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パトラッシュが駆ける!

素顔 

2017年04月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私は、落語家と言うものに対し、偏見があったようだ。
古今亭志ん生や、立川談志など、放恣な落語家からの、影響が大きい。
彼らの奇矯や、偏屈は、市民の常識とは遠く、
むしろ無頼に近いものがあった。
落語家とは、多かれ少なかれ、常規で律しがたい、
つまり不羈の人のように思っていた。

銀座風流寄席に通うようになり、その認識が変わった。
落語家を、間近に眺めるようになってである。
その名を、三遊亭鳳楽師。
彼にはおよそ、狷介や固陋というものが、見えない。
穏やかな常識人、という域を超え、既にして、紳士でさえある。
酒席での気配りなんぞに、世慣れた長者の風格を、見せたりもする。

落語界と一口に言っても、所詮は人の集まりだ。
様々な個性に、満ち溢れている。
それを、一括りにしたところに、無理があったようだ。

 * * *

上野黒門亭は、小さな寄席であり、落語協会の二階にある。
その開場を待っていると、一階のドアから、人が出て来る。
ああ、落語家だなと察するのは、そこが協会の本部だからだ。
彼らは、町の何処にでも居る、あんちゃんや、おっさんであり、
「落語の匂い」なんてものを、まったく漂わせていない。
私達を、落語ファンと知っていて、軽く会釈をして去る。
数歩進めば、通行人に紛れ、夕やみに紛れ、
もう、ただの人になり切っている。

古今亭菊生さんとて同じ。
ラフなシャツ姿の彼からは、落語家の風韻を感じない。
古今亭志ん生の弟子であった、古今亭円菊の、
その息子であるということが、にわかに信じがたい。

そうは言っても、しかし、ただの人でもない。
人を惹きつけるものを、持っている。
恰幅がいい。
顔もいい。
その目に力があるからだろう、活力があふれているように見える。
背広にネクタイ姿なら、何処かの会社の、管理職で通るだろう。
そのにこやかな顔は、営業部長が、適任と思われる。

その菊生さんと、隣り合わせに座っている。
落語会の打ち上げを、居酒屋でやると聞き、
私も、のこのこ付いて行ったら、席の都合で、
そうなってしまった。

「飲み物は、何にしましょうか?」
菊生さんが、同じテーブルの、私達に向かい、
注文のとりまとめをやって下さる。
「ご希望の料理を、言って下さい」
飲み物が決まるや、今度は料理の差配だ。
「じゃあ、各自一品ずつ、希望の料理を取りましょう」
私達が、遠慮していると見てであろう、
「私はポテサラにします」と先導する。

つまりは、気のいい幹事さんなのである。
ちなみに、ポテサラは、ポテトサラダの略であり、
今時は何でも四字にして、言い約(つづ)めることになっている。
ちなみに、お相伴にあずかった、そのポテサラは、うまかった。

上野黒門町の、とある居酒屋である。
料理が美味い。
酒も揃っている。
そして、これが不思議なのだが、出席者には、女性が多い。
それも、三十代、四十代であり、ヤングとは言えないまでも、
おばさんや、おばあさんではない。
ちなみに私なんぞ、おっさんを通り越し、とっくに、
おじいさんになっている。

後で気づいたのだが、彼女らは、菊生さん、
そして同じく出演した、林家はな平さんの、ファンなのではあるまいか。
若い女性ファンの「おっかけ」が居る。
それは、取りも直さず、彼らの人気のほどを、語っている。

いや、もう一人の、鈴々舎馬桜師だって、いい歳をして、
女性に取り囲まれ、ご満悦のようだ。
私は、認識を改めねばならない。
役者や相撲取りと並び、落語家もまた、女性にもてる。
もてないおっさんは、悔しいけれど、仕方ない。
才覚のない者は、黙って酒でも、飲むしかない。

「調理はやりません」
ということは、菊さん、外食が主なのであろう。
四十六歳、独身であるそうだ。
この辺が不思議だ。
周辺に、女性が居ないわけではない。
それこそ、選り取り見どりだと思われるのだが。

