそもそも、戦いのゲームであり、盤上では、
何もかもを生徒自身が、解決して行かねばならない。
その力を付けさせる。
それが指導者の、役目と思っている。

A男とB子を対戦させる。
A男は小学三年生、B子は幼稚園児。
しかし、囲碁に入門したのは、B子の方が先だ。
そこに、一日の長どころか、一年の差がある。
当然のように、A男が弱い。
この際、年齢は関係がない。

当然、ハンディキャップを設ける。
A男に、置石を三つ置かせる。
それでもB子に負けてしまった。
A男憮然としている。
言葉もない。
年下の、それも女子に負けるとは、そりゃ辛いものがあるだろう。

女子の場合は、負けると涙を流すことがある。
「ここ、こう打っていれば、勝ってたんだけどね」
私の解説に、頷きつつ、その目からさらに、涙があふれる。

これが辛い。
碁の先生をやっていて、何が辛いと言って、生徒に泣かれるほどのことはない。
ではどうしたらよいか。
両者を勝たせる方法などない。
せめて勝負が拮抗するように、適正なハンディを付ける。
勝ったり負けたりに持って行く。
そう言うことくらいしかない。

負けても、その負けを、苦にしない生徒が居る。
淡々と受け止めている。
これを、鷹揚と言うことも出来る。
その性格は、棋力の向上ということには、
多少の問題があるのだが、先生にとっては、ありがたい存在だ。
負けを引き受けてくれる。
他の生徒の、成長の糧になってくれる。
貴重な存在だ。
そのままでは、終わらせられない。
私の指導は、その生徒に対し、一層熱を帯びることになる。
懇切丁寧に教えてやる。

一方で、厳しく対する生徒も居る。
生意気な生徒だ。
対局を忌避する生徒だ。
あの人とはやりたくない。
用事がある。
もう帰る。
逃げてしまう者が居る。

それらに対し、私は容赦しない。
但し、碁盤の上だけだが。
ぐーの音も出ないほどに、やっつける。
私は、私情で動く指導者である。
囲碁サロンの主でよかった。
これが学校教育だったら、えらいことになる。

 * * *

その後、モクネン氏は来ない。
あれからもう、三か月になる。
少し、厳し過ぎたかもしれない。
しかし、元はと言えば、彼がいけない。
対局忌避がいけない。
私は指導者たることも忘れ、モクネン氏を完膚なきまでに、
打ち負かしてしまった。



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サロンへどうぞ

パトラッシュさん

彩々さん、
おはようございます。
サロン内では、わたくしめ、一応「先生」と呼ばれております。
しかし、呼ばない人もいます。
古くからの友人などです。
金物屋時代を、知っている人などです。
「○○さん」
私の姓を呼びます。
とても、尊称などでは呼べない、呼びたくないと、
こう思っているからでしょう。
わたくしめ、軽いのです。
体重ではなく、人格がです。
とても彩令詩先生のような、尊敬は、頂けないのです。

中央線でお通りになった時は、是非西荻窪で途中下車して下さい。
駅から5分です。
電話を頂ければ、お迎えに上ります。
私のサロンを、どうぞ見てやってください。
その狭さに、驚かれるでしょうけれど。

2016/02/08 09:34:35

素敵な店主

彩々さん

「囲碁サロン」の主をなんと呼ぶのが
一般的なのでしょう?

通ってくる子供たちにとっては、先生でしょか。

ふらっと覗きに来て、一局さしていく大人にとっては
友達!?

今日は負かせてやろうと拳を握り絞めて座っている
人にとっては、憎き野郎なのでしょうか!?

師匠、師匠と慕い続け、通ってこられるご婦人も
おられる事でしょう。

そこに行けば、どんな顔をも持つパトさんがいらっしゃる
のですね。
是非一度、訪ねてみたい「囲碁サロン」です。

2016/02/08 06:08:03

割り切って

パトラッシュさん

我太郎さん、
趣味の楽しみ方は、人それぞれでして・・・
勝負事は、勝つことが優先ですが、ほどほどに楽しめればいいさ、という人もいます。
それで、よろしいのでしょうね。
気のない生徒は、いずれ去って行きますので、目くじらを立てることもないと、私は割り切っています。

