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パトラッシュが駆ける!

東京から来ました 

2016年02月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

岐阜県東部にある、岩村城に行った。
現存するのは、石垣だけであり、つまりは城址なのだが、
波乱の歴史を有することもあり、日本百名城に入っているという。
日本三大山城の一つであるとも言う。
それなのに、訪れる客は少ないようだ。
交通の便が、よろしくないから・・・かもしれない。

「東京から来ました」
と言ったら、資料館のおじさんは「おお」と声を上げ、
来館者名簿を差し出した。
「是非、書いてってください。お名前を」
そんなに珍しいのか、東京からの見学者が・・・
と思いつつ、その名簿を見ると、もっと遠来の客だってある。
九州からのがある。
東北の人も居る。
要は誰でもよろしいのであろう。
訪れてくれた客には、歓迎の意を込めて「どちらから?」と尋ねる。
そして「おお」と驚く。
それも職務の一つなのではあるまいか。

これが京都や大阪だと、まったく違う。
何処へ行こうと、何も聞かれない。
こちらから言おうでもしたら、
東京から来た?それがどうした?
という顔をされかねない。

だから何も言わない。
しかし、接客業の人々は、人を見る目がするどい。
何気ない風を装いながら、実は客を、しっかり観察している。
客の喋るのを聞き「ああ東京者だな」と、たちまち察する。
だから「どちらから?」と聞かれたら、それは、
彼らなりの愛想の一つ、話の接ぎ穂くらいに、受け止めるべきだろう。

これが九州辺りだと、少し様子が違う。
「それはそれは、遠いところを」
国東半島の小さな寺で、そこの庵主に、大いに感激されたことがあった。
悪い気はしない。
歓迎されているという気になる。
賽銭も少し、弾んでやろうかという気にもなる。

四国や山陰地方でも、同じようなことがあった。
「それはそれは」
と言うところに、多少なりとも、ウエルカムの意味がある。
労いを感じる。
私も昔は、商売をやっていた。
だからよくわかる。
遠来の客に対しては、やはり感嘆詞を多用したものだ。

「東京はどちらで?」
さらに突っ込まれることがある。
「杉並です」
「おお杉並」
「知ってますか?」
「息子が住んでいたことがあります。高円寺に」
「それはそれは」
奈良の壷阪寺から、高取山に登る山道であった。
たまたま、犬連れの地元民が居て、山菜を採集していた。
挨拶をしたら、上のような話になった。
しかし、なっただけ。
それだけのことである。

これが杉並でも、西荻窪に住んでいた。
私のかつての店で、買い物でもしたとでもなったら、
それは奇縁だろう。
「はい、さようなら」では、もう済まされまい。
「息子はその後、奈良に戻り、今は県庁に勤め・・・
なんてことにまで、話が及んだかもしれない。

偶然ながら、高取山にも城跡があり、これがまた、
三大山城の一つとなっている。
私は、よほどの古城ファンと思われるかもしれない。
そうではない。
実は両城とも、旅程にはなかったのだ。
それぞれ旅先で、その地の友人に勧められ、あるいは案内され、
急遽訪れたに過ぎない。

ちなみに、残りの一城は、岡山県の備中松山城であり、
これもまた、旅のついでに訪れている。
ここでは誰にも出会わなかった。
いや、そうではない。
人はぞろぞろ居た。
しかし、話を交わすことが、なかったということだ。
混雑は、人と人を、むしろ疎遠にさせる。
だから、赤の他人と話をしたければ、むしろ僻陬に行った方がいい。

 * * *

「杉並というのは、東京でも、インテリが多く住むところでしょ」
関西に住む知人から、言われたことがある。
「そんなことありません。ごく普通の町です」
現に、私のようなガサツな人間が、住んでいるじゃないですかと、
こう言ってやった。

