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パトラッシュが駆ける!

懲りない男 

2019年06月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

エントランスに、人の気配がない。
勝手知ったる館内だから、私はつかつかと、ホールの奥へと進んだ。
やってるやってる、二人の女性が、
二台のピアノに向かっている。
譜めくりの若い女性が二人、さながら脇侍のように、
奏者に添うている。

二人とも、無心に弾いていて、私の方を一瞥だにしない。
むしろ好都合だ。
リハーサルの場に、無断で入り込んだからには、
咎められても仕方ない。
その時は、すみませんでしたと、潔く退去するつもりだ。
私は、椅子の上に、石のように固まり、
二台のピアノの競演を聞いていた。

ピアソラ作曲の「リベルタンゴ」が終り、M子さんが、
私の方を向き会釈した。
私はようやく、ホール内の皆さんに
「怪しい人ではありません」と認められたようだ。
その身元保証人が、M子さんということになる。

同じくピアソラの「タンガータ」が始まった。
音楽について、まったくもって無知の私が、たった一人で、
ピアノコンサートのリハーサルを眺めている。
曲が終り、M子さんが立って、Y子さんの方を向き
「こちらPさんです」と言った。
私はこれにより、ホール内において、確かな市民権を得たことになる。

二人の奏者が肩を並べ、Pleyelを使っての連弾に移った。
世界に希なる名器と聞いている。
四本の手が、鍵盤上を行き交い、時に交錯する。
そこは心得たもので、接触することはない。
私は呆然と、その、合計二十本の指の動きを見ている。
とても、人間業とは思えない。

一曲弾き終えるごとに、お二人が話し合う。
問題点を指摘し、修正しようとするのだろう、
鉛筆でもって、譜面に何やら書き込んでいる。
「八番のところ、○○しましょう」
「そうね」
これを阿吽の呼吸と言うのであろう、私には、意味不明のことを、
片方が言い、たちどころにもう一方が了解する。

聞いたことのあるメロディが流れ始めた。
ラプソディ・イン・ブルー
ガーシュインの代表曲であるくらいは、私だって知っている。
心の浮き立つような曲だ。
私はもう、すっかりいい気分になっている。

考えても見たまえ。
お二人は共に、たぐいまれなるピアニストだ。
ウィーン国立音楽大学を、共に、優秀な成績で卒業されている。
その演奏たるや、簡単に聞けるものではない。
リハーサルとは言え、私はそれを、たった一人で聞いている。

K館の館長には、早めに来ると伝えておいた。
イスの配置やら、ピアノの移動やら、手伝うことは少なからずある。
それで、昼食を済ますや、すぐにやって来た。
コンサート開始の、二時間も前に、会場に着いてしまった。
早起きは三文の得という。
コンサートだって、同じこと。
私は、他の出席者が聞いたら、垂涎するであろう、
贅沢な時間の中に居る。

 * * *

K館の館長、T子さんは、その幼少期を、我が町、
西荻窪で過ごされている。
同郷の誼ということもあり、私とは、何となくウマが合っている。
私はだから、K館を訪れる際は、西荻の老舗
「こけしや」の焼き菓子を持参することにしている。

つい先日、彼女との話の中で「実は……」というところを、
幾つか聞いた。
別棟に住む、お嬢さんのこと、十九歳になる飼い犬のこと、
近在のイタリアンレストランの、その味の妙なること……
その他にも、耳寄りなことを聞いた。
「あたし、コンサートの翌日が誕生日なの」
お幾つで?と聞きかけて、口をつぐんだ。
女性に年齢を問うのは、失礼とされている。

そうだ……
私は、妙案を思い付いた。
妙とは「奇抜な」くらいの意味である。
実を言えば、私は日頃、様々なことを思い付いている。
思い付くだけだ。
それを逐一実行していたら、私の人生はたちまち破綻するだろう。

この度の案は、人生に関係がないから、気が楽だ。
私は意を決し、本番前の控え室に、奏者のお二人を訪ねた。
「えー、つかぬことを、お伺いいたします」
先代の林家三平師匠のように、側頭部を指で掻きつつ言った。

館長のT子さんが、明日誕生日を迎えられます。
演奏が終わった後にですね、入場者全員で
「ハッピーバースデー ツーユー」を唄い、
お祝いして差し上げたいと思うのです。
その時に、アカペラというのも寂しいでしょ。
だって、せっかく、立派なピアノがあるんですもの。
お二人のどちらかに、伴奏をお願いし、
どちらかに指揮して頂きたいのです。
え、あります、ほら、これ扇子ですけど、
タクトの代わりになるでしょ。

私は、言うだけ言い、それからおもむろに、持参した楽譜を、
お二人にお見せした。
ネットで見つけ、それをコピーし、懐に忍ばせて来た。
「単音じゃーねえ……」
M子さんが、その美しい眉を曇らせた。
唄うにはともかく、伴奏にはなり得ないとおっしゃっている。
私は音楽に無知であり、もっと簡単に考えていた。

「単音だろうが、何音だろうが、楽譜に変わりはねえじゃねーか。
単音の周りに、お玉杓子を適当に散らばしてさー、
そう、デコレーションケーキみてえに、飾り立てりゃ、
伴奏になるんじゃ、ございませんかねえ」
映画の寅さんだったら、きっとこう言って、周囲を煙に巻くであろう。
私もまた、同じことを考えていた。
宴席において、箸で茶碗を叩き、それを伴奏とする、
私の日常のように、安直に考えていた。

