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阿波の局のブログ

〈Switch――共育のまなざし〉  シングルママが「学会の庭」に戻るまで 抜粋 

2022年11月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



🌸 子どもを尊重する心を学んだ? 木村和恵さん 三重・津市に住む“学会3世”“信心なんて、やるものか。わが子たちにも必要ない”―4年半前までそう思っていた? 今月、白ゆり長の任を受けた。小学6年の双子の息子も少年部員として頑張っている🌼 双子を抱えて? 快晴だった。今月18日、木村和恵さんの祖母つたさんの葬儀が、津市内で執り行われた。享年97歳。創価学会員の親族が導師を務め故人を悼み、感謝を捧げる「家族葬」和恵さんの隣で長男・悠月さん(小学6年)と次男・琉月さん(同)がピンと背筋を伸ばし、両手を合わせ、会場に響く唱題の声に和している。    “いつになく、心を込めてる感じやなあ”双子の横顔を見つめつつ、自分の小学生時代から今日までの歩みを振り返っていた。   ? 典型的な“おばあちゃん子”だった父・誠伸さん(副圏長)と母・美代子さん(圏副女性部長)が学会活動に駆けている間、近居する祖母が和恵さんたち3人きょうだいの面倒を見てくれた     いつも笑顔で温かい。「食べ物を粗末にしない」「物を大事に使う」と大切なことを、振る舞いで教えてくれる人だった。「お題目は、すごいんやで」御本尊に向かう真剣な背中を見せてくれる創価の母でもあった。     ? 「学会家族のぬくもり」小学生の頃、座談会に行けば「和恵ちゃん、よく来たねえ!」皆がとびきりの笑顔で迎えてくれた。挑戦していることを発表すると、「和恵ちゃん、さすがやな!」「ほんまに感動したわ!」と褒めてくれる? 中学生になると、次第に信心に反発するように学会活動で忙しい両親寂しさや不満を募らせた“信心と私、どっちが大事なんや!”宗教への誤解や偏見に満ちた報道にも触れるようになり、学会員であることを周囲に知られたくないと思った? つたさんは、「お母さんとお父さんはな、家族のことも地域のみんなのことも大事に思うてるから、頑張ってるんやで」納得できなかった反抗期も相まって両親と感情的に衝突家の外に居場所を求めた。     ? 26歳で結婚。御本尊を持たず、「学会の庭」から離れるように家を出た。2011年3月に双子を出産。幸せを手に入れたかに思えたが―期待は裏切られる。夫と価値観が合わず、言い争う毎日。交互に授乳と夜泣きを繰り返すわが子の対応で、眠る暇もない。涙が止まらない。夫婦げんかが始まる。相談したり愚痴を吐く相手もいない「もう無理!」離婚を選んだ和恵さん生後7カ月の双子を抱えて、津市の実家に戻った。   🌼 お帰りなさい? 生活が一変した両親も同様だった。ゆったりと孫育てを楽しむそんな老後を想像していたに違いない。赤ん坊の世話に追われる慌ただしい毎日を再び送ることになる母の美代子さん“もう一人の母親”になったつもりで双子の悠月さん・琉月さんの面倒を見た。父の誠伸さん「これは俺の罪滅ぼし…いや、恩返しの時や」と腹をくくった。  ? 和恵さんは心の中で両親に感謝はすれど、素直にそれを口にできない。慣れない仕事初めてのことだらけの子育ての不安。離婚によって、わが子から“父親を奪ってしまった”罪悪感…イライラのかたまりを両親にぶつけては、自己嫌悪に   両親は黙って全てを受け止めて、深夜、御本尊の前に座る祖母のつたさんも真剣に唱題を重ねた。“わが子・わが孫たちが、使命の人生を歩めますように”? 「祈る」ことは「信じて待つこと」でもあった。     春夏秋冬は巡り1年、2年、3年、5年…離婚から7年目を迎えた春和恵さんは、母・美代子さんに言った。「久しぶりに、座談会に出てみようと思うの」     いったい何があったのか。娘が「このままではいけない」と思っていることは確かだった。     ? 座談会当日。和恵さんは緊張していた。地区の皆から、どんな目で見られるのだろう。腫れ物に触るような対応をされるのではないか。恐る恐る会場に入る「和恵ちゃん、よく来たねえ!」「待ってたよー!」。     懐かしい声と笑顔。幼い頃に参加した時と変わらない温かさ。「お帰りなさい」の一言に、思わず胸に込み上げるものがあった。   🌼 親子で一緒に? 足しげく訪問・激励に通ってくれた2人の同志がいた。