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私家版・日豪の比較文化人類学 〜群れから抜け出した羊が見たもの〜
大災害の中の日本人
2011年03月23日
テーマ:テーマ無し
東日本大震災はまだ1万人以上の行方不明者の捜索が続き、避難所での生活を余儀なくされている人々が30万人にも及んでいますが、福島第一原子力発電所の地震による災害はその鎮圧に少し明るい見通しが出てきたようで、私たちもようやく落ち着いてきたかなと思うようになりました。
一つ気になることは、大手銀行が東電の原発の「修理」などのために要請に基づいて融資を決めたといいます。未曽有の災害事故で瀕死の福島第1を修理して発電を再開するのでしょうか。電力不足が深刻な事態であることは分かりますが、これは国民や周辺住民への詳細な計画の公開とコンセンサスが必要ではないでしょうか。また同じ過ちを繰り返すのでしょうか。
それはさておき、今回は海外のメディアが揃って報道している大災害の中の日本人の冷静さ、辛抱強さ、責任感などについて考えてみたいと思います。
地震発生直後、新幹線がストップして乗り合わせたオーストラリアの連邦議員が非常時の日本人の沈着冷静さを見て驚いたという話は3月13日の「残酷な仕打ち、巨大地震」でご紹介しました。この様子はオーストラリアでちょっとした話題となりましたが、シドニーに住んでいて私たちが娘同様にしているカティアから電話があって「この非常時に日本人は何事にも辛抱強く耐え、被災地では略奪もないのはどうして? 皆おどろいているよ」と疑問をぶつけてきました。
普通、日本人だったらそう問われても「そういう国民なんだから」くらいにしか答えられないでしょう。私たちにとっては当たり前のことなのですから。私たちもカティアにそう答えたのですが、私はその後ずっとこの疑問が頭の中に沈着していたのです。
たしかに、東京都知事や大阪府議会議長の非常識な発言から、津波の来襲が迫る時店主たちが避難をした宝石店でごっそり宝石が盗まれたり、災害募金を装ってお金をだまし取ったりという破廉恥な犯罪まで、恥ずかしい話はいくらでもありますが、海外でこうした混乱時には必ずある暴動や略奪は日本では起きていないようです。さらに、避難する被災者のほとんどは係員の指示に従い、不平も言わず列を作って順番を待ち、食料を分かち合い、秩序を保っているのです。
加えて、原発の現場では被ばくの恐怖の中で任務に就いた人々が、文字通り命を賭して闘っています。海外のメディアはこの人たちのことを「フクシマ50」と呼んで、その勇気と使命感を驚きの目で称賛しています。この話題はブログ仲間のひょうたん島さんが20日に「頑張れ! fukushima50!」で紹介していますのでご覧下さい。私も前回21日、同様の記事を載せました。
で、本稿のテーマは「なぜ、日本人は大災害の中でも秩序を守り、利己・私欲に走らないのか」なのですが、これは小さなスペースで検討するには課題が重すぎます。しかし、私の浅薄な考察で気付いたことを述べてみようと思います。
常々、私は日本人が草食動物的で相互依存型の性向を持っていると指摘しています。その記事は本文の第5章第5項に「草食動物と肉食動物(その1)」及び(その2)で詳しくご紹介していますので、併せてお読みください。
端的に言えば、日本人は羊のように群れを形成してその群れの習慣や掟、人間関係に縛られます。そして田植えから祭り、もの作りなど皆が協力・分担して行う社会がつくられてきました。こういう社会では群れから外れて抜け駆けをしたり他人に迷惑をかけたり、盗んだりという行為は周囲から厳しく糾弾されます。群れの安泰が最も大切ですから、いったん緩急あらば、誰かが事にあたらなければならないという意識や、立場としての責任感・使命感も当然生まれて来るでしょう。
こういう目で今回の大災害の中での日本人を見てみると、肉食動物系で自己完結型の西欧の人々の驚きも理解できるような気がします。
台湾のメディア、中国時報は社説で「西洋人にとって理性的な判断は感情的な判断に勝るが、東洋人にとっての理性的な判断は感情的な判断の上に成り立っている。だから原発で作業を行うという『自殺的な任務』を非理性的と批判する米国の専門家もいるが、東洋人は『ダメだと分かっていてもやらねばならない』と捉えるのだ」と説いたといいます。これも興味ある見方です。
概ね、海外のメディアはこの大災害に立ち向かう日本人の誇り高い「民度」を評価していますが、その割には政府や東電の対応がお粗末だと指摘するのが一般的です。耐え忍ぶ被災者や第一線で任務に就いている人たち、それに力強い復興のために英知と力を出し切ってほしいと願うばかりです。
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