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部落問題・人権問題学習に、 貴重な提言をしてくれた友人が逝きました。合掌! 思いを継いで・・・ 

2016年10月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

    切ない記事ですが・・・


また、友人の訃報がありました。
昭和44年に滋賀県の高校教師に成って、
以後、定年まで40年余、
長く、私の部落問題・差別問題学習に
大きな影響を与えた人物が世を去りました。

彼は、教師でありませんが。
昭和40年代から50年代にかけて、
私たち教職員や高校生の部落問題・人権問題学習に、
貴重な提言をしてくれた、
部落解放同盟正常化全国連絡会議(略称:全解連)の書記長でした。

彼自身が部落差別に苦しみ、
苦しみの中で掴んだ哲学を基に、
貴重な提言をしてくれました。

その中でも、特に、私が啓発された提言は、
“違い”は“違い”と認めつつ、“共通の基盤”を拡大する!!!
    という言葉です。

例えば、
部落差別と貧困による差別は、違う!
だけど、
共通する性質は、ある!

部落差別のみを、貧困による差別のみを
過大に評価するのではなく、
両者に「共通する問題点」を認識して、
その認識を拡げて、
闘う基盤を拡げて行こう!!!
    とする考え方です。

    難しい表現ですが、
    人間のそれぞれの苦しみを、
    きちっと受け止めることによって、
    闘いの輪が広がり、
    連帯の幅が広がって行く・・・!!! 
       とう考え方です。

納得! です。
以後、私は、差別の不当性は、問題にしつつ、
のそれぞれの苦しみを、
    きちっと受け止めることによって、
    お互いを大切に出来る!!!
       という見方を獲得出来ました。

昭和40年代・50年代は、
差別が、露骨で厳しく、
滋賀県でも差別に抗議して
自死した女子高生が居ました。

彼も部落差別に苦しみつつも、
公正な見方を追究して、
連帯の輪を拡げて行きました。

昭和末から平成の今、
露骨な差別は減りましたが、
ジョークの形を借りた、
例えば、お笑い芸やテレビ番組で、
高齢者を嘲ったり、
容貌で人を侮蔑する風潮が、蔓延っています。


合掌、Hくん、
私より若いのに逝ってしまっって、
だけど、君の思い・・・
“違い”は“違い”と認めつつ、“共通の基盤”を拡大する!!!
    を大切に、、
     微力を重ねていきたい、
    改めて、思いが募ってきています。m(_ _)m

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