「今日は、作曲家の先生も、いらして下さるのです」
Y子さんが、その端正な顔に、困惑の二字を浮かべ、言った。
彼女らには、演奏家としての立場がある。
矜持というものがある。
芸術家の前で、芸術家が無様な座興は見せられない。
ということであろう。

こうなったら、やむを得ない。
「ドーモ、スイません。この話、なかったことにして下せえ」
私は再び、三平師のように頭を掻き、控え室から遁走した。

「遁走」と書いて、これを「ずらかる」と読む。
「軽忽」と書いて「そそっかしい」と読む。
「浅慮」と書いて「あさはか」と読む。
私のやっているのは、正にこれらだ。

「自省」と書いて「もうやるまい」と読む。
「慙愧」と書いて「あーあ、やんなっちゃった」と読む。
私の場合、何時もこういう順路を辿る。
「わかっちゃいるけど、止められない」
これを「惰弱」と書く。
私の人生は、日々惰弱を積み重ねている。

 * * *

「そりゃ、イチロー選手に、ボール拾いをさせるようなものです」
宴席で誰かに言われた。
私達聴衆は、コンサートが終り、二次会会場の、
レストランに繰り込んでいる。
ワインをしこたま飲んだ勢いで、私はつい、会場での一件を、
喋ってしまっている。

イチローとは、うまいことを言いやがると思った。
悔しいがその通りだ。
しかしである。
もしも、イチロー選手が、自ら進んでやってくれるなら、
それはまた話が別だ。
かの大選手に、縁の下の力持ちをさせる。
それはそれで、楽しいではないか。

今回は、ピアノ用の譜面がなかったからいけない。
準備が足らなかった。
「短兵急」と書いて、これを「早計に過ぎた」と言う。
次回はもっと周到にやろう。
私は早くも、失敗から立ち直りつつある。



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素晴らしいコンサートでした

パトラッシュさん

Reiさん、

> 実は、優しい師匠なのですね(#^.^#)

って、今頃気付いたのですかぁ……
私は「やさしい」がジャケットを着て歩いているような男です。
常に、周辺の女性に気を使っているのです。

遠路、はるばるやって来て下さった、貴女に敬意を表し、今回は宿題を免除しました。
次回お会いするのは、パッチワークの発表会と思われます。
その時は、遠慮なく、宿題を課すと思います。(笑)

2019/06/03 20:52:49

素晴らしいコンサート!

Reiさん

本当に楽しいステキなコンサートでしたね。
演奏ももちろん素晴らしく、その後の二次会のワインも美味しかったです(^^)

お誕生日の件は、師匠の思いつきは良かったけれど…というところでしょうか。
実は、優しい師匠なのですね(#^.^#)
今回は宿題が出なくてよかった!

2019/06/03 18:07:12

今年はナビ勢が少なくて……

パトラッシュさん

彩々さん、
貴女のお顔が見えなくて、残念でした。
ソロもいいですが、デュオはまた素晴らしいです。
次の機会には、是非いらして下さいよ。
貴女の好きそうなワインが、たくさんあります。

2019/06/02 17:36:17

あぁ、残念!

彩々さん

今回のコンサートには、神戸から友人が
来る話があり、そちらを優先しました。
(結果、ドタキャンされましたが…)

シシ―さん達の連弾を聞き逃したばかりか
その後の打ち上げでの裏話等々を聞き損ねた
事が、残念至極です!

その時のパトさんのご様子が
目に浮かびます(笑)

でも、一年後のこの催しを楽しみにします。
来年は必ずに〜!

2019/06/02 11:55:30

一期一会

パトラッシュさん

シシーマニアさん、
お二人とも、実に楽しそうに演奏なさっていました。
こんな日が来ることを、昨年の今頃は、予想しませんでした。

人とのつながりの、不思議さを思います。
あの日あの会に臨めたことを、大変幸せに思っております。

2019/06/01 16:56:33

私は変なところで図々しいのです。

パトラッシュさん

吾喰楽さん、

横綱白鵬に、土俵を掃かせる。
名店のシェフに、目玉焼きを作らせる。
錦織圭選手に、ボールボーイをさせる。
比喩ならたくさんあると思います。
中で、イチローがもっとも適任であるかもしれません。

楽しい演奏会でした。
そして、もっと心弾んだのが、二次会でした。

2019/06/01 16:50:36

忘れておりました

シシーマニアさん

話題にして下さって、ありがとうございました。

せっかくのアイディアにお応えできませんで、申し訳ありませんでした。

自分一人のコンサートとはやはり勝手も違いますし、お互いに相手を気遣ってしまう、と言うこともあります。

2019/06/01 09:49:23

様々なお心遣いありがとうございました

シシーマニアさん

今回の会は、昨年キャンセルを余儀なくされた彼女の病気が、無事平癒して、一年後に演奏会が実現した、という意味が一番でした。

お声をかけた方達が、皆さん喜んで下さって、それも嬉しかったですし・・。


師匠のお心遣いとか、その他にも沢山心温まる事がありました。

人との繋がりの喜びが、味わえた一日でした。

本当にありがとうございました。

2019/06/01 09:45:54

イチロー

吾喰楽さん

>「そりゃ、イチロー選手に、ボール拾いをさせるようなものです」

“言い得て妙”の一言です。

現役を引退してから、バッティングピッチャーを遣った事がありました。
勿論、何か、特別の意図があったのでしょうが。

2019/06/01 09:09:58

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