彼は笑った。
しかし、頷きはしない。
「私は、東京二十三区を、一通り巡りました。その中で、
杉並世田谷というのは、やはり違いました」
「何がですか?」
「雰囲気ですね。下町にはない、落ち着きと言うものがあります」

彼は、自著を図書館に置いてもらうため、各地を巡っている。
いわば、旅人だ。
その目で、通りすがりに見たくらいで、町の何が分かるか・・・
ということもある。

しかも彼には、先入観がある。
かつて、杉並には、文士など、著名人が多く住み、
文化区と称されたこともある。
それを知っている。
その上での印象だから、割り引いて受け止めねばならない。

「東京の下町と山の手は、例えて言えば、大阪と神戸のようなものです」
彼は言う。
どちらの市民にも、反発するものがある。
一方で、相互に惹かれるものもある。

そう言われると、そんな気がしないでもない。
私も、下町の風情が好きだ。
家々が近接している分、住人同士の結び付きも、強かろう。
その点、山の手の方は、よそよそしい。
お高くとまっている住人も、居ないではない。
それは、何処へ行ったって、同じだ。
他と比べ、多いか少ないか・・・
ということになる。

住めば都ではある。
しかしながら、私は、他の町のことを知らない。
住み比べるわけにも行かない。
生涯一女房、そして生涯一住所、これで人生を終えるよりない。

「東京です」
まではいい。
しかし「東京杉並です」となると、もしかすると、言い過ぎかもしれない。
自慢している風に、取られかねない。
「東京の外れです」
このくらいの方が、当たり障りがないかもしれない。



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それはそれは

パトラッシュさん

元々は代名詞ながら、下に来る言葉を省略することにより、
実態は感嘆詞として使われています。
はっきり言い切らないところが、いかにも日本語的であります。
会話を円滑にする働きがあり、便利なので、私も多用しております。
文章では使えませんがね。

「○○から来ました」と言う時に、その○○が持つ、イメージが問題になります。
「京都から」「金沢から」というと、いかにも風雅であり、
自称した場合、自尊のようにも、受け止められかねません。
「東京から」と言った場合、私はそこに、自慢も何もないのですが、
もしかすると優越感が匂っているのかなあと、思わされたりもします。
自ら言う場合は、要注意だなと、思ったりもします。

「札幌」には、「道都」と共に「北の大地」という、
好ましいイメージがありますね。
(私の受け止めですが)
「名古屋」は、さてどうなのでしょう。
日本有数の大都会ながら、これというイメージも湧きません。
可もなく不可もなく・・・というところでしょうか。

2016/02/15 20:50:36

それはそれは

シシーマニアさん

この言葉は、良いですね。
言葉だけではない、気持ちが伝わってきます。
誠意のある受け答えをしたければ、「まあ、それはそれは」で十分なくらいですね。

「札幌から」という自己紹介は、客観的にちょっとエキゾチックな感じがあって印象はよいのですが、札幌においては「東京から」という方が感銘を与える様なきがします。
いずれにしろ、「名古屋から」というのは、何となく宙ぶらりんですけれど・・。

2016/02/15 10:37:01

地より人

パトラッシュさん

彩々さん、
良いところにお住まいではないですか。
しかも、神戸のような、日本人の多くが憧れる地に成長されて・・・
私のように、ほとんどこの地を動かなった者にとっては、うらやましくもあります。

私もかつては、移住願望があったのですがね。
今はもう、動くのが億劫になりました。
多分、この地において、くたばることになるでしょう。
今は、人が大事です。
対人関係を、重視したいと思います。
彩々さんも、畏友の一人、これからも、よろしくお願いいたします。

2016/02/14 16:44:38

流れ流れて…

彩々さん

おはようございます。

パトさんが呟かれている↓の一節

>生涯一女房、そして生涯一住所、これで人生を終えるよりない。

夫を取り換えたことはありませんが(笑)
安住の地を持っているという事に、羨ましい
想いがあります
こういう思いに落ち着いて、生涯を全うできると
いうのは最高じゃないでしょうか。

