メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

再訪、松山城 天守 

2011年06月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ(文字をクリック)




にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ(文字をクリック)


松山城 天守〜

加藤嘉明が建築した当時の天守閣は五層でした。
  
加藤嘉明の会津転封後は、蒲生忠知が出羽国からし、二ノ丸の造築を完成させました。

その後伊勢国より入封した松平定行が寛永十六年(1639)に幕府の許可を得て五層の天守を
三層に改築しました。
 
しかし
天明四年(1784)元旦に落雷にあい、天守をはじめそのまわりの建物すべてが焼失してしまいました。

藩の財政は苦しくなかなか再建ならず、文政三年(1820)からようやく再建工事に着手し、
35年の歳月を経て十二代藩主定穀の代の安政元年(1854)に現在の天守閣が再建されました。

松山城天守は最後の城郭建築です。

 
昭和に入っても小天守やその他の櫓が放火や戦災などのために焼失しましたが、

昭和四十一年から総木造による復元が進められ、本丸一帯の小天守、太鼓櫓などの建物も復元され、
本丸上の建造物は藩政時代の様相を再現しています。




松山城観光パンフレットより転載


一の門南櫓前から小天守を見る。


本壇を廻ります。
本壇東石垣と天神櫓



本丸の石垣
この高さの石垣で囲まれています。



艮(うしとら)門、艮門東続櫓
本壇の東の虎口


本壇北より天神櫓(手前)と二の門南櫓


本壇北より天守(左)と北隅櫓


本壇北より北隅櫓と野原櫓が見えます。
この面の石垣の折れは見事なのですが植樹でよくわかりません。


本壇西より北隅櫓(左)十間廊下、南隅櫓


乾(いぬい)門 乾門東続櫓、乾櫓(奥)



乾門を出たところからみた乾門東続櫓、本丸石垣
折れながら続く石垣


乾門から見た北隅櫓(左)十間廊下、南隅櫓


本壇南 小天守の前 松山城は土塀もよく残っています。


本壇南 左から南隅櫓、小天守、天守
手前は紫竹門
本丸上の大手と搦手(からめて)を仕切る門で、本壇上の小天守の南真下に北面して建つ、
一門一戸の脇戸付高麗門です。
小天守の石垣下には土壇があり、紫竹が植えられていました。この竹の茂みに隠れて、本丸広場方面を
観察する仕組みも持つのでこの名があります


一回りして来ました
小天守、天守、一の門南櫓


一の門をくぐり小天守方向を見る


北東からの天守



中庭の入り口から天守郡に入りました。
小天守と南隅櫓



城内の展示も充実しています。


小天守二階からの中庭
矢印は3枚前の写真を撮った窓


小天守二階から天守



三重ながら堂々とした天守です。
瓦には三つ葉葵が付けられています。


一の門、二の門


小天守から二の丸方向の展望
矢印のところにバイクを止め登ってきました


天守から本丸方(南)の展望
曇りで海まで展望できませんでした。


東の展望
矢印は湯築城跡


西の展望
北隅櫓(左)十間廊下、南隅櫓
奥は乾櫓


この日は天守二回で芸者さんの城踊りを披露


一番かわいい娘がぶれてしまいました。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