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2017年10月24日 外部ブログ記事
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 「鎌倉の闇」


 写真は再びダリ関連作品に戻っています。さて、先日、湯河原に謡曲研修旅行に出かけ、能「七帰洛」の謡蹟を訪ねたことを書きました。その後、源氏の総大将頼朝について歴史上の位置づけが必ずしも確立しておらず(実際は北条氏の傀儡?)興味を持ち、オーディブルで「鎌倉の闇」高田崇史著、ミステリー小説を聞いています。ミステリー部分(要約下記)も面白いですが、私は”鎌倉党”なる地方豪族の存在に興味を持ちました。湯河原辺りを支配した土肥一族も鎌倉党の武家集団だったといわれています。

ミステリー小説の要約
「神は三種類に分類される。まず第一が、大自然。次は祖霊。最後は、時の朝廷に対して戦い、恨みを呑んで亡くなっていった人々」。銭洗弁天、鶴岡八幡宮、御霊神社……鎌倉をそぞろ歩く奈々、沙織の棚旗姉妹に、桑原崇が説く、源三代にまつわる謎の答えが、そのとき密室で起こった社長失踪事件をも解き明かす!

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/kamakuratou.htmlによれば、鎌倉党について下記のように紹介されている。
鎌倉党とは
鎌倉党とは、鎌倉景成の代に作られ、鎌倉権五郎景政を経て、 大庭景親を中心としたグループのこと。
「鎌倉党」という言葉は、延慶本太平記や源平盛衰記に出てくる。
延慶本太平記には、「へいけのかたうど、たうごくのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちかむさしさがみりやうごくのせいをまねきて、 同廿三日のとらうの時に、おそひきたりて、あひしたがふともがらには、おほばのさぶらうかげちか(大庭三郎景親)、しやていまたののごらうかげひさ(俣野五郎景久)、 ながをのしんご(長尾新五)、しんろく(新六)、やぎしたの五郎(八木下五郎)、かがはのごらう(香川五郎)いげのかまくらたう、一人ももれざりけり (以下鎌倉党、一人も漏れざりけり)。…」とある。

源平盛衰記には、「大場(大庭)三郎景親は、武蔵相模の勢を招相従輩、舎弟(しやてい)俣野五郎景尚、長尾新五、同新六、八木下五郎、 漢揚(香川)五郎以下、鎌倉党は一人も不(レ)漏、…」とある。
つまりこの時点での鎌倉党は、大庭氏、俣野氏、長尾氏、 八木下氏、香川氏であることがわかる。
共通の先祖
・ 保元の乱で大庭景能・景親が「…答の矢にて敵を射て名を後代にあげ、今は神と言われる鎌倉権五郎景政が末葉にて云々」といった。
・ 俣野氏は、大庭景宗の子、景久が相模国鎌倉郡俣野に住まい構え、俣野五郎を称したことに始まる。
・ 長尾氏の先祖は景政であるともいわれている。
・ 香川氏も景政の末裔である。
これらのことから鎌倉党は、鎌倉権五郎景政の末裔であることがわかる。
結成
三浦系図に「平高望の子鎮守府将軍平良文が村岡五郎を称し、平忠頼、平忠通も村岡と称した。 忠通の子景成始めて鎌倉権守といい、・・・」とある。
また、御霊神社由来によれば、「忠通が固館を造り、忠通の嫡男景通、景成の世から、鎌倉大倉ヶ谷へ小行事の坪を立てて、 出仕してから、鎌倉を名乗った」とある。
このことから、鎌倉党は、鎌倉景成の頃から、同じ一族として梶原氏につながる鎌倉景通、大庭氏につながる鎌倉景村らとともに結成された。
活躍
景成の子が鎌倉権五郎景政である。景政の頃に鎌倉党は、全盛期を迎えた。
鎌倉には、小坂郷、小林郷、葉山郷、津村郷、村岡郷、長尾郷、矢部郷(現在の横須賀市大矢部・小矢部)の七郷があった。 そして後には、小坂郷には小坂氏、葉山郷には長江氏、 村岡郷には村岡氏、長尾郷には長尾氏、大庭には大庭氏・俣野氏・豊田氏・八木下氏・香川氏らがいた。 鎌倉権五郎景政から相続したのであろう。 源頼朝が鎌倉に入る90年ほど前の鎌倉は、鎌倉党の大庭氏、梶原氏、長尾氏、村岡氏、鎌倉氏の いわゆる関東平氏五家が割拠していた。

大庭景親のときは保元の乱では大庭氏は源義朝に属していたが、平治の乱 で義朝が討たれると大庭氏は平氏に鞍替えした。 断罪になるところを平氏に助けられた、大庭氏と対立する中村党と三浦党が源氏を利用し勢力を強めて大庭氏を圧迫するので、 平氏の力を借りたなどの説がある。大庭景親は積極的に平清盛に近づき、 相模国における平氏の要という立場を得るまでになった。

そのため、源氏の源頼朝が挙兵した時に、石橋山で迎え撃ったのは、 平氏から頼朝討伐の命令を受けた大庭景親であった。鎌倉党の長尾氏、俣野氏等もこれに従った。そして鎌倉党は、 石橋山の合戦で源頼朝軍を破る。
最後
しかし石橋山の合戦に敗れた頼朝が安房に逃れ、勢力を盛り返して鎌倉に入ると、鎌倉党の党首大庭景親が斬首、長尾氏等が処分され、事実上 鎌倉党は解体した。

 「鎌倉の闇」は勿論ミストリー小説ですが、鎌倉と頼朝の歴史認識に一石を投じてくれます。これから鎌倉辺りの歴史散歩にはとても参考になる本です。日々是好日。

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