坂本亜希子さん(支部女性部長)と廣瀬優子さん(地区女性部長)   当初の応対は、けんもほろろ。玄関先で話をする時間も、1分にも満たない。変化を及ぼしたのは、双子の息子たちの存在だった坂本さんと廣瀬さんが訪問すると、決まって悠月さんと琉月さんも顔を出す。彼ら2人にも「こんばんは」と頭を下げて、丁寧にあいさつをする時に膝を折り、目線を合わせて声を掛ける。兄弟が学校での出来事を話すと、じっくり耳を傾けて「すごいなあ!」「おばちゃんも負けずに頑張るわ!」心からたたえてくれた。     子どもだからと下に見ず、尊重してくれていることが、その声や姿から伝わる子どもたちは心を開き始めた。     ? やんちゃ盛りの小学生。兄弟げんかは日常茶飯事。和恵さんは四六時中、頭ごなしに叱ってばかり。それが坂本さん・廣瀬さんと共にいるひとときは、不思議と穏やかな時間が流れた。自分もこの人たちみたいになりたい―和恵さんの心に変化が生まれ始めた。両親のいない時間を見計らって、少しずつ題目を唱え始めていた? わが子が信心するかしないかは、成人してから本人たちが決めればいい。和恵さんは「学会の庭」に戻ってからも、そう思っていた。  坂本さんと廣瀬さんは   「確かに、その考え方もあるよね。でも、この信心って『人間として成長するための信心』だから、本当に一生涯やる意味があるかどうかも、実際にやってみて『成長できたかどうか』で、判断できると思うの。親子で一緒に成長できる信心だよ」     ? 一理あると和恵さんは思った。ただ、本人の意思を尊重したい。それは坂本さんと廣瀬さんも同じだった。     座談会に家族全員で何度か参加した頃、廣瀬さんが悠月さんと琉月さんの目を見て、ゆっくり尋ねた。「一緒に信心してみませんか」2人は間髪を入れずに手を挙げて「やるー!」和恵さんも驚いた。     2018年、兄弟は晴れて入会し🌼 今度は私が? 学会活動をするようになって、和恵さんが同志から学んだこと「子どもと接する姿勢」毎月の座談会への参加の呼び掛け、大白蓮華の「巻頭言」朗読のお願い和恵さんを通してではなく、必ず悠月さん・琉月さん2人に“直接”声を掛けてくれる。時間が取れない場合も、LINEのビデオ通話で、必ず顔を見て伝える「池田先生が『子どもに接する時は、一個の人格として尊重することが大事です』と、おっしゃっているから」「子どもの中には大人がいる。その大人に向かって対等に語りかけていけば、子どもの『人格』が育っていきます。そうすることによって、育てる側も育てられていくのです」   ? 親子で共に育った証し今夏、創価ファミリー大会で和恵さん・悠月さん・琉月さん3人がリレー体験発表に立ったトップバッターは悠月さん「僕は小学3年生の頃までは泣き虫でした」しかし座談会で司会や「巻頭言」朗読を務め、地区の同志から励ましてもらう中で明るくなれた今では「巻頭言」を暗記して臨んでいる「それなのに、『国語の成績がどうしてこんなに残念なのか』と家族に言われます!」。小学校の児童会で副会長も務めた。困っている友だちの力になっていきたい―それが今、祈っていることだ。     続いて琉月さん。兄同様、もともと人前で話すのが大の苦手。座談会でさまざまな役割を担う中で自信を付け、何でも挑戦できる人になれた。“カナヅチ”だった水泳も、クロールで50メートルを泳げるまでに。目標は「学会の人たちみたいに、たくさんの人を支えられる自分になること」。もう一つの目標それは兄との決着。毎日のようにケンカをするが、勝率は1割。「けれど学校の成績はいつも僕の圧勝です!」兄に負けじと笑いを広げる。     和恵さんは感謝で結んだ。「“寄り道”もしましたが…こうして、学会の庭に戻ってくることができました」   🌼 「変わらない居場所」があった 「変わりたい!」と前を向けた? 祖母・つたさんの葬儀が行われた今月18日、和恵さんは白ゆり長の任を受けた。     今なら分かる。学会という「変わらない安心の居場所」を守り広げるために、祖母も両親も、地域の同志も、どんなに大変でも戦ってきてくれたのだ。この居場所があったから「変わりたい!」と前を向けた。だから“今度は私が頑張るからね”。そう祖母の遺影に誓った。     ? 学会創立100周年となる2030年、悠月さん・琉月さんは成人の世代となる。その時、お互いにどんな青春の道を歩んでいるのだろう―希望の未来を今、親子で語り合っているという。   

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