「ちょくちょく、釣りに行きます。但し、釣った魚は、
放して帰ります」
釣るのが、ヘラブナだそうだ。
ブラックバスだそうだ。
それならわかる。

サーフィンをやるのだそうだ。
これも、落語家のイメージに合わない。
意外だらけ、私の先入観は、ことごとく覆されている。

「お姫様だっこだって、出来るんだぜ」
その腕力を誇るのであろう、とある女性に向かい、言っている。
その女性とて、負けていない。
「なら、今やってよー」
ファンと落語家の域を越えている。
本日、初参加の私は、これらの光景を、呆然として眺めている。
新参者である。
冗談を以って、その場に介入するのは、三月早いと思っている。

 * * *

友人の語句氏に誘われ、この集まりに来た。
三人の落語家が出演した。
そして、酒席を共にした。

彼らの謦咳に、わずかに、接した感がある。
その素顔を、見極めるところまでは、とても行っていない。
取りあえず、来月も来ようと思っている。



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機会がありましたら

パトラッシュさん

みのりさん、
テレビもいいですが、生の方が、もっと楽しめますよ。

2017/04/16 19:57:03

落語

みのりさん

パトラッシュさん

 落語は生で聴いたことは
ありませんが
テレビので聴くのみですが
歴史も長いようですね
 また機会があれば聴いてみる
つもりです。

2017/04/16 08:41:34

人生は出会いだ!

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
人を見る、すなわち相手もまた、こちらを見ている。
ということなのでしょうね。
そして、その記憶に残っていたということは、シシーマニアさんが、容易に網膜から、消しがたい人物像であった。
つまり、ただ者ではないという、何かを感じたのでありましょう。

人には会ってみよ。
話しかけてみよ。
ということを、つくづく思わされます。

2017/04/16 07:16:26

別れ際に・・

シシーマニアさん

思い出しました。
又、西洋での話ですが。

ウィーンへ毎年オペラを観に行っていた頃、珍しく滞在中に「薔薇の騎士」の公演が二回ありました。大好きなオペラなので、両方の夜のチケットを予約したのです。
最初の夜、主人公の役を素晴らしく歌ったソプラノが、翌日メイン通りを歩いているのを見かけました。

そして、二回目の公演の夕方、郵便局へ手紙を出しに行くと、並んだ列の最後尾に立っていたのが、その彼女でした。

これは話しかけろ、という啓示だと思って、「今晩又観に行きます」と言ってみたのです。

すると「ダンケ」と答えた後、彼女は振り返って、「先日、会いましたよね」と言ったのです。

どうやら、じろじろ眺めていた日本人を覚えていた様でした!

そして、どうやら、喜んでもくれたみたいでした。

手拭は、出ませんでしたけれど(笑)

2017/04/15 17:15:18

それは奇遇でした

パトラッシュさん

Reiさん、
好楽さんに、会いましたか……
よく気付きましたね。

「好」は好運にも通じます。宝くじでも、お買いになれば、よろしかったのに……

「見てます」
別れ際に言うと、喜びますよ、彼ら。
手拭でも、くれるかも……
(いや、くれないな……)(笑)

2017/04/15 15:11:05

そうです

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
「いかにも」は、昨今、流行らないようです。
昔は「一見して」というところが、様々な職業において、多かれ少なかれ、ありました。

今は、押しなべて、世間に溶け込んでいるようです。
その方が、保身上よろしいのかもしれません。
逆に言えば、ことさらに「それらしい」のは、むしろ「あざとい」ということになるのでしょうね。

平均化が進み、人を描くということにかけては(文学でも美術でも)、難しい時代になりました。

2017/04/15 15:04:26

普通の人

Reiさん

私も山手線の電車の中で、笑点でよく見る三遊亭好楽さんに会ったことがあります。
座っていた私のすぐ前に立ちました。
お弟子さんのような人と一緒で、ごく普通の人でした。
回りの人たちも気づくわけでもなく…
落語家さんも、普通に電車に乗るのですね(^_^;)

2017/04/15 15:00:35

いかにもの、様相は

シシーマニアさん

最近は余り通用しないのでしょうね。

絵描きはベレー帽をかぶり、音楽家は酔いつぶれ、学者は世間知らずの運動オンチ、役者の浮気は芸の肥やし、といった類いの漫画にでもでてくるステレオタイプには、

まずご本人達が、憧れないのでしょうし・・。

むしろ、その人の業績と、普通人であることとの、ギャップの方が、受け入れられる時代だと言うことを、ご当人達はよく認識しているのではないでしょうか。

2017/04/15 11:53:14

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