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人生いろは坂

誰かが言わなければ 

2011年07月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 浜岡原発の運転停止要請をした菅総理が今度は脱原発宣言を行った。菅総理得意のパフォーマンス
だとか、延命工作だとか、さては解散総選挙の布石だとか言われているが、私は素直にこの発言を
歓迎したい。少なからずソフトバンクの孫さんなどとの交流の中で影響を受けた発言ではないだろうか。

 いくらパフォーマンスだと言われても、現に今も原発推進派はいるわけだし、アメリカや原発大国
フランスなどとの関係を考えれば、そう簡単に発言できることではない。大いなる決断が必要だったに
違いない。また、この機を逃してはなかなか発言できることではない。

 これで原発事故が終息にでも向かったら、またぞろ原発推進派が勢いを増して来るに違いないからだ。
原発推進派は地球温暖化防止という錦の御旗の元に更に原発の増設をもくろんできた。それどころか
自国の技術を他国にも輸出しようとして算盤をはじいていた。

 そうした動きを封じるにはあまりにも大きな犠牲だったが、このような事でもない限り原発を止める
ことは出来なかったであろう。マスコミにも莫大な金が流れ、地元は言うに及ばず県や市町村にも莫大
なお金が注入されていた。いわば札束で横面を叩くようなやり方をしてきたのが原発推進派のやり方
であった。

 このタイミングで自民党から民主党に政権が渡っていたのも天の采配だったかも知れない。自民党
政権の元であれば原発事故は今以上に隠蔽され悲惨なものになっていたかも知れないことが容易に
想像出来るからである。

 私達も反省しなければならないことがたくさんある。その一つは口では原発反対を唱えながらも
決定的な反対闘争をしてこなかった事である。あまつさえ地球温暖化防止のためには仕方ないかと
心の片隅で冷めた見方をしていたことである。

 何よりも反省しなければならないのは電気の選別使用は無理だとしても原発が作り出した電気の
一部を使い続けていたことである。

 今更ながら電力不足だとか省エネをしなければと言われているが遅すぎる感は拭い得ない。もっと
早く大々的な省エネを行い、原発や火力発電に頼らない生活にしておかなければならなかった。

 連日35度を超えるような蒸し暑い日々が続いている。この中で幼子や高齢者にどのように過ごせと
言うのであろうか。精神論だけではどうにもならない現実がある。少なくとも脱原発へと舵を切った
のだから真剣に再生可能エネルギーへのシフトを考えるべきであろう。

 先日もある小学校に省エネ教育に出向いた。蒸し暑い体育館での授業であった。あまりにもの蒸し
暑さに子ども達の意識は散漫であった。その上、使用した資料は誠に中途半端で端切れの悪いもの
であった。

 これは省エネルギー財団が作成したものであったからだ。産業を振興する立場のものが作ったものは
いくら省エネだと言っても表現に限界がある。はっきり言って経済発展と省エネは相容れないものだから
である。

 私達は、ことここに及んでは何かを捨て、何かを選択しなければならないのではないだろうか。あれも
これもというのは強欲すぎるような気がしてならない。今は産業発展と省エネを秤に掛けたとき目前に
迫った壊滅的な気候変動を止めるには省エネなどと生やさしいことを言っているときではないことは
明かな事である。

 九州電力のようにコンプライアンスを標榜する大企業が一皮剥けば自社の利益のみを考える体質に
あって、脱原発は容易ではないことが想像できるのである。

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