男性と女性の違いもあるでしょうが、結婚して、
転勤が有って・・という変化が有りすぎる人生、
今、縁もゆかりも無い、この土地に住まいして、
やっとこの先の事を落ち着いてイメージできる
ようになりました。

この年になっても、人にはそれぞれの想いが
あることに驚きます。
人生、いろいろ、出会いも色々。

2016/02/14 08:52:11

変容

パトラッシュさん

喜美さん、
ご主人は、阿佐ヶ谷の出でありましたか・・・
杉並でも、区役所があるなどして、中心部ということになります
終戦後の数年は、変わりようも激しかったことでしょうね。
旦那様、さぞ戸惑われたことでしょう。

2016/02/13 16:57:05

尊大にはなるまいと

パトラッシュさん

風香さん、
人間というものは、差別化をはかりたい動物なのですね。
おのが優位を誇り、他者をさげすむなどして。
それが、地域比較にも、つい現れるのだと思われます。
無意識のうちに、そうならないよう、心して生きたいと思います。

2016/02/13 16:54:02

山のあなたの空遠く

パトラッシュさん

SOYOKAZEさん、
休業中のところを、よくぞおいで下さいました。(笑)
東京はまことに、横に長いですね。
私は昔、本気で考えたことがあります。
奥多摩の方に、セカンドハウスを買い、リタイアしたら、そこで過ごせないかと。
空気、水、広い土地に、そして静寂と、憧れる要素は、とても多いのです。
それも夢に終わりましたけれど・・・


(どこかに、婿入りの口があれば、これからでも、
行きたいけど、ないでしょうね、そんなウマイ話は)(笑)

2016/02/13 16:46:11

大昔

喜美さん

主人は阿佐ヶ谷に昔住んでいました
其処からパラオに行き終戦でここが
儀父の生まれたところで
此処に定着しました ある時
私と阿佐ヶ谷に行き浦島太郎だと言っていました

2016/02/13 16:44:43

昔・・・

パトラッシュさん

吾喰楽さん、
そういえば、杉並の出身でしたね。(笑)
小学校の頃、教わりませんでしたか、親や教師から。
「ここ杉並は、東京でも文化区と言われ、教育のレベルが高いところなんだ」
という趣旨のことを。
子供心に、自信とプライドを植え付けようとしたのではないかと、私は理解していますが・・・
はあ、そんなものかなぁ・・・
と思ったものでした。
他を知らないのだから、比較のしようもないのですがね。
今はもう、そんなこともないでしょう。

関西の人から、そんなことを聞くとは意外でした。
悪い気はしませんが・・・

2016/02/13 16:37:03

なるほど・・

さん

その土地ごとのイメージがね。。
わかるような気がします。
私の住まいする小さな町でも地域のイメージがありますし。
酷い人は「あの地域は民度が云々」とか言います。
イメージの払拭は時間がかかるのですね。

2016/02/13 16:23:10

休業中ですが(笑)

さん

他ならぬ、師匠のブログです。(笑)

私は、東京の西の端、「山に囲まれた場所なんですよ」「へぇ、東京に山なんてあるんですか」「狭い都ですが、山もあれば、海もあるんです」な〜んて、会話が広がります。
とかいなか(都会の田舎)も、捨てたもんじゃありません。
旅に出たら、土地の方と話すのが楽しみな私ですから。

2016/02/13 13:17:43

ダサイ玉

吾喰楽さん

こんにちは。

かつて、私は「東京の杉並」と、云っていました。
自慢げに聞こえるかもしれないと気が付き、「東京です」に、切り替えました。

今では「埼玉の外れです」とか、「埼玉の郡部です」と、云っています。
一時期、自虐的に「ダサイ玉」とも、云いましたよ。
そんな言葉が、流行りましたよね。

2016/02/13 13:09:15

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