メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

再訪 赤穂 

2011年05月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ(文字をクリック)

混雑が予想される姫路、神戸方面を避け、赤穂に泊まりました。

赤穂城

慶長五年(1600) 姫路藩主池田輝政の弟・長政が赤穂領主となり赤穂城の前身である大鷹城を築城。

正保二年(1645) 池田氏改易。同年、浅野長直が5万3千石で入封しました。

慶安元年(1648) 6月に幕府に築城計画を提出、異例の即日許可となり、築城開始。

承応元年(1652) 軍学者・山鹿素行を1千石で召し抱えました。
築城についての意見を聞き二の丸周辺の造営を変更。

寛文元年(1661) 赤穂城が完成


元禄十四年(1701) 三代の浅野内匠頭 長矩が江戸城中での吉良義央に対する刃傷事件により
浅野氏改易となります。城は龍野藩主脇坂安照預かりになりました。


元禄十五年(1702) 永井直敬が3万3千石で入封。同年、赤穂浪士討ち入り。

宝永3年(1706) 永井直敬転封により、森長直が2万石で入封。廃藩置県まで森氏が城主でした。





赤穂城跡図
5万石クラスの大名にしては大きな城です。


広いのですが区分けが変で行かれ所もあり全体像がなかなかつかめません。

本丸 
高麗門(二の門)と奥が櫓門(一の門)


本丸の堀と石垣。



本丸内からの一の門


天守台跡 天守は築かれませんでした。


天守台跡上から見た一の門
本丸内はほとんどコンクリートです。


御殿跡がコンクリートで形どられてされています。





大手門


大手門から入ると塀に囲まれ周囲が見えません。


大石神社横を通ります。ここからは大回りしないと神社には行けません。
石垣上から見た大石神社


大石邸長屋門に出ます。外からしか見られません。


大石蔵介像






義士像


拝殿


狛犬 そっくり返っています。あ、うんとも同じようです。


大きな城ですが、平地で全体を見渡せず建物も少ないです。
大石神社がメインのようになっています。

佐用の大雨が心配です。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