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感激のトレッキング−2 

2011年10月31日 外部ブログ記事
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昨年11月のミステリーツアー「幻の滝と二度上駅舎の面影を訪ねて」が思い出される。
Aさんにはその時初めて会ったのだが、不思議と息が合い小柄な私はAさんのかげに隠れるようについて行ったのを思い出す。その時印象に残っているのは、森に入る前に一礼したAさんは、いきなり大声で「入りま〜す!」と叫んだ。圧倒された私もつい同じように「入りま〜す!」と叫び、「今のは何ですか?」と尋ねたら、山の神様にこれから入りますという挨拶をしたが、同時に獣たちにも今から人間が入るぞ、と知らせたのだという。
 
そしてこのたびのトレッキングでは、感心させられたことが3つある。その一つが爆竹で、しばらく進んだ後、このあたりでやりますからと取りだした爆竹を使用する。「パン、パン、パパン!」と鋭い音が炸裂し一瞬緊張したが、このあたりに熊が4匹生息していることが確認されているので、用心のため用意されたものだ。その後、もう少し進んでから再び爆竹を使用したが、後日、私のブログの彼のコメントが面白い。爆竹を持参したことを後悔しているというコメントは、爆竹を持参しなくても参加者の爆口があったのを忘れていたという。楽しい駄洒落を次々に出す仲間もいるが鋭い突っ込みやとぼけた発言はピカイチのAさんは、常に和やかな雰囲気を醸し出す人だ。
 
Aさんが用意したものの二つめはサスマタ。
刺又(さすまた)とは、相手の動きを封じ込める武具及び捕具。刺股、刺又とも書く。U字形の金具に2〜3メートルの柄がついており、金具の部分で相手の首や腕などを壁や地面に押しつけて捕らえる。元々は江戸時代に作られた物で、暴れる犯罪者の動きを封じ込めるために捕り物用として使われたものだが、Aさんの物は丸い柄の先に二本の鉄棒が取り付けてあった。もしも熊に出くわした際、このサスマタでどうにかなるものかは分からないが、何も持たないよりもこれを持っているという安心感はあるに違いない。出発前に軽トラックにあったサスマタを指して「これを持ってきましたが、どうしましょうか」という彼に、私はすぐにそれを手に持ち、持っていくことにしたが、その後若いY君がすすんでロープとサスマタを持ってくれたのは助かった。
 
山葡萄採集は参加者の気持ちを和らげる効果があり、その後も何度か発見した山葡萄に歓声があがった。懐かしい二度上峠駅舎跡で休憩したが、私は着ていたセーターを脱いだ。かつてここを走っていた草軽鉄道に思いを馳せながら進むトレッキングは、廃線後50年という長い時間が経過しているため、その面影はあるとしても当時の様子を想像することは難しい。私はただ目に入る光景にうっとりとするばかりで、今ここにいてこの素晴らしい仲間達と自然を楽しめるという幸福を有難いと思った。森の向こうに見えるゴルフコースではプレイを楽しんでいる人々がいる。
ここでゴルフをしてみたいと思わないでもないが、昔、唯一の楽しみだったゴルフが自分の中からどんどん遠ざかっていくのを、悲しいとは思わなくなり、むしろ「もうゴルフはいいか」と笑っている自分に頬が緩む。
 
雲一つない最高のコンディションにみんなの足取りも軽く話し声は絶えない。空はどこまでも青く透き通り、時はゆったりと流れる。Aさんの案内に参加者の全員がすっかり安心しきっている様子が手に取るようにわかる。下見では鋸とナタを何度も使い、倒木を切り、邪魔な小枝を切り払う作業は容易ではなかった。後に続く私たちはほとんど何もしなかった。相当な体力を消耗されたことは明らかだったが、そんな気配を見せないAさんの頼もしさは心強かった。初めて会ってからまだ一年。不思議な縁だと思いながらAさんの後ろ姿を見ると、全てをゆだねても大丈夫のように感じ、嬉しさがこみ上げてくる。
 
倒木を跨ぎ、そしてある時は倒木の下をくぐる。背丈よりも高い藪の中を進みながら、足元に注意するよう呼びかける。しばらく行進を続け、いよいよ問題の場所に到着した。それは鉄橋の跡で石の橋脚だけが残されている。そこをいったん下り降りてまた登らなくてはならない。
妻を含む3人の女性は、踵をしっかりと踏ん張って踵から降りるようにというAさんの注意を聞いているのかどうか分からないが、第1の難所を難なくクリアしてしまい、ロープを使わなかったことに、Aさんと顔を見合わせて笑ってしまう。下見では、参加してくれたI君がここで少しだがビビッテしまったのが嘘のようだった。そして「スゴイね」と微笑むAさんに、私は「宇宙人3姉妹だから」と笑い返した。
 
谷間に降りたところでのランチタイムは楽しさも倍増だ。何といっても弁当の時間が楽しいのは子供だけではない。妻などは出発直後に弁当はどこで食べるの?と歩く前から言い出す始末だ。
同じ釜の飯を食う、という言葉があるが、同じ釜の飯でなくても、食事を一緒にするという行為はなぜか連帯感を強くし、より親密な間柄になったような気がするものだ。
ランチタイムにAさんが用意した3つ目のものが出された。何年か前にAさん自ら作ったという熊の肉の缶詰は、後のコメントで「熊の18」と書かれ、それは2×9=18すなわち肉という意味だと分かった。私もいただいてみたが、熊の肉というよりも何か懐かしい味であった。
熊が生息する場所で、缶詰めとはいえ熊の肉を食べるという、なんともユニークな試みにはまったく恐れ入ったのである。
 
続く
 
 

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