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日々徘徊〜♪

螺鈿工芸。 

2017年01月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/13/2017011301579.html

韓国工芸芸術家協会会長
「朝鮮が日本へ螺鈿の技術を教えた」
          ★

この方勉強不足。
では何故螺鈿の美術品が奈良時代から日本に根付いてたのか植民地時代っていつのことでしょうか?
いつも曖昧に教えていますね。

 韓国の政府機関が発行する書籍や記録の誤りも指摘した。
李会長は「植民地時代に韓国の職人が日本へ渡って螺鈿(らでん)の技術を伝えたのに、逆に『日本から学んできた』と誤って記述している点が特に問題」と記した。本書の序文には、こんな記述が登場する。「日本の『フジヤマ大百科事典』(原文ママ)には『韓国の螺鈿漆器職人・全成圭(チョン・ソンギュ)は、宋周安(ソン・ジュアン)、金奉竜(キム・ボンリョン)と共に日本へ渡り、螺鈿の技術を教えた。
朝鮮の一流技術者を迎えたことで、こんにち高岡市の螺鈿漆器には韓国の螺鈿漆器の影響がはっきりと表れている』と記されている。
なのに、国立文化財研究所が2009年に出した『韓国近現代螺鈿図案』には『宋周安は高岡へ研究生として赴き、8年間技術を学んで帰国した』とあべこべに記録している」
とありました。

しかしこの工芸はシルクロードから来たもので
先ず中国そして韓国から日本と・・

なので韓国の発祥とはまた違いますし
もしも教えたのなら記述にもこうして残され
そして日本のフジヤマ大百科に残されていて
良かったですね
しかしかの国では 名前すら記述にない
ということは いかに歴史をおろそかにしてきたということではありませんか?
日本では、螺鈿は奈良時代に唐から輸入され、琥珀や鼈甲と組み合わせて楽器などの装飾に使用された。
古い遺品としては正倉院宝物として伝来する螺鈿紫檀五絃琵琶、螺鈿紫檀阮咸(げんかん)などがある。
平安時代になると、螺鈿の技術は急速に向上し、漆芸の装飾技法として蒔絵との併用が盛んに行われた。
鎌倉時代になると螺鈿は鞍の装飾として人気を博し、室町時代になると中国の高価な螺鈿細工の影響を強く受けた。
では韓国にこの古代や奈良時代の物は今では国宝として
有るのでしょうか・。
無いのですね。

 愛知県陶磁美術館で開催中の企画展「高麗・李朝(朝鮮王朝)の工芸―陶磁器、漆器、金属器―」(14年8月23−10月26日)のポスター
には、この作品が主な展示物として大きく掲載されている。また、本紙が入手した展示図録では「高麗14世紀後半の作品で、高麗末期
から朝鮮時代に向かう過渡期の姿を示している。これまで知られていなかった貴重で優れた作品だ」と説明されている。

 高麗時代の螺鈿漆器は当時、外国の王室への豪華な贈り物として人気があった。高麗王朝が11世紀に外国の王室に贈った贈り物
の中に螺鈿漆器が含まれていたということが『高麗史』に記述されている。高麗美術を代表する最上級の工芸品だが、残っているのは
ごくわずかで、これまで世界で16点しか確認されていない。
どちらにしても 当時から物を特に工芸美術品など
大切に保管していなかった半島があるのですね。
そして植民地時代の日本の桜も 日本を想い出し嫌だからって 全部切り倒し薪にしたそうで
今になり桜の発祥は韓国と言うんですね。
そしてせっせとまた植えています。
まぁ日本人の匠の技は 教えられても
工夫をします。 さらにいいものを造りますので
後々に美術品として大切に保管されるのではありませんか。
教えたからでなく シルクロードから来て
そして腕を上げたからこそ 逆に
そちらの方が教わりに来たと 
そういうことなんでしょうか。
どちらにせよシルクロードからです。
工芸 多分国宝級の物を輸出していました日本がありました。陶器もそうです。
中韓の商品を見てそれ以上の物に腕を磨いたのかもしれません。
なんでも上から目線。
高岡市は中国からと・・下記
http://www.amanoshikki.com/takaoka_sikki/index.html



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