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たかが一人、されど一人

司令塔機能 

2022年06月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 通常国会が終了とのことでマスコミが様々な報道をしてくれるが、どうしても引っ掛かると言うべきか違和感を感じてしまうことがある。政策の目玉である経済政策や外交政策から少し外れるかも知れぬが、子ども家庭庁の新設と内閣感染症危機管理庁創設で使われている司令塔としての機能強化である。運動会の応援であれ、オーケストラの指揮であっても指揮者は一人で尖っていなければ、全体を纏めることが出来ないとしたものだ。そのために指揮台を高くしたり、周りを片付けるなら分かる。首相や内閣府の機能強化のために関係省庁から人を寄せ集めて、果たして機能が強化されるだろうか?意思決定に余計な時間が費やされるだけだと思う。子ども家庭庁なる役所が創設されても同じこと。これまで幼稚園を管理していた文科省や保育園を管理していた厚労省からは一切関係なく民間から人材を登用してと言うならば、権限移譲の仕方が問題となるだろうし、両省からの出向であれば、就学前児童の問題が更に複雑化するだけだ。まして幼保一元化が出来ないとあるから、文科省と厚労省の権限争いは残り、予算だけが新官庁分だけ増えることになる。役所が焼け太りして、行政サービスを受けるべき民間に回るはずの予算は減る一方。しかも手続きだけが煩雑になっていく。日本ではコロナ禍は落ち着いているから、指揮機能が低下しても問題無いと高をくくっているかも知れぬが、外国では再び拡大し始めている国もあったり、新たな感染症対策に追われ始めてる国もある。感染症対策も指揮機能を曖昧にし、責任を分散して安閑とできる状態で無いことを知るべきだろう。役所の設えを変えることで政策の目的が達成できるなら、こんな楽なことは無い。役所が働きかける先の実態は実に千変万化。上空から見る森は緑一色でも幾千もの種類と大小の木で構成されてるのは誰もが知るところ。役所はこれを一括りにして同じ扱いをすることを常とする。経済政策でよく使われるマクロ政策だが、これだけでは庶民は救われない。一方で「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ」とも言われるから政策立案者も楽ではなかろうと同情する。

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