2016/02/06 19:10:03

何事も

我太郎さん

勝負事は負けて涙を流すから強くなる面が有るのでは?
相手を選んでは強くなれないでしょう
私は趣味は楽しければ良いとの思いで、始めから弱いと思っているので負けても笑っています
強くなろうはずがないんですが、輪に加わるだけでも楽しくなります
そんな雰囲気になれない所には行きません
教え甲斐が無い生徒になるでしょうね

2016/02/06 17:38:25

たかが碁でも

パトラッシュさん

喜美さん、
人様を教育するのは、大変です。
生徒と言ったって、私より年長の者も居るのですから。
小学生は、それでも反抗はしませんので、楽と言えば楽です。

2016/02/06 17:11:51

一応先生でして・・・

パトラッシュさん

Reiさん、
そうですよ。
Reiさんは、私の酔態しかご存知ない。
普段の私の、きりっとした顔を、お見せしたいものです。
そう、Reiさんが、パッチワークの構図を考えている時くらいの、真剣な顔をしているのです。これでも。
(笑)

2016/02/06 17:09:11

定見というものがなく・・・

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
私は、人格者ではありませんで(決して謙遜ではなく)
生徒に対し、分け隔てなく、なんてことが出来ないのです。
つい、文中にあるような仕儀になってしまいます。
一方で、あっさり見捨てられればよいのですが、
これも出来ません。
中途半端であり、「完膚亡き」にも「見捨てる」にも、徹底が出来ません。
困ったものです。
本来的に、先生には、向いていないのかもしれません。

2016/02/06 17:03:33

教えるのはむずかしい

パトラッシュさん

風香さん、
十人十色、生徒もさまざまです。
それを言えば、先生だって。

生徒に合わせた教え方を・・・と思いながら、
なかなか理想通りには、行かないでいます。

2016/02/06 16:49:33

ハハハ

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
私は、それほど冷酷無比な男ではございません。
さりとて、人間が出来ているわけでもなく・・・
生徒に対し、時にお灸をすえます。
カミナリは落とさない代わりに、碁で厳しくやっつけるのです。

文筆の方は、少々違います。
私は、先生ではなく、先輩くらいに思っておりますので。
厳しくは出来ません。
それでも酔うと、「もう破門じゃー」と、つい叫んでしまうのですが・・・

2016/02/06 16:46:47

やっぱり

喜美さん

教える方は大変ですね
そんなに深く考えていませんでした
其れに商売でしょうし
私も二人の子持ちでしたけれど
何気なく教育が違いまし個性が兄弟でも違いますから
特に大人のお友達は大変ですね

2016/02/06 15:46:52

指導者として

Reiさん

苦労されているのですね。ただ漫然と碁を打っているわけではないのですね・・・あ、もちろんずっと前から
そう思っていましたよ!

私もパッチワークの教室をしていた時に、その人次第で教え方を変えていました。
一を言って十を知る人、十言っても一も理解しない人もいますからね(^^;)

でも、教えることはとても好きでした。
手作りの楽しさを感じてくれることが嬉しかったのです。

モクネン氏もまたふらりと現れるかもしれませんよ。

2016/02/06 14:29:25

師匠の立場と、生徒の立場と、

シシーマニアさん

教育は、生徒の人間性を見据えるのが必須なので、難しいですね。
自分は、徹底的に「完膚なき」タイプで鍛えられたので、教える立場になってからは、余り好きな手法ではありません。
西洋の先生は、どちらかというと「見捨てる」タイプが多い様に思います。先生の方が、黙然です(笑い)
「完膚なき」タイプは、ある意味面倒見が良いともいえますよね。

只、師匠の場合は実戦を持って完膚なきまでに打ち負かすのだから、どちらに分類できるのかなあ・・。

2016/02/06 12:08:06

個性って

さん

全てに出てくるのですね。
それをひきずって人生なんだなぁ、と。。

2016/02/06 10:43:55

あな怖ろしや〜

さん

パトラッシュ師匠 おはようございます。

囲碁の世界でも、学校教育でも、時には完膚なきまでに叩きのめしても(手は出しちゃいけませんよ)よいのではないかと思います。
碁は、技術の上達と共に、礼儀作法を学ぶものだと思っているからです。
学校教育もしかり。
学業のみならず、人としての在り方を学んでほしいものです。

しかし、小説や、ましてや歌舞伎の創作に関しては、どうぞ、お手柔らかにお願い致します。
私、逃げは致しませんので。

2016/02/06 09:38:28

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